あの日の君は、

□蛙鳴蝉噪
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「……分かった。ありがとな」

電話を切り、再びポスターに目をやった。

シュウコと言う名前の女の顔を、脳裏に焼き付ける為に、ただじっと見つめていた。




   ♂♀

電源を切った電話をソファの方へ放り投げ、臨也は再び美雪が寝ているベッドへ足を運んだ。

スーツでは寝づらいだろうからと、臨也が用意した淡い色のワンピースを着ている。

「ごめんね、電話入っちゃってさ」

彼女は頭を横に振る。
それを見て薄く笑う。

ベッドに浅く座り、美雪の瞳を見つめた。

潤んだ目に映るのは、笑んでいる自分。

頬に手を添えて優しく撫であげると、小さく目を見開いて身を強張らせる。

ゆっくり顔を近付けると、目を瞑り、口を真一文字に結んだ。


小さなリップ音を響かせ、二人は何度目かのキスをした。

すぐに唇を離し、臨也は彼女を抱き締めた。

「俺は美雪が好きだ。嘘じゃないよ」

「……うん。あのね、臨也……私ーー」


   ♂♀

「……?」

「どした? 静雄」

静雄は、自分の名前を呼ばれた気がした。

足を止め、周りを見回す。

空耳だったのだろう。
静雄はそう思い、トムに何でもないと伝え、再び歩こうとした。

「……静雄さん!」

気のせいではなかった。

背後から聞こえた声の持ち主は、優であった。

トムにとっては初対面の人間である為、眉を潜めて相手が何者なのか考えている様子だった。

「トムさん、アイツは美雪の……俺の友達の、弟です。優、何かあったか?」

先程時計を確認したところ、三時半を過ぎていた。
学校はもう終わったのだろう。

「えっと……姉さんが倒れたって聞いたんですけど」

「! ……誰から聞いた?」

目付きが険しくなるのが自分でも分かった。

優は言葉を濁した後、黙ったまま目を細めた。

「……俺には言えねぇ奴から聞いたんだな?」

ということは、少なくとも静雄が嫌っている相手なのだろう。

美雪や門田なら自分に話せるだろうが、それ以外に思い当たる人物はきっといない。

一体誰から聞いたのか、十中八九あの人物しか浮かばない。

ーーあんな野郎に美雪を任せた俺が馬鹿だった……。

今更後悔しても遅いのだが、家に彼女一人でいるのは危険だろうから仕方なくあの男に任せた。

「……すみません……」

「……まあ、大方予想はつくけどな」

優は目を逸らし、それから一言も喋らなかった。

「とりあえず、今日はもう帰れ」

美雪は、もしかしたら、しばらく池袋に帰ってこれないかもしれない。

そのことを話そうかと思ったが、彼女を強引に連れ戻すのではないかと考えてしまい、言えなかった。

「……分かりました……」



優は二人に頭を下げ、踵を返して帰って行った。



   ♂♀

優は家に帰るなり、ベッドへと飛び込んだ。

制服のままであるから、皺になるかもしれない。

しかし、今の彼にはそんなことを気にする余裕などなかった。


姉が倒れたというメールを寄越したのは、折原臨也だ。

いまいち信憑性がなかったが、先程の静雄の反応で事実だと分かった。

身体を丸めるようにして縮こまる。

段々瞼が重くなってきた。

携帯を開くが、何の連絡も入っていない。

携帯を閉じた瞬間、プルルルルという電子音が鳴った。

携帯ではない。
ならば、家の電話だろう。

飛び起きて、慌てて子機を取る。

もしかしたら、姉さんかもしれない。
そう思い、淡い期待を込めて耳を当てた。

『もしもし』

女の声だが、違う。

残念に思うが、女の用件を聞くことにした。

もし何かの勧誘だったのなら、断って切ればいいだけだ。

「どちら様ですか?」

『……貴方が、優くんかしら?』

こちらが聞いているのに、質問を質問で返すとは。

「何で俺の名前、知ってるんですか?」

知らない相手が自分の名前を知っていることには、大分慣れてしまった。

自分で調べたのか、もしくはどこぞの情報屋からでも聞いたのか。

後者だったら、後で文句を言ってやろう。

『美雪さんのことでお話があるんだけど、いいかしら?』

「……アンタ、姉さんの知り合い?」

『さあ?』

ーーうわ、ムカつく返答だな。

心の中で悪態をつき、女が何を企んでいるのか模索する。

『来てくれるわよね?』

無言でいると受話器の向こうから笑い声がした。

女は来ると判断したのか、場所を言って電話を切った。


切られた電話を数秒間見つめ、子機を置いた。

優は玄関に向かい靴を履き、家の鍵を閉める。

慌てたりはしなかった。
美雪についての話なら気になるが、嘘ならば無駄足になると思ったからだ。

それに、何かあった時の為に体力は温存しておきたい。

指定された場所に向かう。
池袋の、今は使われていない倉庫だ。



   ♂♀

重い扉を開き、女を探す。

倉庫の中は暗かったが、突然電気が点けられた。


「遅かったわね」

そこにいたのは、モデルのような出で立ちをした女だった。

「まず、自己紹介から始めましょうか。私は秋子って言うの。よろしくね」

「……で、用件は?」

案外冷たいのね、とほくそ笑み、腕を組んだ。

「貴方に質問があるの。いいかしら?」

「……それが目当てで呼んだのか」

「ええ。それじゃあ、"月影 和人"って言う名前、聞いたことあるでしょ?」

嫌なことを思い出した。

美雪が好きだと言い、自分を使って臨也を貶めようとした男だ。

完全に断れなかった自分も悪いが、その名前を聞くだけで、虫酸が走る。

「実はね、私の彼氏だったの。私を愛してるって言ってたのに、突然別れてくれって。他に好きな子が出来たって聞いたから、どんな女かと思ってたけど……初対面って聞いて、馬鹿らしくなったわ。私は本気で好きだったのに、初対面の女を好きになるなんて許せなかったわ」

「……なら、姉さんは関係ないだろ」

たった数分で早くも本性が現れ始めた。
こういう嫉妬に狂った女は、何をしでかすか分からない。

女との距離をばれないように少しずつ離していく。

「私、大っ嫌いなの。可愛くて、誰からも愛されるような人」

「そんなの、アンタの一方的な逆恨みじゃないか!」

思わず声を荒げると、女に鼻で笑われた。

ここで冷静さを失ってしまったら、相手の思うツボだ。
落ち着こうと深呼吸し、本題を切り出す。

「……アンタは、俺に姉さんの話があるって呼んだんだ。早く話してくれ」

「いいわよ。貴方のお姉さんはね


私の妹なの」

「……………は…………?」

ーーちょっと待て。

ーー違う。こんな女が、姉さんの姉妹である筈がない。


「あら、信じられない?」

「……当たり前だ……!」

「嘘じゃないわよ。ちゃあんと病院で調べてもらったもの」

女は、一枚の紙を取り出すと、優に向かって放った。

床に音もなく落ちた紙を拾い、目を通す。

心臓を鷲掴みにされたような、そんな感覚に陥った。

そこには、家族である割合の数字があった。

『99.9%』 それしか目に入らなかった。

嘘のような数字だが、これが全てを物語っている。

「これで分かったでしょ? 私は神崎 秋子。あの子の姉なの」

呼吸が困難になりそうな程、胸が苦しくなる。
自分を見下すような視線の秋子の口が動いた。

「さよなら、優くん。貴方のこと、利用させてもらうわ」

ガツンッ

鈍い音と同時に頭に衝撃が走り、意識を失った。





   ♂♀
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