あの日の君は、

□百年河清
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   ♂♀

着信音に気付き、美雪は携帯を開いた。

メールを受信したらしい。送り主は、セルティ・ストゥルルソンだった。

『急にメールしてごめんね
臨也について聞きたいことがあるんだけど、何か変わったこととか、ないかな?』

変わったことといえば自分と付き合い始めたことがある。

だが、恥ずかしい気もしたので、『いや、ないと思うよ』と、当たり障りのないメールを返信した。

『そっか。ないならいいんだ、ごめんね
実は、臨也とさっき会ったんだけど、様子が変だったんだ
美雪なら、何か知ってるかなって思って』

ーー様子が変?

少し、寒気がした。
気のせいだと思いたいが、念のため、臨也と会った場所を聞いてみた。

すぐにメールが返ってきて、彼がある廃工場にいると分かった。

美雪は玄関へ向かい、靴を履いて家を飛び出した。勿論、鍵を閉めて。

嫌な予感がする。

美雪はただただ、廃工場へ向かって走り続けた。


   ♂♀

何か、肉が貫かれる感触がした。

ーー?

頭の中がそのマークでいっぱいだったが、背中に熱い感覚が走る。

だが、すぐに自分は刺されたのだと理解し、臨也は後ろを振り向いた。

白い布でナイフの柄を持った、スーツ姿の男。

ナイフの刃や、布には赤いものがべったりとペンキのようについている。

スーツの男は、全く焦った様子を見せない。その道のプロなのだろう。


熱い。血が流れてきて、床に滴り落ちる。

ーー優くんみたいに、ヤバいかも。

ーー美雪と両想いって分かった時、嬉しかったのに……

ーー待ってるかなぁ、美雪。

ーー……まさか、こんな女のせいで……

臨也の意識が途切れ途切れになった時。

「臨也……!!」

意識が、一気に引き戻された。

裸足のままの美雪が、髪を乱し、目を見開いて自分に駆け寄ってきた。

「臨也……! 待ってて、今救急車呼ぶから……!!」

携帯を取り出してボタンを押そうとしているが、指が震えている。

「美雪、俺のことはいいから……っ! 早く、ここから逃げろ!」

「嫌だ! 臨也が怪我してるのに……っ」

耳に当てようとした携帯が、後ろから伸びてきた手によって奪われる。

「……あ、あなたは……っ」

美雪にとっては、トラウマを植え付けた人間。

シュウコは携帯をつまみながら、笑ったまま言った。

「取り引きしない? 救急車を呼ぶ代わりに……私が雇った男達が満足するまで、たあっぷり犯されなさい。うんと頷いたら救急車を呼んであげるし、折原さんも助かるわよ?」

何なんだ、この女は。

「……分かり、ました」

美雪は拳を握り締め、決心したように頷いた。

「っ、な……! ちょっと、美雪……それ、本気……!?」

自分でも、低くて怒りを含んだ声だと分かった。

「私なら、大丈夫」

「何されるか、分かってるの!?」

叫んだせいか、血が一気に流れる。
息も荒くなってきた。

「分かってる。それだけで臨也を救えるなら、迷わない」

「美雪……! やめなよ! ねぇ……っ!」

「臨也」

振り向いた彼女は、大粒の涙を溢れさせていた。

「汚れても、臨也を好きでいていいかな……?」

「……ッ!!」

口が、開かなかった。

どこからともなく現れた男達が、美雪にゆっくり近付いていく。

「……待て、ってば……!」

臨也が叫んで止めようとするが、届かない。

男達の一人に肩を抱かれた瞬間、美雪の身体が硬直する。


連れて行かれてしまう。

奥歯を噛み締めた臨也に、シュウコがしゃがみこんで、口角を吊り上げた。

「残念でした。貴方の大事な子……汚れちゃうわね」

「……君は、俺の中で、一番嫌いな女だ……」

「ふふっ。黙ってないと死ぬわよ? あの子が折角身代わりになってくれたのに、台無しにする気?」

ーー覚えてろ、顔しか取り柄がないくせに。

「……連れて行かれちゃったわね……?」

「ッ、……」

シュウコは携帯を弄りながら、臨也ににっこりと笑って見せた。

ーー耳障りだよ。

それすら口に出せず、段々視界が霞み、意識が朦朧としてきた。



とうとう瞼を閉じてしまった臨也の耳に、凄まじい破壊音は聞こえなかった。




   ♂♀

ーー………?

