あの日の君は、
□鎧袖一触
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♂♀
「ドタチンって、美雪ちゃんのこと好きなんだよね?」
バンで移動していると、狩沢が唐突に聞いてきた。
随分と静かな後部座席であり、二人とも本を読んでいると思ったため、少々驚きながら答えた。
「……わりぃかよ」
照れた様に返した言葉には、肯定だというのが含まれているに違いない。
「でもさー。シズちゃんも美雪ちゃん好きなんでしょー?……あ、何ならそこに私も加わって、百合展開に持ち込もうかな。そしたら禁断の……」
「加わらなくていいし、これ以上増やすな。三人もいるってのに」
危ない単語を並べ続ける狩沢の台詞を遮る。
「……あの、門田さん?」
遊馬先が控えめな声で門田の名を呼んだ。
バックミラーに映る彼を見る。
「三人って……どういうことっすか?門田さんに、静雄さん……後一人は誰なんすか?」
「……俺を『ドタチン』って呼び始めた奴だよ」
「それって……」
♂♀
『折原臨也さん』
和人の声が耳に纏わり付いていて離れない。苛々してくる。
──俺はドタチンよりも、シズちゃんよりも、美雪を好きだと言える。
だからこそ、あの月影和人という存在が異様に気に喰わなかった。
人のことは言えないが、明らかに見下している態度。
一見物腰柔らかそうだが、一体どんなことを企んでいるのか計り知れない。
──あんな奴に、美雪を渡してたまるか。
足を動かすのが速くなり、彼女の元へ急ぐ。
携帯を取り出し、GPS機能を見る。
確実に美雪の元へと向かっている。
青い廃ビル。ここにいるのか。
そこには案の定、平和島静雄と美雪がいた。
辺りには血痕と思しき赤い染みや、男達が血を流しながら倒れている。
静雄がこれをやったということは明白だった。
当の静雄は肩を震わせながら美雪に抱きしめられている。
長身の彼が、小さく身を縮ませている姿は幼く見えた。
「……あ」
何故か足が動かなくなった。
どうしてだろう。
今の今までこんなことなかったのに。
その場から逃げたかった。
静雄を抱きしめている美雪を、見たくなかった。
♂♀
いつ、あの廃ビルから逃げてきたのか、分からない。
気付けば南池袋公園で、赤に染まる空を仰いでいた。
「……俺、何やってんだろ」
自分でも驚く程の切なげな声に自嘲する。
早く新宿に帰ろうと、公園を出ていく。
そろそろ夜になり、辺りは暗くなってしまうだろう。
不意に後ろから足音がし、臨也はピタッと止まる。
続くように止まった足音に、後ろを振り返った。
「──臨也、さん」
険しい表情の優が、ポツリと呟く。
と、突然──臨也は後頭部に大きな衝撃を受けた。
まさか、美雪と同じ目に合うとは思ってもいなかっただろう。
「協力ありがとう。優くん」
耳鳴りがする中、臨也を殴った人物がニコリと笑ったのが見えた。
──この声は……
この、いらつく声は……ッ
「…………月影、くん……」
倒れた臨也を見下ろし、和人は持っていた木材を何処かへ放り投げた。
もし鉄パイプなどだったら、下手をすれば命を落としていたかもしれない。
「貴方さえいなければいいんです。そうすれば、美雪を俺のものに出来るから。優くんも進んで協力してくれましたしね」
和人の声は、気絶してしまった臨也には届かない。
「フフ……あ、ありがとう優くん。君が折原さんの気を逸らしてくれなかったら、危なかったのは俺だったろうね」
臨也のコートからナイフを全て取り上げ、端正な顔立ちを作っている切れ長の目と形の良い唇をガムテープで覆った。
「君もそろそろ帰った方がいいよ。美雪は多分、平和島静雄さんを介抱してると思うから。まあ、ダラーズとかに喧嘩を売り込まれても君みたいな奴なら大丈夫でしょ」
臨也を停めてあった車のトランクへ放り投げ、優に手を振った後、車に乗り込んだ。
車のエンジン音が遠ざかる音を聞きながら、優は呟いた。
「……ごめん、姉さん……俺、とんでもないことした……」
優はその場に膝をつき、自分の無力さに情けないと感じた。
歯を食いしばって、ザリ、とコンクリートに散らばった砂を掴んだ。
♂♀