08/11の日記

15:23
新卒切り・対策
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※ここから先は現代社会の闇がテーマになっています。
世の中への不信などに繋がる可能性がありますのでご注意下さい。

今更だが最近話題の新卒切りの記事を書こうと思う。
要は対応策はあるのかと言うことだ。

これから就職する人はぜひ各メディアの新卒切りの記事を読んで対策を立てた方がいい。
正直、内定切りよりもひどい。
「新卒切り」当事者たちの告白と言う記事を読んだところほとんど首にするのを前提にして内定を出しているのだ。

最初から雇う気がない。
そのため、入社後に研修と研修終了後に適応テストのようなものがあるらしい。
記事で告白をした女性は、ほとんど嫌がらせとしか思えない扱いを受けて、上司に退職を畳み掛けられたという。

実際は解雇に近いが、自ら退職させているため実質の都合退職になる。
企業が狙うのはこの都合退社だ。
不当解雇では問題があるが、自ら止めれば問題ない。
事実、社内いじめなどもこういった会社側の都合が圧倒的に多数を占めている。

では対策はあるのか?
これには様々議論があると思うが、俺が進めたいのは日記だ。
Webなどではなく、ノートに直筆で書くのがいい。
実際に新卒切りや社内いじめで止めることになった場合に、日記に今までの不当な扱いがあれば裁判を起こして損害賠償を得られるケースもあるのだ。
日記には出来るだけ多くの固有名詞を出すのがいい。
特に上司の名前などはフルネームで記載しておくのも悪くない。
言われたこと、されたこと、その時の自分の精神状況など細かく書いておくと裁判等で証拠となることもあるのだ。
新卒切りをしようとする疑いがある場合は、同僚同士でメールなどで情報の交換をしてかつそのメールを保護しておくのもいい。
受信履歴、送信履歴ともに重要な証拠になるだろう。

裁判を起こして、本来自分が稼ぐはずだった年収分くらい得られればいいのかも知れない。
出来れば年収の三年分くらいはもらいたいところだ。

なにせ、新卒切りは一人の人間の人生を狂わせるのだから。

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11:20
性行為について
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<警告!>
この日記は性行為(SEX)について論じています。
性行為についてトラウマ、嫌悪を持つ方はお読みにならないようお願いします。
以降、自己責任の上でお読みください。




Yahooのニュースに面白い記事があった。
女子大学生の「性」と「男子」と言うタイトルで、性に対しての女性の焦りが書かれている。
詳しい内容は記事の方に譲るとしてここでは俺の性について論じたい。

記事によれば、二十歳までに処女を捨てる事が一定のステータスとして女性社会では認められるらしい。
二十歳までに経験をしていなければいわゆる「遅い」と言うレッテルが貼られるのだ。
若い女性に程、このレッテルに強い反応をするらしい。

その記事を読んで俺は思う。
焦る必要なんてないと。
そもそも性行為とは子孫を残すための行為。
生物学的に言えば、種の保存が主な目的である。
生命の危機が訪れると性欲が増すということを聞いたことがある人もいるだろう。
それはつまり「自分は死ぬ」だからこそ「自分の種」を残し「種が絶滅」しないようにするのだ。
この事から言っても、性行為がいかに生物にとって重要かは分かるはず。

それでは現代において性行為の何に問題があるのか?
これがテーマになる。
現代の性の問題はそのままYahooニュースの記事に通じてくる。
これは俺の主観ではあるが、現代の性の問題は即ち哲学的概念の欠落と言うことになる。

哲学的概念と言うと少々小難しいので砕いたいい方をすると正しい認識と言うことになる。
では性の何が正しいのか?
性行為は子孫を残す行為ではあるが、人間としてはほかにも意味がある。
いわゆる快楽と言うものだ。
言葉を分解すると「快=こころよい」、「楽=たのしい」となる。
つまり楽しいことが快いわけだ。
性行為ではこの楽しいが気持ちがいいに摩り替わる。
人間が快楽を感じるときは様々だ。
難題を解決した時の感覚に快楽を覚える人。
人のために尽くすことで快楽を覚える人。
性行為に快楽を覚える人。
また、人を殺すことに快楽を覚える人。
最後のは極端かつ危険ではあるが、人間何に快楽を覚えるかは各個人によるのだ。
だが、共通して言えることはそこに快楽を感じることになる。

さて、性行為について話を戻そう。
生物学的に言って人間が快楽を求めるのは間違いではない。
人間は「苦痛」より「快楽」を求める。
大きく分けるとこの二通りで人間は行動することにもなる。
性行為はどちらかと言えば快楽に分類される。
人間の構造上、たいていはこう作られている。
例外もあるので、全ての人間に当てはまらないこともあるのをご理解いただきたい。
そして、Yahooニュースの記事から引用すれば二十歳までに処女を捨てていないのは「遅い」と言うレッテルを貼られる。
これはどちらかと言えば「苦痛」に分類されるのだ。
また、上記のステータスを満たしていてそれを誇るのであれば「快楽」に分類される。