ーー…………俺って、死んだ?

ーー……未練は……あるか。

ーー……美雪……抱きしめたいなぁ。

ーー……抱きしめて、それから……まだまともにデートもしてないし。

ーー美雪、怒ってるかな?

ーーでも、俺を怒ってくれるのは、美雪だけだよ。

『……………也…』

ーーん? あれ? 美雪?

ーー……そこにいるの?

『………臨……』

ーーあ、美雪だ。

ーー? 何だろ、何か温かい。

『……ねぇ…………』

ーー? 美雪に逢えるのは嬉しいけど、どこにいるんだろ。

『……………ねぇ………


起きろっ、臨也っ!!』

ーーえっ!?




臨也は目を開き、数回瞬きした。

「……ん?」

すると、ベッドに突っ伏して寝ている彼女ーー美雪の姿があった。

「………起きろ……臨也…」

どうやら自分が聞いたのは、寝言のようらしい。

臨也が寝ているのは、ベッドの上だが、病院ではない。

臨也がここが何処なのか理解してから数秒後、扉が開かれた。

ここの家主が、静かに扉を閉め、近づいて来た。

「やあ、調子はどう? って、君のことだから心配は要らないか」

「……俺だって怪我したら調子は崩すよ。心配は要らないけど、状況が分からないから困惑してる。説明してくれないかな、新羅」

かつての旧友は、ベッドの横に置いてあった丸椅子に座り、腕を組んで話し始めた。

「あー、そっか。君、気絶してたって言ってたもんね。実は、俺もあまり知らないんだよ。セルティがまた出掛けたと思ったら、もう一人怪我人を連れてくるんだもん。あ、優くんはもう回復してうちの雑用をこなしてるから。働き者で感心するよ。ねぇ、臨也?」

カンに触る言い方に、臨也は鼻で笑う。

「……今、何時?」

「え? んーと、14時32分……51秒かな」

腕時計を見ながら細かく答えて来た。
相変わらずだ。

「……俺、何日くらい気失ってた?」

「質問が多いなぁ。君が運び込まれたのは3日前。治療したのは君が運び込まれてから35分くらい後。終わったのは……3時間後くらい? その数分後に、門田君と静雄が神崎さんを運んできたのさ。ものすっごく慌ててたよ。服と髪は乱れてて汚れてるし、何があったのか聞いても答えてくれなかった。二人はただ、セルティに呼ばれて来て、神崎さんを助けたってーー」

「……もういいや。充分分かったから」

あまり知らないとは言っていたが、新羅の言っていたことで全て分かった。

「でもさ、臨也。神崎さんが目覚めたら、ちゃんと謝りなよ?」

「……分かってるよ。俺はそこまで馬鹿な人間じゃない」

新羅は席を立ち、部屋から出て行った。

向こうから、新羅の『セルティに見とれていただろう!?』などと聞こえてきた。
きっと、優に言ったのだろう。

「……臨也………早く起きてよ…… ……」

ーー……ごめんね。

ちょっと申し訳ない気がするが、美雪の肩を揺らし、起こすことにした。

「ねぇ、美雪、起きてよ」

「……………んー…?」

寝惚けているのか、身体を捩って臨也の手から逃れようとしている。

「……美雪、そういう反応は俺だけにしてね。ほら、起きたよ、折原 臨也がーー」

美雪の動きが一瞬止まり、顔を勢い良く上げた。

「おはよう、美雪」

「………? …………、……」

「……美雪? まさかまだ寝ぼけてーー……っと」

臨也の台詞が遮られた。

彼女は、最初こそ呆けていたが、臨也の笑顔を見て彼に勢い良く抱きついてきた。

「あー、あのさ、美雪。抱きつかれるのは凄く嬉しいんだけど、俺って一応怪我人だから……」

「……だ、って……っひ、いざやが、死んじゃう、かもしれないって……、岸谷くんがっ……」

彼女が、美雪が、とてつもなく愛おしくなった。

泣きじゃくる美雪を抱き締め、背中を軽く叩いてやる。

「…………ごめん、心配掛けちゃって。それに、俺が死ぬわけないだろ?」

「わかって、る、けど……っ」

ーーそうだ、良く分かってる。

ーー俺が、君を悲しませるわけがない。

ーー後で新羅のこと、殴ろっかな。

「……あ、ねぇ。あの後、どうなったの? ほら、君が連れていかれた時……」

「……あ、の時は……私も最初分からなかったの……あの男の人達に床に叩きつけられて、ナイフで服を破かれて……キス、されそうになった時、大きな音がしたの。砂埃で見えなかったけど……でも、良く見たら、標識が飛んで来て、そしたら、静雄と京平の声がして、助けてくれたの……」

