小説

□アルテミスの羽化
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春と言うものは意外にも早くやってきた。
それは桜の蕾を膨らませ山々の雪化粧を落としただけではなく、土の中で夢を見ていた生き物たちに目覚めの朝を知らせる。

柔らかな日差しは誰にも平等に降り注がれていて、温もりに包まれながら名前は教室の窓から外を眺めた。
そこに広がる景色をもう見れないと思うだけで優しいはずの日差しが目に染みる。多少滲んだ視界。上手く呼吸が出来なくなっていく。

「名前」

名前を呼ばれたが名前は振り向けなかった。
このタイミングで彼の顔を見てしまえば、皺一つ無い学生服にしがみつき自分より逞しい胸に顔を埋めて泣きじゃくることが目に見えていたからだ。

名前は外に視線をやりながら後ろに立っている花京院に話しかけた。

「今日で高校生も終わりか……使い古した言い方だけど、長いようで短かったね、花京院」
「そうだね。ちょっと名残惜しいな」
「私、去年の方が泣いたかも知れないよ。承太郎が卒業するときぼろぼろ泣いちゃってさ」
「顔ぐしゃぐしゃだったよね。承太郎に会えなくなるって抱きつきながら大泣きして」
「そこまで掘り返さないでよ!恥ずかしい」

顔は見合わせないが二人で笑う。
遠くで騒いでいる声がしてどんどんと離れていく。帰りの時刻が迫っているようだ。

「名前」

また名前を呼ばれた。振り返らないが、なぁにとだけ名前は返事をした。

「卒業、おめでとう」
「…花京院も、おめでとう」

そう言うだけで精一杯だった。もしかしたら声が震えていたかも知れない。
しかし名前の心配を余所に花京院は教室を出て行った。
彼なりの気遣いとお別れの言葉。

「花京院の馬鹿」

頬が熱くなって声をあげて泣いたのは30秒後の話。



(私、今日、卒業します。)



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