あの日の君は、
□鎧袖一触
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♂♀
「……今、何て言ったのかな?」
臨也は目の前にいる青年を、ほくそ笑みながら見つめた。
「聞こえなかったのなら、もう一度言ってあげますよ。
折原臨也さん。美雪、返してもらいますね」
先程と全く同じのイントネーションだった。
録音した声を再生したかのようだ。
「君、美雪の知り合い?」
問えば、和人は首を横に振った。
「彼女は俺を知りません。ですが……俺は美雪を知っています。身長、体重、生年月日、血液型、スリーサイズ、交友関係……後、過去に何があったのか、そのことも全部知っています」
「残念。一つ付け加えなきゃ、美雪は俺の彼女ってね」
すると、和人はそんな臨也を鼻で笑った。
「それは"ビジネス"でしょう?正式な恋人同士ではありません。……それに俺、これから美雪のこと口説き落とすつもりですし」
──何だコイツ。
──シズちゃん並みにイライラするなぁ……。
「……君の言いたいことは分かったから──どいてくれないかな」
ナイフを突き付けても、反応のない和人。
寧ろ、ナイフを持った臨也を見て笑った。
和人はポケットから細長い鋭利なものを、ダーツのように投げる。
間一髪のところで避けた臨也は後ろを向き、投げられたものの正体を確認する。
コンクリートに突き刺さっているのは、大振りの針。
「今の、よく避けましたね」
「これでもシズちゃんと何度も命のやり取りしてるからさ。こんな貧相なヤツ、躱せるに決まってるじゃないか」
臨也の発した『シズちゃん』に、和人は思い出したように、ああ、と言った。
「美雪のことは心配いりませんよ。今、平和島静雄さんが彼女のところに行ってますから。ホントは俺が行きたかったんですけど、下手したら死んじゃうんで」
「ふーん……ていうか君さ、話長いよ。言いたいことは分かったから、まあ、帰れ」
ナイフをしまい、追い払うようにシッシッと手を揺らす。
「美雪は俺のものですよ?折原さん」
「……早く帰らないと、俺のナイフも君みたいに投げるかもね」
♂♀
「来たなァ平和島静雄!」
廃ビルに響く男の低い声。
「手前ら、美雪を何処にやったんだ、あぁ!?」
更に響くのは、額に血管を浮かばせた静雄の怒気をたっぷりと含んだ声。
柱に縛られた美雪を親指で示しながら、負けじと叫んだ。
「この大事な大事な女を助けたかったら、俺らに大人しくボコられろ!この前の仕返しだ!」
男の何気ない一言が、静雄の怒りの頂点を超えさせる。
「……手前ら俺に殴られた恨みがあるから美雪をさらったんだな……?」
低く、地に響く恐ろしいトーンに、男たちはビクッとしながら怯む。
「……美雪は関係ねぇのに巻き込みやがって……」
──このクソ蟲野郎どもがァアッ!!
静雄の叫び声で男たちの顔に冷や汗が滲む。
「……ま、待てやコラァ!女がどうなっても構わねぇのか!?」
「……本当に俺を殴ったら、美雪を解放すんだな?破ったらどうなるか……分かってんだろうな?あぁ?」
破った場合──最悪、死ぬ。
慌てて首を縦に振ると、殴れ、と言わんばかりに集団の前に立つ。
口の布を外すことが出来た美雪が、静雄に向かって言う。
「静雄が殴られる必要なんてないッ!!早く……早く逃げてッ!!」
「黙ってろ!」
ピシャリと叩かれ、美雪の頬が赤くなる。
それを見た静雄が、狂ったように叫んだ。
「殺すッ!!」
男たちを次々と殴り飛ばすと、床に血痕が残る。
気絶した男を睨みつけながら、再び殴ろうと胸倉を掴んで高々と上げる。
一発、二発と殴ると、男の顔に青い痣ができ、血が飛ぶ。
「や……やめて静雄!!」
当たる直前に静雄の手が止まり、男を離す。
血がついた静雄の顔が、こちらを向いた。
ゆっくりと近付き、美雪を縛っていた縄を外す。
「……静雄……?」
静雄は俯いていた。
美雪の顔を見るのを躊躇っているようだった。
「……ごめんな……」
「静雄……血が……」
顔を上げさせ、ハンカチで頬の血痕を拭く。
その手を、静雄の温かな手が包む。
「美雪……ッ」
──またやっちまった……
──また恐がられる……
「……大丈夫だよ」
目を開いた。
美雪は優しく微笑んでいる。
「恐く……ねぇのか、俺のこと……」
「恐いなんて、何で思うの」
笑いかけてくれる彼女がぼやける。
「泣かないで、静雄」
子供をあやすように抱きしめ、背中をぽんぽんと優しく叩く。
「大丈夫だから」
静雄は美雪に抱きしめられながら、静かに涙を零した。
♂♀
優は臨也のマンションの前に立っていた。
つい先程、門田達と別れ、そのまま新宿へやって来たのだ。
露西亜寿司で静雄が去った後、門田が口を開いた。
ダラーズのボスが誰なのか問うた時、門田は何故かすぐには口を開かなかった。
しかし、とある名前を聞いた途端、その理由が分かった。
『ダラーズのボスはおそらく、折原臨也が知ってる』
今朝あんなことがあったせいで、彼にはあまり逢いたくない。
だが、必要なことを知るためには仕方のないことだ、と優はマンションの入口へと足を進めた。
「こんにちは」
そこには、にっこりと笑う青年がいた。
臨也は今、美雪の元へ向かっているため、ここにいるなど有り得ないが、優はそんなことは知らない。
青年──月影和人が、屈託のない笑顔で優に挨拶する。
警戒するように睨むが、和人はその視線を流す。
「俺、君にも会いたかったんだよね。優くん」
「!?お、俺の名前を……?」
にこにこ笑う男は、何を考えているのか。
苦手だ、と瞬時に感じた。
折原臨也の様な、裏がありそうな笑顔。
口元が上がった唇が開く。
「折原さんの所でバイトしてるんだってね」
「……関係ないじゃないですか」
視線から逃れるように、目を斜め下に逸らす。
「君、折原さんのこと嫌いだろ」
疑問形、ではなかった。
はい、とも、いいえ、とも言えず、優はただ黙るばかり。
「隠さなくていいよ。俺も、あの人だけは苦手なんだ」
臨也の知り合いなのだろうか。
そうでなかったとしても、何故苦手なのか、昔臨也に嵌められたのか。
色々と疑念が渦巻く中、それを口に出す前に、和人は淡々と答える。
「折原さんとは、今日初めて会ったばっかなんだよ。俺、神崎美雪っていう子が好きなんだけど……折原さんが、『俺の彼女だ』っていうもんだから」
忌ま忌ましそうに吐き出すと、和人は優に歩み寄る。
思わず身構えると、何もしないよ、と笑われながら言われてしまい、少し恥ずかしくなった。
「……俺に協力してくれないかな?美雪を、確実に俺のものにしたいんだ」