東京のお話

□クインクス班
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「もしもし、永遠子ちゃん。とりあえず帰っておいで。ゆっくり、ちゃんと話をしよう。必要ならアキラさんにも連絡を取るよ。多分六人じゃ食べきれないからなぁ…今日は永遠子ちゃんの好きなものばっかりつくっ」

「何やってんだよお前ェ!いいから早く戻れよ飯が食えんだろ!あのなあ、人生なんて色々あんだよ、何に悩んでんのか知らねぇけど、お前見たまんま子ども過ぎんだろ!!あー腹減りすぎてなんかもう死」

「永遠子ちゃん、今、どこにいるの?俺に出来ることがあったら、なんでも言ってよ。皆で、ご飯食べないで待ってるからね。ちゃんと帰ってきてよ。お願い」

「…す、すまんさっきは…言い過ぎた。謝れって言われてかけ直してんだけど何言っていいのかさっぱり分かんなくてよ…永遠子が喜びそうな…あっそうだ!サッサン、心配し過ぎて人相変わってんだよウケる。面白いから写メ送っわ〜」

「…私だ。許してはくれまいか、姫。理由なぞ聞かずとも分かるであろう…つまりそういうことだ。だがしかし、私は君を賞賛する。崇め奉る。世はまさにメンヘラ旺盛期…常人には見えぬものが、姫には見えておるのじゃろ…うむ…」


「あぁー!ごめん永遠子ちゃん!不知くんと才子ちゃんが食べ始めちゃったぁ!あっ、止めに入らなくていいよ六月くん!ケガしちゃうから!こら!なんっっっでこうなっちゃうかなぁー!も〜…ああっ!永遠子ちゃん早く」



最後の伝言がプツリと切れた後、永遠子はがっくりと項垂れた。無機質極まりないと思ったあのリビングが、今は少し恋しい。だって絶対に私の大好きなカニ缶入りのマカロニグラタンがあるから。

「…結局食ったのかよ」

そう答えたのは一緒に伝言を聞いていた瓜江だった。
つい先程のことを思い出す。
後ろからおいと声を掛けられた時
は背筋が氷ると言うより、脳ミソが外側にぎゅうと引っ張られたような違和感があった。こんなところまで来るはずがないのに。私何か、まがいものを見てる?

夢と現実の境目を探してしまう時がある。あの時本当に時間が止まった。
あの感じ。昔にも一度あったな…

永遠子は俯いたまま、腰かけていたブランコを揺らした。
今が夢だったらいいなんて言い切れないけど…それにしても現実って一体、何なんだろうか。

「おい」

「いっ!いったぁ…!」

「いい加減にしろ」

本格的に漕ぎはじめようとした足を蹴られても、何も言い返せない。悪いのは全面的に永遠子本人だった。重たい沈黙に耐え兼ねて、つい分かりきった質問を投げてしまった。

「ど…どうしてここが分かったの?」

ギロリ、と頭の天辺を見下ろされた気がして肩をすくめる。質問を適切なものに変えた。

「……どうして来てくれたの?千葉だよ、ここ?」

瓜江は捕らえるように、ブランコの鎖を握りしめてから言った。

「業務の一貫ってことになるだろ」

「才子ちゃんのことは放っておくくせに…」

「…話にならないな。そんなに構って欲しいのか」

「もーいちいちムカつく言い方するなぁ…私だってまさか、アンタが本当に来るなんて思ってないから」

「なら次に家出する時には、別の場所を選べよ。俺の知らない場所をな」

「……」

川の側にある公園は、わずかな土手を均して作られた場所だった。もみの木が植林された入り口の向こうに、数件の民家が見え隠れしている。永遠子は枯木の間から覗く、一番遠い窓の灯りを見詰めて眉を寄せた。

「……他に…行くとこなんて…」

「……泣くなよ鬱陶しい」

「行くとこなんてない……」

膝に涙がポタポタと落ちた。あの家には叔母夫婦と年の近いいとこが暮らしているはずだ。温かそうなオレンジ色の光がゆらゆら揺れている。

「お前の親戚は気のいい人たちなんだろ……離れなくても良かったんじゃないのか、まったく……」

今度はこちらが瓜江を睨む番だった。成り行きをなぞるように、改めた質問が降りてくる。

「満足したか?」

「……」

「俺はそろそろ限界だ。今日一日は本当に無駄な時間を過ごした気がする。恩を着せるのも楽じゃないな…」

「…アンタそれ本気で言ってんの?さむいよ」

「…黙れオカッパ」

「…昇進に執着し過ぎよ…人の弱味まで材料にしようだなんて、ほとんど病気だよ?いつか痛い目見るんだから、絶対」

「その時お前に肩代わりしてもらう権利、もちろん俺は所持してるよな?だってこんなに頑張ったんだから」

「…すみませんでした、班長」

そう聞き届けてすぐに、瓜江は背を向けて歩き始めた。
仕方なく立ち上がり、持ってきたリュックを背負って追いかける。

後ろの光はもう見るまいと思った。見たらきっとまた私は駄々を捏ねて。子どもみたいに泣きながらトボトボ歩くに違いない。自分のことは、ちゃんと分かっているつもりなのに…なんで来ちゃったんだろう…

傾いた夕陽は半分ほど沈んでいた。瓜江の背中は歩けば歩くほど遠退いていく。歩幅を合わせてくれる紳士には程遠い男なのだ。大声を張り上げるのが面倒だったので、永遠子はスマホを取りだした。

『見えなくなるから、ちょっと待ってて』

『早くしろノロマ』

『ねぇ、待つついでに、瓜くんもなんか伝言入れてよ。心配してる系なのでも、なんでも』

『必要ないだろ面倒くせェ…』

『だって、班長だけ伝言なしなんて不自然だよ。またハイセさんに小言言われちゃうかもよ?』

『…………』

『短いやつでいいから』


言い終わる前に通話は切れた。かと思ったらすぐに着信が鳴る。手筈通り永遠子はそれをやり過ごして、録音される伝言を待った。機械的なアナウンスが始まる。

『こちらは留守番電話サービスです。ご登録の番号をお呼びしましたが、お出になりません。発信音の後に、15秒以内で…』

川岸に立ち止まったままの横顔が徐々に浮かんでくる。
どうしてかすぐ側にいるのに、油断したら暗がりに消えてしまいそうな程、か細く心許ないシルエットだ。

すでに夜に呑み込まれた東方向を見つめながら、瓜江の唇が少しだけ震えるのを、永遠子は立ち止まって見ていた。

近しい伝言が、左耳で反響する。




『帰るぞ…………東京に』
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