「……そっか。シズちゃんとドタチンが……」

何とも良いタイミングで現れたものだ。
大方、首無しライダーが機転を利かせたに違いない。

結果として、自分は助かったし、美雪を守ってくれたし、良しとしておこう。

「……でもさ、アイツらにキスされそうになったのは、ちょっと……いや、かなりムカつくなぁ?」

「……へ?」

体勢を逆転させた。
美雪をベッドに押し倒して、にこにこと笑いながら見下ろす。

「目、閉じて」

素直に目を固く瞑る美雪を可愛いと思いつつ、頬をひとつ撫でて、唇を重ねた。

「ん……」

「…………っぁ…!」

呼吸を我慢している彼女の腰を撫でると、身体が強張った。

ーー……反応可愛すぎ。

ーー怪我人でも、俺も男なんだからさ……無意識なら、食べちゃうよ?

「……っふ、い、臨也っ、ちょっと待って……っ!」

しつこいくらいに彼女の身体をまさぐる。

我慢できそうにないかもしれない。
後でまた彼女に謝っておかなければ…。

「……美雪……っ! 好きだよ、好き……っ」

「わ、私も、好き……だけどっ」

手首を拘束して、噛みつくようなキスを繰り返す。

ーーああもう可愛い。
ーーずっと俺のものでいてよ。

思わず彼女の着ている服に手を掛ける。

ぺしっ

「ーーはいそこまで!」

頭を叩かれた。

後ろには新羅がいる。
手には、丸めた雑誌が握られている。

虫か俺は。

呆れたようなその新羅の後ろには、反応が分からないが硬直している首無しライダーと、顔を赤くして、眉間に皺を寄せた優の姿があった。

「臨也が神崎さんを愛してるってことはよーく知ってるよ。でも君は怪我人。そんな無理矢理神崎さんを襲って傷口開いたなんて言ったら今度は治療しないよ。怪我が治ってから思う存分いたたたたセルティ痛いいだだだだだだっごめんもう言わないだから手刀で俺の頭を叩かないで!」

『お前は少し自重しろ!』

夫婦漫才を見ている気分になった。

自分に抱きつこうとしている新羅を、セルティは片手にPDA、もう片方の手で新羅を剥がそうとしている。

二人のやり取りに呆気に取られていたが、優が申し訳なさそうに臨也に話し掛けた。

「あの、臨也さんが……俺を助けてくれたって、セルティさんから聞きました。……すみません。ありがとうございました」

「……あぁ、気にしないでよ」

「姉さんも無事で良かった……姉さん、俺……」


「優……ごめんね」

姉の悲しそうな顔を見た弟は、首を横に振る。

ーー……優くん、君、薄々感づいてるよね?
ーー自分の気持ちにさ。

ーーでもね、君は『義理の弟』っていう枷で、美雪を一人の女性として愛せないんだ。

笑みが自然と零れてくる。

そんな考えが伝わったのか、優は口を真一文字にする。

しかし意地悪く、臨也は笑って言った。

「優くん。俺さ、美雪と付き合うことになったから」

家族に報告するという何気ない言葉なのだが、彼女の弟はその場に棒立ちになり、服の裾を鷲掴む。

「…………え?」

「あれ、聞こえなかった? 俺は、美雪の彼氏になったんだ。弟、なんだからちゃんと言っとかなきゃって思ってさ」

ーー俺ってば、意地悪だなぁ。
ーーははっ、今にも泣きそうな顔だ。

「姉さん。……本当?」

まだ信じられないのか、彼女の方に向いて問う。

首を縦に振る姉に、優は項垂れた。

「……そっか。おめでとう」

眉を八の字にしながら、無理をして言ったかのような表情だ。

ーー……所詮、姉弟は姉弟だよ。



優の瞳が潤んでいたような、そんな気がした。


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