先に述べたように人間は「快楽」を求める。
これは体が感じるものだけでなく心が感じるものも同様だ。
つまり二十歳までに処女を捨てたステータスを持つことでもてはやされれば「快楽」になり、捨てていないことで馬鹿にされるのであれば「苦痛」になるのだ。

ではどうして、二十歳までに処女を捨てることが「快楽」になり終わっていないことが「苦痛」になるのか?
ここに哲学的概念としての価値観が出てくる。
外からの情報に自分の脳が価値を見出してしまう。
これには育った環境にもよるので全ての人間が同じ価値観を持つことはないが、ある程度の共通性はもたれる。
自分と周りの価値観の共通性から自分たちの周りにある情報を統合して作られるのだ。

今回の場合は二十歳までに処女を捨てると言う事に焦点が当たる。
この価値観を生み出すものはメディアだ。
マンガ、ドラマ、映画、小説なんでもいい。
これらのメディアから得られる情報に性行為に関する価値観もおのずと入ってくる。
とりわけ少女マンガには性の描写が多い。
少年マンガにも無いわけではないが、激しさは少女マンガの方が上である。
男の場合はいわゆるアダルト誌やアダルトビデオでそれらを知ることになる。
環境にもよるが男女とも早ければ十歳前後でそれらに興味を持ち、かつ情報を収集する傾向があるようだ。
話を戻そう。
男女での情報の収集の違いを論じるならば、男性が得られる情報としての性行為は「男の自己満足」で終わらせていることが多々ある。
一方的な性暴力や女性に対する淫らな行為の強要などの描写だ。
これが男性の性行為に関する価値観になり、様々な社会問題になる。
この問題が男性向けの雑誌や書籍、メディアへの児童ポルノを始めとするポルノ規制に繋がるのだがその話題はまたの機会にしよう。
では、女性の場合はどうか?
これは恋愛と結びつけられ「性行為をする」ことは「愛されている」ことに繋がるのだ。
また描写的に快楽を得られるように描かれている。
男側の情報と違い、これはとても綺麗に描かれているのも特徴だ。
この描写が女性に愛のある性行為が満足感や幸福感を得られるという価値観を生み、心理的に刷り込まれてしまう。
またこれによって処女を捨てることにもなるので、同様に性行為未経験者からすれば「初めての性行為=処女を捨てる」と言う認識も成り立つ。
もっとも初めては好きな人にと言う価値観の描写もあるので貞操感がしっかりしている人もいることも追記しておく。
これは統計を取ったわけではなく、社会的問題とメディアの内容の因果関係を考えただけなので問題はもう少し複雑かもしれない。

ともかく、以上の事から女性向けメディアに描かれる幸福感が女性に憧れを抱かせることになる。
また友人同士の話題に性行為や処女を捨てたことが出てくると興味がよりいっそう沸きやすくなるのだ。
メディアの情報より身近な情報の方が実感があるからなおさらである。
こうして、早く処女を捨てた方が格好いい、大人になったんだという与えられた認識が成り立ち、捨てていないことへの焦りが生まれるのではないかと俺は考えるのだ。

終わりにする前に、余談をひとつ。
良く、男性からの性行為の申し出に対して女性は断ると嫌われると思いがちと聞く。
もし、そういう価値観があるなら捨てて欲しい。
性行為を断って嫌いになる程度の男だ。
どう考えても体目当て以外の何ものでもないと思うのである。
だから断っていいのだ。
嫌われていいのだ。
これは女性に対する最大の侮辱だと俺は思うからである。
女性はおしとやかの方がいいとはよく言われる。
俺もその方が好きだが、それは古来より作られた日本男性によって作られた日本男性にとって都合のいい女性の価値観でしかない。
だから強い意志を持って断ることが大事なのである。
もう少し言うと、おしとやかの中にも確固たる強い意志を持つ事なのだろう。

冒頭に焦る必要はないと俺は言った。
これの意見は変わることはないと俺は思っている。
大切なのは周りの価値観に流されないこと。
そして哲学的概念としての価値観を自分で見出すことだ。
これも結局はメディアに頼らざるを得ないのだが、トルストイ、ルソー、シェイクスピア、カントなどの文学者、哲学者から学ぶのがいいだろう。
なぜならば、彼らは普遍的な答えを探しているものたちだからだ。

もしこの記事を読んだ人たちが少しでも現代の歪んだ性価値について真剣に考えてくれることを、と切に願う。

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