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□ノート
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私達は長い時間を生きている。
正確には、‘生きている’とゆう表現は間違っているかもしれない。だが聞いて欲しい。少なくとも、私が私と意識し、何かしらの思考力があるならば、生きていると自覚しても差し支えないのではなかろうか?
私は、始めを知らない。 常に誰かの所有物だった私は、やはり始めがあるのだろう。思い出せるのは、私が前所有者を失い、久しく独りでいた頃までである。所有者不在の事態は異常とも言うべきで、しかし、自らの力では如何ともしがたい有様であった。
私は待った。いずれまた、所有者たる者が私を手に取ることを。
そして、所有者を得た。
私は奪い、私は与える。力関係における簡単な図式、或いはアイデンティティー。
物事には常に二面性もしくは見方による違いが存在する。これは持論である。大袈裟だが、摂理と言っても差し支えはない。私を知れば多少なりとも理解して頂けるはずだ。
私は私を介して、所有者へ寿命のやり取りを行う。他者の寿命を奪い、所有者に寿命を与える。書かれた内容の発動と、結果が、私を形づけていた。
そうやって長い時間を、見続けてきた。
私達には名前がない。
奪うという側面のみをあげつらい、通称ノートこと
デ ス ノ ー ト
と、呼ばれた。