あの日の君は、

□百年河清
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♂♀

『好きだよ』
折原 臨也に告白され、美雪はこう答えた。

「私ね、臨也のこと好きだよ。最初は苦手だったけど……何時からか、好きなんだって思うようになったの」

「……それ、ホント? 嘘じゃないよね? 訂正するなら今の内だよ」

「嘘なんて言わないよ。ホントに好き」

そう言った直後、臨也に力強く抱き締められた。

「……臨也?」

顔をずらして見ると、耳がほんのりと赤く染まっている。

彼にしては珍しく、照れているようだ。

彼の背中に手を回し、腕に力を込めた。

「好き、美雪」

臨也の声は、今までになく優しく耳に入り込んでくる。

「じゃあさ、美雪は俺の恋人でいいんだよね?」

「うん。……両想いだからね」

未だかつて、彼に抱き締められてここまで鼓動が早くなったことがあっただろうか。
今は、臨也の体温でさえ愛しくなってくる。

「俺が君を好きになったの、高校一年の時だよ。七年くらい片想いしてたんだからね」

「え、そんなに前から? 分からなかった……」

「美雪が鈍感なだけじゃない?」

二人で小さく笑い合った。

そしてまた、臨也に抱き締められた。



   ♂♀

「…………う」

身体中が痛い。

気絶している間に殴られでもしたのか、口の中が切れている。

意識した途端、鉄の匂いと味が口いっぱいに広がった。

「おはよう」

耳に、纏わりつくような声が入る。

「起きないから、死んじゃったのかと思った」

「勝手に殺すな。……やっぱり、姉さんに何かするつもりなんだな」

「当たり前じゃない」

何を言っているの?
そう言いたげな表情だ。

心の中で言えないような悪態をつき、目の前の女を睨み上げた。

「貴方も起きたことだし、お姉さんを呼びましょうか」

女は携帯を取り出し、ボタンを滑らかな動作で打つ。

逃げるなら今しかない。
女の注意が他に向いてる今なら。

優は足に力を入れて立ち上がり、女に体当たりした。

「きゃ……っ!」

悲鳴を上げる女には目もくれず、一気に走り出す。

足が痛いが、気にしていられない。

ーーパンッ

「っ……!?」

乾いている聞き慣れない音。

足を止めて女の方を振り返れば、右手に握られている何かから白い煙が出ていた。

女が口角を上げて笑うのが見えて、優はその場に倒れた。



「今度こそ、本当に死んじゃうかもねぇ……?」

女の嬉々とした声は、優に届く筈もなく、ただ消えていった。




   ♂♀

臨也の電話が鳴った。

美雪を寝室に残し、臨也は部屋を出て電話を取る。

「もしもし。……"シュウコ"さんかな」

『……当たり。凄いわね』

「で、何の用? あ、美雪を出せって言っても君には応じないから。わかるよね? 美雪を追い詰めようとしてるんだからさぁ」

『……まあ、そりゃそうよね。でも貴方の大事な大事な美雪ちゃんの弟くん……死んじゃってもいいなら別だけどね』

「優くん……? ……どういう意味かな?」

『だから、その優って子、私のところにいるのよ。……血、たくさん流してね』

「へぇ……? 君、殺人者になるんだ?」

『別に構わないわよ。一人殺そうが二人殺そうが同じだもの』

ーー駄目だな、この女は。

臨也はそう思い、電話を切った。

寝室のドアから顔を出し、ベッドに座っている美雪の名前を呼んだ。

「……美雪? 悪いけど留守番頼まれてくれない?」

「うん……大丈夫」

「ごめんね。すぐ戻るから」

ファーコートに腕を通し、臨也はマンションを出た。



   ♂♀

マンションを出たはいいが、居場所をどうやって見つければ良いか分からない。

あの女が頻繁に出入りする場所など、興味も湧かないから調べてはいない。

かと言って、当てずっぽうに探し回るのは無謀だし、優のことがある。

時間が掛かってしまえば、命に関わるのは明白だろう

ーープルルル……プルルル……

コートのポケットの中で、音がくぐもって聞こえた。

「……もしもし」

『あ、良かった。ちゃんと繋がった』

こちらとしては全然良くない。
大方、優の携帯から自分の携帯番号を盗み見たのだろう。

『優くんの居場所、教えてあげるわ』

「……は?」

何を言ってるんだ、この女は。

間抜けた声が出てしまい、シュウコに鼻で笑われた。

『嘘じゃないわよ? ちゃーんと案内してあげる』

何が狙いなんだ。

ーー俺を陥れるつもりか?

