「一刀斎、あの若を斬れ。そうすればお前は…」

母は父上のやり方に合わず、幼い妹を連れ家を出た。
父はそんな母上を取り戻そうと、ますます拙者に剣術を教える。
拙者を仕官させ暮らしが安定しさえすれば母上は戻ってくると考えたようだ。
来る日も来る日も父は拙者に剣術を教える。


父は鬼だった。


だからあの話が来たとき父上は疑いもせず拙者に人を斬らせようとした。
何も知らずただ拙者を仕官させようとそれだけのために。




その藩がどこだったか詳しくは語れない。
別に拙者の命が狙われようが構わないが、語るほどのことでもない。
まだ拙者は自分で判断できる年ではない子供で、父上の言いなりであったあのころ。
拙者にとって鬼であった父上が嬉しそうに拙者に言った。

「一刀斎、よろこべ。よい話が参ったぞ」

こんなに嬉しそうな父上の顔を見たのは久しぶりだった。

「お前の剣の腕を買ってくださるお方がいてな」

父は『仕事』の話を始めた。

「ある方を斬ればよい。ただそれだけだ」

今まで父から教わった剣の腕を試せる。
何より仕官が決まれば父を喜ばせられる。
拙者に否やと言えるはずがない。
当時健気であった拙者は父を喜ばそうと必死だった。
もっと父上を喜ばせたい。
それが拙者の精一杯だった。


初めて通された城の内部。
広くて豪奢でとても拙者などが住めるところではない。
長い廊下を渡ってやっと部屋に入れた。
そこは身分の高い方と面会する為の広間だった。
誰を斬ればよいのか分からぬままドキドキしつつ下座で待った。
口上が述べられ若君の到着を知らせる。
さっとふすまが開き若君と乳母らしき女性が上座を占めた。
面を上げよと言われ初めて若様を見る。
その藩の若はまだほんの少年で、拙者の別れた妹と同い年くらいだ。
隣にいた父がその若を見るなり言ってきた。

「一刀斎、あの若を斬れ。そうすればお前は…」

何と言うことだ。
父が持ってきたよい話とは年端も行かぬ無抵抗の子供を斬る仕事か。
目の前が真っ暗になり、拙者は震えた。
人を斬るのは初めてだし、しかも斬れと言われた相手は幼くして生き別れた妹と同い年の罪無き少年。
斬れぬ。拙者には斬れぬと思った。

「どうした、一刀斎!父の教えし剣であの若君を斬れ!!」
「い…いやだ…斬りとうござらぬ。父上…」

蚊の鳴くような声でどうにか答えると父上は小声ではあるが、鬼のような形相でさらに言ってきた。

「ばかもの!何のために今まで剣術を授けたと思うておる!?今この瞬間のためぞ!!」

何と言われようと幼い妹と面影を重ねてしまっては斬れるものも斬れぬ。
このとき拙者はあらぬ限りの声で叫んだ。

「斬りませぬ!何と言われようと斬れませぬ!!」

拙者の初めての反抗に父は切れた。
さっと拙者に寄ったかと思うと刀の柄を掴み拙者を張り飛ばす。
反動ですらりと刀が抜けた。
運が悪ければ斬られていた。
否、父は役立たずの拙者を斬るつもりだったかもしれない。
だが拙者は無傷で畳に転がった。
あとは阿鼻叫喚の地獄絵図。
血が飛び散り、あの幼い若は首と胴が離れ…。



どこをどう逃げたのか全く覚えていない。
こんなはずじゃなかった。
腕試しのつもりだった。
御前試合をするのかと思っていたのに。
あとで聞いた話しだが、あの若君は藩主の落とし胤であの乳母と思った女性の実子らしい。
わが子を藩主にしようと暗躍中のさなか、罠とも知らず拙者を年の近い護衛にと薦められたそうだ。
あの少年が正当な跡継ぎだったら、拙者が父を諌められれば、こんなことは起こらなかったかもしれない。
今さらそんなことを言っても…無駄である。

『闇に落ちた少年』に続く

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