あの日の君は、
□不撓不屈
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男は楽しそうに、ただくすくすと笑っていた。
Tシャツのボタンの糸をナイフで何個か切られ、下着が少し見えている。
その下着も、今は彼女の血ですっかり汚れてしまっているのだが。
「……綺麗だよ」
男の目を見た途端、狂気に染まっているのを感じた。
口角を歪ませ、ナイフを振り上げて──
「愛してる」
頭の中でこだまする言葉。
太陽に照らされて反射するナイフ。
素早く振り下ろされるのを、美雪はじっと見つめる。
自分は高校生で人生を終えるのか、と冷静に思いながら──
──ごめん京平。たくさん助けてもらってるのに。
──ごめん静雄くん。友達になったばかりなのに。
──…ごめんね。お母さん。
振り下ろされる筈のナイフは、何者かの手によって阻止された。
「お、お前は…!」
男の言葉を聞く限り、知っている人物のようだ。
「俺は正義のヒーローってガラじゃないんだけどな」
♂♀
「…何だ。美雪ちゃん来てないの?」
眉目秀麗を具現化したような美青年が、少女と同じクラスの女子に呼んで欲しいと言ったのだが──。
彼女が言うには、連絡はまだ来ていないから休みかは分からない、とのことだった。
──ふーん。ていうか、シズちゃんもいないな。まあどうでもいいか。
──休み時間は必ず美雪と喋ってて目につくから目障りだったんだけど。
──そういえば、ドタチンもいなかったな。美雪がいないからサボった……とは考えにくいか。ドタチンの場合。
「そっか。ありがとう」
にっこりと笑うと、女子は頬を染めながら戻っていった。
この笑顔は"臨也の営業スマイル"とも言えよう。
──さて。キングとナイトは保健室に行ったまま帰って来ない。
──美雪も何故か連絡なし…と。…何かあるとしか思えないよねぇ。
臨也は情報屋というのを利用し、門田と静雄の二人より早く、美雪の居場所を割り出したのだ。
♂♀
携帯で場所を確認し、折原臨也は廃墟へとやって来た。
「オリハライザヤ……!」
──オリハラ?……折原くん?
「良く知ってるねぇ。俺は君のことなんか全っ然知らないのにさ」
臨也の言葉には嘲笑が含まれている。
──折原くん、人を怒らせる天才だろうな。多分。
「な、何の用だ?俺は今美雪……」
「美雪ちゃんを殺そうとしてましたー、かな。いや、美雪ちゃんと無理心中しようとしました、かな?」
「なっ……」
「恋は盲目って良く言うもんだよね。美雪ちゃんに手を出したら、いつも一緒にいる連中が黙っちゃいないのに」
「う……うるさいッ!俺はあんな奴らよりも彼女を……」
「そうだよね、愛してるからこそこういうことをするんだ。俺も人間を愛してる。ある単細胞以外の人間は全て、ね。でも愛すると殺すは『≠』じゃないかな?」
「ぐっ………」
言葉を詰まらす男に臨也はアハハハ、と笑い、懐からナイフを取出した。
男が持っていたナイフとは違う形状の、サバイバルナイフ。
「とりあえず…まあ、帰れ」
ナイフを突き付け、営業スマイルを張り付ける臨也を見て、男の頭に危険だと警報が鳴り響く。
足が動くよりも先に、臨也のナイフが男の胸辺りに食い込む。
美雪がやられたように胸部を切り裂くが、傷は深く残ってしまうだろう。
「い"っ!?」
「…まあ、これくらいかな。美雪ちゃんがやられた傷の1.5倍は」
臨也にすっかり怯えた男は、一目散に逃げていった。
「あ、忘れ物……って言っても聞こえないか」
血がついたテーブルナイフを翳して揺らすが、男はこちらを見ることもなく何処かへ消えていった。
