還る場所

□act.11 暗示
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部屋に駆け込むとカガリは後ろ手にロックを掛け、乱れた息も整わぬままドアに背を預け、そのままずるずると座り込んだ。
一人きりの室内に、不規則な呼吸だけが小さく響く。
ゆっくりと息を吸い、落ち着かせるように息を吐き出して。
目を閉じて、それを何度か繰り返す内に、少しだけ呼吸が楽になり、何とはなしに視線を巡らせた。
机の上には、開いたままにしていたノートパソコン。
そう言えば、自分は調べものをしていた途中だったはずだ。
カガリは壁を支えに立ち上がり、なかば無意識にデスクに向かう。
椅子に腰掛け、タッチパネルに手を伸ばす。
キーを叩こうと指を添えて、しかしそこでカガリは失敗した。
左手の薬指。失ってしまった輝きに、思わず指先が震える。


「…っ……」


偽ることが、こんなにも難しいことだなんて、思わなかった。
気を抜けば彼に本心を零してしまいそうになる自分がすぐそこにいて、幾度となく転がり出そうになったそれをどんなに必死に飲み込んだことか。
息が詰まりそうになる。けれど。

左手の薬指。失ってしまった輝きは、彼が自由になった証だ。


「これで、良いんだ」


温もりを手放し、凍てついたように冷たくなった指先を胸に抱き抱え、カガリは視界を遮断した。
そう。これで、良い。


──カガリに会えて良かった。君は、俺が守る。

囁いて、抱き締めてくれた彼。
苦しいわけでも、ましてや悲しいわけでもないのに、何故だか胸がいっぱいで泣きそうになった。
温かい彼の体温に包まれて、全身が火照ったように熱くて。
あんなにも胸がどきどきしたのは、多分あれが初めての事だっただろう。
どこか目が離せなくて、放って置けなくて、気が付いたらいつも目で追っていた。
それが恋心から来るものだと自覚しはじめたのは、大分後だったような気がする。
正直なところ、明確な時期は自分でもよく分からないのだ。
出逢った瞬間からもう惹かれていたのかもしれないし、もっと後だったのかもしれない。
恋に幼い自分は、初めて芽生える気持ちを持て余しすぎて、戸惑いばかりが大きかったけれど。
それ以上に胸が温かく灯ったのを今でも覚えている。

守ると言ってくれて。
優しい笑みを向けてくれて。
泣きたくなるほどの幸せを与えてくれた。

嬉しかった、とても。
私も守りたいと思った、彼を、守りたいと思ったんだ、本当に。
けれど実際、傷付けていたのはいつだってカガリ自身だった。

だから、これで、良い。

これで彼は苦しみから解放されるのだから。




「……ん…」


ぼんやりと濁る意識をそのままに、カガリは瞼を持ち上げた。
硬い机の感触を頬に感じて、自分がデスクトップに突っ伏すように寝入っていたことを知る。
昨夜あのまま意識を手放してしまったらしい。
痛む身体に息を落としつつ、時計に視線を巡らせれば、短針が5時を示そうとしていたところだった。
大分早いが、かといって再び眠りにつけるとも思えない。
少し頭を冷やそう。
そう思い、洗面所に向かおうと椅子から立とうとして。
カガリはとっさに椅子の背凭れに掴まった。

──またか。

このところ、ふとした瞬間に襲いかかる目眩が数を増し、悪態を付きたくなる。
あとで薬でも飲んでおこう。
揺れる不快感をやり過ごして、カガリは私室を後にした。



「カガリ」


顔を洗い、軽く身だしなみを整え廊下に出ると、不意によく聞き慣れた声で名を呼ばれた。
振り返ればそこにはオーブの軍服に身を包んだ、カガリの保護者とも言える長身の男。キサカだ。


「早いな、キサカ。どうしたんだこんなところで」

「ああ、少しアカツキ島の地下施設へ足を運ぶ事になってな。その準備だ」

「地下施設?今から?一人で行くのか?どうして?」


思わぬ返答に矢継ぎ早に問えば、キサカは表情を変えぬまま口元だけで笑ってみせた。
あまり表情を変えぬ彼の、滅多に見せない笑みだ。
久しく目にしていなかった彼の表情に思わず見入っていると、力強さを感じさせる大きな手のひらがカガリの頭に優しく置かれた。
驚いてキサカを見つめれば、温かな手のひらが包み込むような動きで髪を撫でた。


「いずれ、分かる」

「…え?」


その声が、僅かばかり哀愁漂うもののように聞こえて。
カガリは聞き返すようにキサカを見やったが、しかし彼は答えず首を横に振るだけだった。


「それより、顔色が少し悪いな。ちゃんと寝ているのか?」

「あ、ああ。大丈夫だ」

「あまり気を張り詰めるなよ。休める時に休んでおけ、お前に倒れられたら一大事どころでは済まないからな」


まるで見透かされたようなたしなめる口調に、カガリは気まずさに視線を逸らしながらも素直に頷いた。
きっと、気付いている。
マーナと並ぶほどに長い付き合いなのだ、カガリの行動など手にとるように分かるのだろう。


「大丈夫だ、あとでしっかり休んでおくから」

「そうしておけ」


安心したような一言と同時に、カガリの髪から武骨な手が離れた。


「もう行くのか?」

「ああ、主任を待たせているからな。何かあればすぐに通信を入れる、心配するな」

「主任って……」


ならばエリカも共に行くと言うことだろうか。
アカツキ島の地下施設ならば確かに彼女の責任区域だが。


「お目付け役がいないからと言って、短気を起こすなよ」


釘を刺すように言って、彼はカガリに背を向けた。
一言余計だ。思わずその背中に反論しそうになるものの、過去の記憶を辿ってしまえば押し黙ることしか出来ない。
多分、上手くはぐらかされたのだろうとは思う。
けれど彼がそうするならば、今はまだその時ではないのだろう。
彼はカガリにとって、無条件に信頼するに足る人物だ。
通路の先へと消える背中を見送ると、カガリもまた自室に戻るべく踵を返した。


その数時間後に。

切迫した報せが艦内中に響くことになるなど、この時はまだ知る由も無かった。



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