あの日の君は、
□安閑恬静
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期末考査が迫ってきている。
ある種の地獄と言っても過言ではないだろう。
悪い点数を取らないためにも、テスト勉強に勤しむしかない。
範囲をメモしていた美雪のところに近付く、一人の青年。
「美雪、悪ぃけど数学教えてくんねぇか?」
放課後。平和島静雄が数学の教科書を片手に、美雪に聞いてきた。
「いいけど……私もあんまり得意じゃないよ?」
「嘘つけ、結構いい点だって門田から聞いたぞ」
「そうかな…?まあいいや。どこが分からない?」
「お。サンキュ。…ここの問題なんだけどよ…」
十数分後
「なるほどなー!こうやって解くのか!」
美雪に教えてもらった通りに解くと、答えを導き出すことができた。
静雄は子供のようにはしゃいでいる。
「ありがとな!すげぇ分かりやすかった!」
「あ、ほんと?あんまり自信なかったんだけど」
子供のような笑顔に、美雪も笑みを零す。
静雄は教科書を鞄にしまうと、帰り支度を始めた。
美雪も勉強道具をしまい、鞄を持つ。
「行こっか、静雄」
「おう」
♂♀
廊下で美雪たちの教室へ行こうとしていた門田と会い、そのまま下駄箱へ向かう。
ローファーを履いた美雪が思い出したように言う。
「あ、二人に提案なんだけど。今度の土曜日に勉強会開かない?」
「…俺はいいぜ」
「俺も。分かんねぇところあるし」
門田と静雄の了承を得て、美雪は嬉しそうに笑う。
「じゃあ私の家に集合でいいかな?」
「了解。土曜日だな」
「うん!」
二人は勉強会が楽しみだとは、言わないことにした。
♂♀
時間は進み、土曜日がやって来た。
美雪の住むアパートまで来ると、門田と静雄は同じタイミングで鉢合わせした。
「……よぉ」
「?…あ…門田か」
二人とも私服を着ている。
門田は深く帽子を被っているため、静雄は声を聞くまで彼だとは気付かなかったようだ。
美雪の住む部屋まで来ると、インターホンを押す。
少し間があり、ドアが開いた。
中から私服姿の美雪が出て来て、二人は一瞬ドキッとした。
静雄は私服の美雪を見るのは初めてだ。
幼なじみである門田でさえも、久しぶりに見る私服姿に若干見とれてしまった。
「二人とも、今日は頑張ろうね!」
ドアを開けて開口一番がこの台詞だった。
中に通されて、靴を脱ぐ。
リビングのような部屋に、テーブルと座布団が置かれている。
女の子らしいところといえば、小さなぬいぐるみが一つだけ置いてあることだった。
その他を除けば、シンプルな家具が備えてあり男性の部屋と間違われるのもおかしくはない。
一人暮らしをしている美雪にとって、生活に必要なものしか要らないのだろう。
静雄が小さなぬいぐるみに目を奪われていると、美雪がジュースを運んできた。
静雄の視線の先にいたものに気付く。
「ああ、そのぬいぐるみ?小さい時に京平がくれたんだ」
「ば……ッ!」
照れているのか、視線を何処かへやる。
帽子を脱いでいたため、オールバックの幼なじみの表情はまる見えだ。
「…私が泣いてた時に、やるって言ってね。嬉しかった」
まだまだ幼かった小さな少女。
一人が怖くて寂しくて、泣いている時期が多かった。
そんなとき幼なじみが差し出した手には、可愛らしいぬいぐるみが握られていた。
男がこんなものを渡すのが照れ臭いのか、それとも好きな女の子に話し掛けたのが恥ずかしいのか。
まだ名前も分からなかった幼なじみは、俯いて黙ったままそれをずっと差し出していた。
少女は顔を上げ、それを受け取った。
その瞬間、少年は走り去ってしまったが後で『門田京平』という名前を知る。
それ以来、このぬいぐるみは少女と常に一緒にいるようになった。
大人になるにつれ、ぬいぐるみはどんどんボロボロになっていく。
しかし、このぬいぐるみは、少女の孤独感を消し去ってくれた宝物となっていた。
「……あんまガキの時のこと思い出させんな」
ぶっきらぼうに言うが、赤い耳や顔で全く怖くない。
「ふふっ。…これは、私の唯一の宝物」
美雪の住む家には、家族写真や家族に買ってもらったおもちゃなどは一切ない。
あまり裕福ではなかったし、何より母が、父との思い出を全て捨てた。
二度と戻らない幸せな家庭。
写真を破いていた母の横顔は、父への想いも一緒にビリビリに裂いているように感じた。
悲しそうに目を細める美雪に、門田と静雄はどのように声を掛けたら良いのか迷う。
二人の迷いも束の間、美雪は笑顔に戻った。
「あ……ごめんごめん、勉強しなきゃね!」
勉強道具を机の上に乗せる。
わざとらしく紙をめくる音に、耳を暫く支配されていた。