「あーあ。重要な証拠残していっちゃった。指紋と血液反応調べたら終わりなのに」
先程から全く笑顔を崩さない臨也。
美雪を拘束していたものを全て取り去り、テーブルナイフを手で弄って遊ぶ。
「あ、美雪ちゃん。これいる?証拠」
テーブルナイフをちらつかすが、美雪は臨也の方を見ずに裂かれたブレザーを拾う。
「大丈夫。傷害罪にはなると思うけど、何か気が乗らない」
「あらら。お人よしだねぇ。ま、いいことだけど。それで美雪ちゃん、一つ質問。
誘ってる?俺のこと」
「……………あッ!!」
何のことか分からなかったが、臨也の視線が胸元に注がれていて、今の自分の格好を思い出した。
美雪は慌ててシャツで隠す。
「リボン通しのレースつきか。可愛いね。シンプルで好きだよ、俺は」
恥ずかしげもなく自分の下着の柄をスパッと言われ、美雪は顔を赤くする。
「…ていうか、何で折原くんがここにいるの?」
「俺は情報屋だよ?欲しい情報なんていくらでも手に入るさ」
「……………」
「……………人の顔を胡散臭そうに見ないで欲しいな」
ま、いいけどね、と臨也は学ランを脱ぐ。
──はっ!?何で脱ぐ?ま、まさか露出狂……
「じゃないから。いい陽気だけどさすがにそれじゃ風邪引くよ、美雪ちゃん」
臨也はシャツを握り締めている美雪に自分の学ランをかける。
思ってもいなかった行動に、美雪は目を見開いて何回も瞬きする。
「うわ、すっごい挙動不審」
ふふっ、と笑う臨也は心底楽しそうで。
──さっきストーカーを笑ってた時とは全然違う……
「……じゃあ、もっかいキスでも貰おうかな?」
にっこり、と臨也が近付いてくる。
頬に手を触れられ、優しく撫でられる。
「ッ!?やっ、ちょっと待っ……ひゃあッ!」
擽ったくて、出したこともないような声を上げてしまった。
「………!」
──え。何今の。美雪だよ…な。
──涙目になってて、震えて……可愛い………
──って何考えてんだろ俺。
美雪をガン見していた臨也の頭に、交通標識がぶちあたった。
「手前…いざやぁ………」
「…し、シズちゃん」
グラグラする頭を押さえながら、ヨロヨロと立ち上がる。
──しまった。この単細胞を忘れてた…。
「…静雄……くん…?」
「手前か…?…美雪をこんな所に連れてきて…更には泣かせやがって…」
「俺は違うよ。…後者は当たってるけど」
「つーか制服切り刻んで、何しようとしてやがったんだ手前は!!ああ"!?」
苦笑する臨也にいくつも血管を浮かべる静雄。
美雪はこの状況をどうすれば打破できるか、思考を繰り返す。
怖いくらいの笑顔をしている静雄の後ろから、門田が慌てながら走って来た。
「おい!何かあった……………美雪っ!?」
「あ…きょ、京平…!」
門田は少女の姿を見つけると、一気に安心したのか、力が抜けていった。
「答えろ臨也ぁ……美雪に何しやがった…?」
「何にもしてないよ、俺は。…強いて言うなら、もっかいキスでも……」
ブチィッ。
明らかに何かが切れた音がし、門田と美雪は静雄を見る。
「殺すッ!!」
「アハハハ。やっぱり単細胞だなぁ、シズちゃんは」
更に煽るようなことをさらりと言い放つ。
廃墟に捨ててあった粗大ごみを臨也目掛けてぶん投げるが、ひょいひょいかわされてしまっている。
門田は急いで美雪の元へ来る。
「……美雪、大丈夫か?ここは危ねぇから、避難した方がいい」
「う、うん……って、京平!?」
美雪を姫抱きし、廃墟の外に出る。
「おーい静雄ー。美雪連れてくからなー」
臨也という仇敵を目の前にしている静雄に、門田の声は届かない。
「…後でちゃんと話せよ」
「………うん」
美雪は門田の胸に顔を埋め、頷いた。