東京のお話
□クインクス班
2ページ/7ページ
到着したのは午後十時を回っていた。途中で夕飯を済ませたいと言った瓜江に付き合ったせいで二時間はロスしただろう。予想通り、彼は軽く挨拶を済ませた後すぐに部屋に戻ってしまった。
「そっか。永遠子ちゃんは食べずに帰って来たんだ」
「………」
そう言われて、口いっぱいに頬張ったカニ缶入りマカロニグラタンをごくりと飲み込む。
目の前に座っている上官は、予想通りにっこりと微笑んでいた。
「素早い猛攻から、グラタンだけは死守したんだよ。だからもうちょっと味わって食べること」
「………はい。ハイセさん」
その優しさが余計に自分の幼稚さを際立たせたような気がして、永遠子は目を逸らした。怒られないと分かっていながら、困らせるなんて…私って本当の子どもよりタチが悪いのかもしれないな…
「俺知らなかったです。瓜江くんと永遠子ちゃんが幼少期から知り合いだったなんて…」
「僕だって初耳だったよ。基本的にプロフィールはアカデミー入学時からしか記載されていないし…ねぇねぇ、瓜江くんて小さい頃どんな子だったの?」
「あっ、それすっごく気になる」
隣に座っている六月透が、水を注いだコップを手渡してくれる。永遠子はそれを一口飲んでから、再びグラタンにフォークを潜らせた。
「…特に変わりないと思う。今はただ背が高くなっただけで、中身はほとんど成長してないと思うから」
「ははっ、やけに重たいセリフだなぁ。ちょっとそんな気がしてたけど、永遠子ちゃんと瓜江くんて、お互いのことは全部分かってたんだねぇ…うんうん納得納得」
「…からかわないで下さいよ。アカデミーはジュニアからだし、知っていると言ってもその少し前からですもん」
「はぁー俺たちも付き合い長いけど、本当の幼馴染みってやつなんだ。いいなあ」
「………」
一体何がいいのかさっぱりわからない。アイツの昔を知っていて良かったと思ったことなんて、ただの一度もないのに。
永遠子はグラタンを食べきると、手を合わせて深くお辞儀をした。
「ごちそうさまでした」
「はい、ごちそうさま」
「あっ…後片づけは私がします」
空になった皿を持って対面式のキッチンへ向かおうとする佐々木に腰を上げたが、すぐに制止されてしまう。
「まだダメ。座ってて」
その顔が少しだけ表情を固くしているのに気が付いて、永遠子は再び椅子に座り直した。
「今から反省会。ちゃんと話をしようって言ったでしょ」
「………」
湯気を立てたマグカップを受け取る。砂糖がたくさん溶けているはずのホットミルクは、喉がつかえてまだ飲めそうにない。永遠子は切れ切れに言った。
「…私は…私は失敗作なんです、ハイセさん…失敗作ってどうなるんですか。このまま班に留まっても、お荷物なだけに過ぎないし…私、どうしたらいいのか、分からなくなって…それで…」
「それで家出してみて、何か分かったの?」
「…………余計に思い知りました。本当になんの価値もない。クインクスとしての価値も。人としての価値も…」
我慢していたのに、ついに涙が溢れてしまった。
きっと家出の理由を見越して同席したのだろう。六月は優しく背中をさすってくれる。
「気持ち、すごく分かるよ。俺も赫子出したことないし…」
「透くんは、目が変わってる…私には何の変化もない」
「そんな…目が変わってたって、何の役にも立ててな」
「赫眼持ってるんだよ!私よりは役に立つ可能性あるってことじゃん…!」
「永遠子ちゃん…」
「うっ…うっ…」
「………」
佐々木は深く溜め息をついて腕を組んだ。背筋を伸ばして、改まった声色で言う。
「価値がないなんてどうしてそんなことが言えるの?君はこの佐々木排世率いるクインクス班の一員、真島永遠子なんだよ?」
「……っ……」
上目遣いに佐々木を見る。目が合うと、上司は小さく微笑んだ。
「なんの価値もない人間が、この特別班に選ばれるわけないよ。よく考えれば分かるでしょう」
「…でも…」
「それに、永遠子ちゃんには立派なクインケも与えられてるじゃないか。新人にあのタイプは今まで例がないんだから」
「あ…!あんな大きいの、振れるわけ…!」
「それは言い訳。筋力もつけず訓練も積んでないんだから、扱えないのは当然」
隣の六月もギクリと肩を震わせたのが分かった。一緒に口をつぐんだのを見て、佐々木は二人を交互に見つめながら続けた。
「出来る限り僕が稽古をつけるから、筋力は各自でどうにかすること。食事のこともそうだけど、まずは毎日のトレーニングだよ」
「は、はい…先生」
「……」
「それから永遠子ちゃんは、サボってた検査に、明日六月くんと行ってくること」
「…分かりました…」
「…必要なら、柴先生に色々聞いてみたらどうかな。聞くのが怖いのかもしれないけど、家出するほど思い悩むくらいなら、ちゃんと自分から疑問を解消したほうがいい…結果どんなことを言われても、何も心配いらないよ」
うん、と一度頷いてから、佐々木は腕を腰に当てて胸を張った。
「だって何があっても、君たちのことは僕が守るんだから。だからもう勝手に出て行ったりしないこと。分かったね?」
「先生…!」
「うううっ…!あの…!あの…っ!告白してもいいですか…?!」
「あぁ〜今のセリフ、他の三人にも聞かせたいなぁ…」
永遠子は泣きながらすがるように言った。
「好きですハイセさん…!」
「うんうん僕も好きだよ永遠子ちゃん。さあ、お詫びの皿洗いが待ってるよ」
「はい喜んで…!」
「ふふふ、俺も手伝う!」
「えぇ透くんはいいよー邪魔しないでよ」
「明日はちゃんと朝に起きてくれなきゃ困るんだから、早く終わらさないとね」
「えぇー」
「ほら、始めるよ」
そう促されて、六月と隣合わせで皿洗いを始める。佐々木はコーヒーを飲みながらCCGの話を交えて、決して先に眠ろうとはしなかった。
時計の針が日付を変えようとしているのに、片付けを終えても三人の笑い声はリビングにこだましていた。温め直したミルクの甘みに、全ての疲れがほどけていってしまう。
「本当に好きです、ハイセさん」
「お、お、俺も…その…」
「ははは、情熱的だなぁ永遠子ちゃんは〜」
心配をかけたけど、結果的に家出して良かったのかもしれない。永遠子は自分の思い上がりに気が付いていながら、漂うコーヒーの匂いの傍で絶えず笑い続けた。