短編
□牙を抜かれた
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大雨の夜だった。
確か明日まで続くはずだ、と一方通行は天気予報を思い出す。
彼はシャワーを浴び、能力によって一気に水分を飛ばしたところだった。
冷蔵庫から缶コーヒーを取り出しゴクリ、と飲み干す。
コーヒーのストックは当分大丈夫だ。
傘要らずの彼であっても雨の日の外出は億劫だ。
明日は思う存分引きこもるつもりである。
と、その時インターホンが鳴った。
時刻は8時半だ。
新聞やセールスにしては遅い。
一方通行は訝しげな顔をしながら衣類を身に付けた。
そうしているうちに、もう一度インターホンが鳴る。
気だるげにドアを開けるとずぶ濡れになったおなまえだった。
傘は持っていたが、酷い雨風を前に傘など気休めにしかならないのだろう。
彼女は眉をハの字にしながら遠慮がちに告げた。
「ごめん一方通行、部屋の鍵を失くしちゃった。もう管理会社の人、家に帰っちゃったみたいで……泊めてもらえるかな?」
一方通行は大げさに溜息を吐いた。
「何で俺ンとこ来ンだよ……」
「だって一番仲良いの、一方通行だし……」
時期はまだ6月。
高校に入学し、今までの友人たちとはお別れをして間もない時期だった。
新しい友人はできているのだろうが、まだお泊まりをする仲ではないのだろう。
たしかに彼女と付き合いの長い身近な知人は一方通行だけだ。
ごめんなさい、と消え入る声が聞こえた。
「それでもよォ……あ”ー、俺は信用されてるワケ?」
「うん?」
「危機感とか、ねェの?」
「一方通行のことは大好きだけど、駄目なの?」
「…………」
一方通行は困ったように頭を掻いた。
会話がイマイチ噛み合っていない。
目の前の少女は何もわかっていないのだ。
今の彼女はオオカミの棲家にまんまとやってきた、赤ずきんであることを。
彼がおなまえにどう返答しようか思い悩んでいたが、彼女がくしゃみをしたことで我に返った。
自分さえ耐えれば良い話なのだ。風邪をひかれては後が大変だ。
一方通行はおなまえの頭をポンと撫でる。
「まァ事情が事情か……。わァったから早く上がれ、ンで風呂入ってこい」
「うん、ありがとう!」
「これきりだから、もォ鍵なンぞ失くすンじゃねェぞ!」
「わかってるー!」
浴室からシャワーの音が聞こえる。
一方通行はソファに横になり、目を閉じた。
このまま寝てしまおうと思っていたが、おなまえが今シャワーを浴びていると思うとどうも動悸がしてしまう。
それに先程から、咽喉が渇いて仕方ない。
コップ一杯の水で潤そうか。
一方通行は台所へと立った。
「あったまったー」
ほっとしたような、幸せそうな独り言が聞こえた。
おなまえがあがったのだろう。
一方通行が出入り口に目をやると彼はソファからずり落ちるところだった。
おなまえは一方通行のシャツを来ている。
勿論それは彼が着替えにと用意したものだったのだが――
――なンつゥ悩殺的なカッコしてやがる!
シャツをワンピースのように羽織っただけ、という恰好だった。
それに湯あがりで頬は紅潮していて色っぽい。
仮にも男子高校生である一方通行には目に毒な光景だ。
「オマエ、下は?」
「大きくてずり落ちちゃったから。シャツだけでもこの長さがあればいいかなって」
そう言っておなまえは裾をつまんで見せた。
一方通行はそれを無意識に目を追ってしまったのに気付き、自分が嫌になる。
それにまた咽喉が渇きを訴えている。
ついさっき、コップ一杯の水を飲んだというのに。
「まさかここまでぶかぶかだとは……一方通行も男の子なんだねぇ」
――俺にどォしろってンだよ!
一方通行は頭を抱えた。
自分にどんなリアクションを期待してそんな台詞を口にしたのか。
今のおなまえの姿は据え膳でしかなかった。
そうしているうちにおなまえは一方通行の隣に腰かけた。
シャンプーと微かに汗が混じった香りにクラクラしてくる。
――まずい。
一定の距離を保たないと関係を崩しかねない。
一方通行はおなまえと離れるべくソファの端に寄った。
しかしおなまえは一方通行の考えなど知るよしもなく、彼の方を向き首に顔を寄せた。
彼女はふにゃり、と溶けるように笑う。
「一方通行とおんなじ匂いだ」
「……っ!」
一方通行は身体中の血が沸騰するのを感じ、衝動的におなまえを押し倒していた。
こうして見下ろすと全てが自分のものになったように錯覚する。
戸惑った様子のおなまえの耳に唇を寄せた。
「オマエさ、イイ加減にしろよ」
ハァ、と熱い吐息が耳にかかり、おなまえは思わず目を瞑った。
「オマエは今男の部屋に来てンだ。警戒しろ」
「……」
「次はこれじゃ済まさねェから」
おなまえは頬を紅潮させ、口元を袖で押さえていた。
その目は潤んでおり、一方通行の劣情を掻き乱した。
「もう、くっついちゃ駄目なの?」
「……は?」
「ぎゅってしたらいけないの?」
「……オマエには、」
一方通行は息を飲んだ。
咽喉は乾きを覚え、心臓は早鐘を打つようだった。
おなまえに吐息がかかるほど顔を近づける。
「こォいうことされる覚悟、あンの?」
怯えられるのだと、拒まれるのだと、思っていた。
だからこそこんな脅しをしたのだ。
だが一方通行の予想に反し、おなまえは小さく頷いた。
彼女が目を瞑ったのを見て、一方通行も唇を押し付ける。
子どものような触れるだけのキスだった。
唇を離すとおなまえの目尻から涙が流れた。
それを舐め取ると囁く声が聞こえた。
「一方通行、すきだよ」
「俺も好きだ」
長いこと咽喉につっかえていた言葉だった。
積もり積もった愛おしさにおなまえを抱きしめる。
一方通行は今までの乾きが嘘のように満たされていることに気がついた。
狼は赤ずきんによって、牙を抜かれていた。
end