□みえない
1ページ/1ページ


 
「モール、コーヒーを淹れたわ」

テーブルに淹れたてのコーヒーを置く。

「ありがとうございます」

「ううん、
――ねえ 隣座って良い?」

「貴女の部屋の貴女のソファなんですよ なぜ私に聞くんです?」

モールは小首を傾げた。

「なんとなく」

私はにこ、と笑ってモールの隣にすわる。


「いただきます、
ん とても美味しいです」

コーヒーを一口嚥下して、
暗いサングラスの向こうの眼が笑った気がした。

「ありがとう、わたしも早くのみたいな。猫舌を恨むよ」

ミルクを入れマドラーでくるくると混ぜる。

「ソフィア」

「うん?」

不意に彼に呼ばれたので、手を止めて声の聞こえたほうへ目を向ける。



きゅ



「……好きです」

優しく抱きしめられた。
驚きもしたけど、それ以上にすごく嬉しくて
ゆっくりと身体を彼に預けた。

「私もすき」

落ち着いたモールの匂い。
そっと髪を撫でると、さらりと指の間から零れ落ちてしまった。

「私はあなたが見えない。貴女がどんな顔で笑うのか、泣くのか、怒るのかもわからない」

私は黙って小さく頷く。

「髪の色も、肌の色も、目の色も、私に知る術はないのです」

言葉が喉のおくで絡まって、つまってしまう。苦しくて、すがりつくように私もモールの背中へ腕をまわす。

「ソフィア」

彼はもう一度私の名を呼び、
次に感じたのは 甘い痛み。

「っ……」

かり、と音がして右の耳たぶが熱くなった。
突然の痛みに、私はモールの背中を指が食い込むくらいきつく抱きしめていた。

モールは静かに私の耳たぶから伝い落ちる血を舌ですくう。

「こうやって貴女の血を口にすると、貴女が生きていることを強く実感できるんです」

痛みが落ち着き、きつくモールを抱きしめていた腕は徐々に力を緩めていった。

モールは私の髪をゆっくりとすく。

「口のなかに、熱い苦味が広がることで 貴女の生が初めてわかるのです」

温かさや、柔らかさでは、まだ安心できない

小さく、小さく呟いた。


「モール」

幾千もの言葉の代わりに、私は彼の名前を呼ぶ。

「私は生きているわ」

音もなく一筋の涙が頬を流れ落ちたことを、モールは知っているのだろうか。

「コーヒー、冷めたかな」

「ええ 飲める温度になったでしょう」

しかし、私達はどちらも腕を離そうとはせず、モールはまた私の耳たぶに舌を這わせた。


ゆっくりと目を閉じると、
ふわりとコーヒーの匂いがした、
モールの匂いがやわらかく混ざっている。

耳は熱くモールを感じていて、

手は、彼のすこし細い背中をなぞるようにして彼を確かめている。

私も唇を軽く噛んでみた。
じわりと苦い味が口いっぱいに広がる。


これが、わたし


彼の真っ暗な世界のなかで、私はどう見えてるのかな。
焦点の定まらない閉じた目のなかでモールを探し求める。


でも、そうしたらなんだか急に不安になって。

「すき」

幾万の言葉の代わりに、私はモールへ愛を伝えていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
purple loosestrife―愛ゆえの悲しみ―

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