疑えば疑うほどキリが無くなってくる。

そんな心情が相手にも伝わったのか、彼女が口を開いた。

『嘘って思うならそれでいいわ。……ま、優くんは死んじゃうでしょうけど』

「……じゃあ、案内してくれるかな?」

臨也も口を弧に描いて笑った。

携帯から聞こえてくる声の指示通りに歩いていくと、そこは廃工場だった。

「着いたよ。中に入ればいいのかな?」

『えぇ』

錆びたドアを潜ると、黴の匂いと鉄臭い匂いが混じっている匂いがする。

鼻につく匂いは、決して長時間嗅いでいたいものではない。

「来てくれたのね、折原さん」

「君が来いって言ったくせに、良く言うね」

シュウコの姿は見えないが、声だけは聞こえる。

暗闇に目が慣れてきて、ゴミが散乱している床に誰かが横たわっているのが見えた。

「優くん、さっきから身動き一つしないの。大丈夫かしら、ねぇ……?」

「アハハハッ! 殺人者になるって言うのに、随分冷静だねぇ! どんなことにも動じないのか、それとも……もう狂ってしまっているのかな?」

笑顔ではいるが、話している内容は常人のものではない。

「で、どうして俺を呼んだの?」

「あなたに話があったから。こうでもしなきゃ、私に会ってくれないでしょう?」

「ふーん。本来ならそんなことで行かないんだけど。美雪に害がある奴は、すぐに始末しといた方がいいかって思ってさ」

話をしながら、臨也はシュウコの隙を窺う。

問題は優だ。運び屋を呼んで、彼を新羅の家にまで運んでもらうしかない。

「でさ、君の目当ては俺でしょ? 優くん、もう関係ないよね。顔馴染み呼んで、来てもらってもいいかな?」

「…………ま、いいわ。その子が大怪我したって聞いたら、美雪も悲しむだろうし」

また美雪か。
どのような恨みがあるかは、後で聞き出すことにしよう。

携帯を取り出し、セルティにメールを送った。
間もなく来るだろう。

「でね、私、仕事の関係で海外に行くことになったの」

「あっそう。良かったね。これで美雪も狙われることも無くなるから嬉しい限りだよ」

シュウコの目が妖しく光った気がした。

「……そう。でも残念なお知らせもあるの。今度の日曜日、あの子を襲うわ。今度は、本気で」

「……へぇ……いい度胸だ」

「今度は前の数倍の人数を雇ったわ。本当に、無理矢理ヤられちゃうかも」

反吐が出る。
憎しみが強すぎて、周りが見えなくなるタイプのようだ。

「でもさ、美雪に手を出したら……どうなるか、分かってるんだよね?」

彼女の周りには、色々な人物がいる。

平和島 静雄、門田 京平、優……そして、自分。
彼女に関する人物ならば、6人以上はいる。

もし自分ならば、この女に数倍返しにする。
それも、彼女がモデルの仕事など出来ない程。

「顔。怖いわよ?」

「あぁ、君と話したいことなんて俺には無いからさぁ。だからイライラしちゃって」

「あら、ごめんなさい。じゃあ、私の用件。言うわね」

シュウコは臨也に近寄り、Vネックの襟を掴んだ。

その手を引っ張り、臨也の耳に口元を寄せた。

「『愛してる』 って、言ってほしいの」

「…………は?」

呆けた声を出してしまった。

「……やだよ。何で?」

「言わなきゃ、優くんのことまた撃っちゃうわよ? 今度は心臓辺りに」

仕方ない、と言わんばかりに溜め息を吐き、自分に言い聞かせる。

ーー愛しているのは、君ではなく人間だ。

臨也はシュウコの肩を押して離れさせ、口を開いた。

「……愛してる」

シュウコが、今までで一番の笑顔を見せる。
それは美しくもあったが、口角を吊り上げて笑う様は不気味でもあった。

「……ありがとう。これで、心おきなくロシアへ行けるわ」 

「ふーん、あっそ。良かったねぇ。どうでもいいけど」

人間を愛している臨也が、これ程までに冷たくあしらっている。
どうやら、静雄ほどではないが、苦手な人間の部類に入っているらしい。


臨也が携帯を取り出そうとポケットに手を伸ばした瞬間、馬の泣き声が聞こえた。

「なに……?」

このバイクの音が首無しライダーのものとは分からないらしい。
池袋に住んではいるが、聞いたことがないのだろうか。

セルティがバイクで入ってきた。

運び屋はシュウコにはあまり驚いてはいなかったようだが、血まみれの優を見て身体が強張ったように見える。

『おい、これはどういうことだ?』

セルティがPDAを見せながら近付いてくる。

「質問なら後で答えるから、さ。早く優くん、新羅のところに連れていってくれない?」

顔をじっと見つめられたような気がした。
セルティは頷き、優を抱えてバイクに乗せた。

周りから傷口が見えないようにするためなのか、止血するためなのか、どちらかは分からないが、影で傷口を覆い、バイクに固定した。

セルティは臨也とシュウコを交互に見た後、馬のエンジン音を轟かせて走り去っていった。

シュウコはただ、その光景を眺めているだけだ。

「……優くんも連れ戻せたし、もう帰っていいかな」

大袈裟に腕を伸ばす臨也には、シュウコが顔を歪めて笑っていたことに気付かなかった。
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