中編

□お稲荷様パロ(タイトル未定)
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裏で取れた山菜を切りながらおなまえは溜息をついた。

このままでいいのだろうか。
戦場になった故郷では、家もなく飢えている者もいる筈だ。
おそらくそういった者が大半だろう。
衣食住に不自由していないおなまえは恵まれている。
かといって今の生活が幸せとは思えなかった。
山での暮らしは正直、不便だった。
食べ慣れた食材はないし虫は多い。
交友関係のあるものはなく、話す者と言えば仕えている神様だけ。
人の里で、平凡に慎ましく暮らしたい。
そう思うのは贅沢なのだろうか。

「……」

社務所の居間をちらりと覗いた。無人だ。
さきほど社を通ったがそちらにもお稲荷様はいなかった。
彼は社を開けている。
山を下りるならば今のうちか。





「おなまえ?どこだ?どこにいる」

社、社務所、敷地内をくまなく探すがおなまえの姿はどこにも見当たらない。
まさか、逃げたのだろうか。
社から出て彼女を探そうとした時、秋風が吹き抜けた。
放っておけと、自分の一部が溜息がちに語りかけた。
此処に置いてもいずれ死ぬ存在だと。
あの娘がどこにいようと結果は同じだと。

「……」

その程度で足を止められれば苦労しなかった。
俺は山を下るようにして駆けた。
木々の間を縫うようにして数十分。
見つけた。白と赤の巫女装束。
まだ紅葉の時期でないこの山では目立つ。
おなまえの姿を見つけるなり、彼女の腕を掴む。
おなまえは自分の存在に気付かなかったのか驚いたようだった。

「聞いたことねェか?狐は執念深いって」
「……お稲荷様」
「逃げるな、」

腕に爪を食いこませた。
鋭く尖った爪は皮膚を破り血を滲ませた。
おなまえは顔を歪めるばかりだった。

「俺を裏切るな。オマエが逃げるってンなら……」
「……っ!」

逃がすくらいなら食ってやる。
俺はおなまえを押し倒し彼女の首に顔を埋めた。
そして口を開き、噛みついた。
犬歯が白い肌を突き破り血が流れる。
鉄の味がした。

「……泣いてるんですか?」
「……そンなわけ、ねェだろ」

いつの間にか、頬を熱いものが伝っていた。
この人間が必要だと、認めたくはなかった。
下にいる彼女は首から血を流し、苦しげに息を吐いていた。
流れた血液は装束の白を汚し、赤く染み込んだ。
おなまえを見下ろしながら俺は迷っていた。
本当にこの人間を食べてしまってもいいのか、と。

「オマエは、命乞いしねェのか」

このまま彼女を喰らわずに済む理由が欲しくて訊いてみた。
おなまえが黙っていると、水滴が彼女の頬に落ちた。
涙かと思って舌打ちをした。目を拭うが、違う。雨だ。
徐々に激しさを増す雨にこのままではいられない、と身を起こした。
彼女を生かすつもりがあるのなら、こいつを冷やしてはいけない。
おなまえを抱きかかえると彼女は訝しげな眼差しを向けた。

「……戻るんですか」
「いや、近くに洞窟がある」




パチパチ、と枝の爆ぜる音がする。
狐火で火を焚き、濡れた衣服を乾かしていた。
おなまえは心もとない恰好になってしまったので俺の羽織りを貸した。
首の傷には引き千切った布を巻いて止血している。

「あなたを裏切ったのに、随分親切ですね」
「……人が脆いことくらい知ってる」

羽織りを貸したのは風邪をひかれてはたまらないからだ。
風邪などでも肺炎になれば大ごとだ。

「思えばあなたは最初から親切でした。私を此処にいさせたこと以外は」
「……出てくなら、理由くらい聞かせろ。できるだけの希望は聞いてやる」
「……お米が食べたいのです」
「ならば買ってきてやる。人里は近くはないが俺には可能だ」
「お豆腐もですか?」
「買ってこよう」

俺に食事は必要ないが、人という生き物と暮らすのだ。
それくらいは譲歩しようと俺は頷いた。
しかしおなまえはまだ浮かない顔をしている。

「……でも、私は人です。人は人といたいものです」
「……俺ではだめか。俺では……」
「人の中で暮らし、いつか子を為して生きた証を残したい」

この山に人はいない。
ここにいては証を残すこともできない。
俺はどうすることもできず、ただ唇を噛んでいた。
既におなまえを食べようとする気持ちは消え失せていた。
そんなことをして彼女の命を断っても何も残らない。虚しくなるだけだ。
ザアザアという雨の音と焚火の音だけが聞こえる。
沈黙に耐えかねたのか、おなまえは思いだしたように口を開いた。

「さっき……見晴らしの良い場所に出た時、廃れた集落が見えました」
「あァ……俺を信仰していた里だ」
「あの里はいつからこうだったんですか?」
「50年か100年前か、流行り病で大分減っちまって、過疎でな」

おなまえはそうですか、と呟いた。
それ以上、何も言わなかった。





やがて雨が止み、服も乾いた。
雨が上がるまで待っていたせいで、日は傾いてしまった。
おなまえは乾いた服を着直し、身支度をしている。
ここでお別れか。俺はその様子を目を細めて眺めていた。
だが、彼女は準備が整っても此処を離れようとはしなかった。
ただただこちらを見据えている。
いつまでも此処にいられては未練が残るではないか。
俺は訝しげに思いながら、威圧するように声を出した。

「……?行けよ、天邪鬼かオマエ」
「逃げるなと言ったり、行けと言ったりなんなんですか」
「オマエこそ。逃げるなと言ったら逃げたし、行けよと言ったら此処にいるンだな」
「……」

長い沈黙が降りた。
やがておなまえは洞窟を出て元来た山道を歩き始めた。
山を下るのでなく、上り始めたのだ。
様子を窺うように追いかけるとぽつり、と空気が震えた。

「情です」
「は?」
「……情が沸きました」
「そォか」
「そうです」





結局、この山に残ってしまった。
翌日、私は見晴らしの良い場所に来ていた。
見えるのはかつてお稲荷様を信仰していた集落だ。
あの里のことを離すお稲荷様は寂しげで、いつもピンと立っている耳はペタリと垂れていた。
おそらく本人は気づいていないのだろうが、その姿が哀れで放っておけなくなってしまった。
秋が近付き少し冷える。
首を竦めると傷が痛んだ。
あの後帰宅すると、お稲荷様は首の傷に薬(どうやら手作りのようだ)を塗り、布を巻いてくれた。
負い目を感じてのことだろうが、彼の優しさが嬉しくて笑みが零れた。

「ここの生活も、悪くないかもしれません」

そう呟くと、背後から低い声がして肩が震える。

「こんなところにいたのかよ、帰るぞ」
「……っ、お稲荷様、いつからそこに?」
「たった今だ。なンだよ?」

振り返ると少し顔色の悪いお稲荷様がそこにいた。
心配させてしまった、と反省する。
安心してもらおうとお稲荷様の手を握った。

「いえ、帰りましょう」
「あァ」





To be continued...
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