甲子園を目指す少年少女

□プロローグ
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「ツーアウト!しまっていこ〜!」
『オーッ!』
9回裏、ツーアウト。リトルシニア世界大会決勝戦、日本代表対アメリカ代表の試合は日本がリードして最終回を迎えた。
日本代表チームの捕手としてチームを牽引してきた片倉渚(かたくらなぎさ)は、ナインに声をかけて気合を入れさせて定位置に戻り、バッターを迎えてマウンド上でこちらのサインを待つ日本チームの守護神・榎豊(えのきゆたか)にサインを送る。
(ほ〜・・・相変わらず強気のサインやな)
女房役の可愛い顔に似合わない強気のサインに感心しながら、榎は振りかぶってその左腕を唸らせた。
「ッ!?」
重たい音を立てて渚が構えたミットにボールが吸い込まれる。相手打者が驚愕するそのコースは―――『ど真ん中』。
(このバッターは、まず初球は振ってこない・・・労せずしてワンストライクが取れるんだ)
次のサインを送り、再び榎の左腕が唸る。投じられたのはカーブ。初球に想い剛速球を見せられた残像が残っていたのだろう、完全にタイミングを外されてバットは空を切る。
(榎、相手さん驚いてるね)
(フフフ、ワイの剛速球を見せられた後のカーブやさかいな)
アイコンタクトで会話を交わし、最後のサインを送る。
(おい、ええんか?そんな球で・・・まぁ、ええやろ)
振りかぶり、左腕から最後の球が投じられた―――その最後の球は、バッテリー以外を驚かせるものだった。
唸りをあげる剛速球でも、打ち気を逸らすカーブでもなく―――
フワフワと宙を舞う、超スローボールであった。
(これは見逃せばストライクですよ、バッターさん?)
マスク越しにバッターを見てみれば、彼は困惑した様子でボールを見つめている。そして―――
バットの根っこで叩いた打球は、渚の真上に上がった。マスクを捨てて捕球態勢に入る。
重力に従って落ちてきた白球をミットに収めた瞬間、歓喜が爆発した―――







その数ヶ月後。中学を卒業して高校生になった片倉渚は、数多の名門・強豪野球部を擁する高校からの誘いを断って聖タチバナ学園高等部の制服に袖を通していた。
「う〜ん・・・いい天気だなぁ」
朝の陽ざしを浴びて気持良さそうに伸びをする小柄な少年。黒髪の癖っ毛が特徴で、時々女の子に間違えられる事もある整った顔立ち―――彼が片倉渚であった。






入学式が終わり、振り分けられた教室で一息ついていると、渚は隣の席の少年に声をかけられた。
「おいらは矢部明雄(やべあきお)でやんす。よろしくでやんす」
奇妙な語尾で語りかけてきたその少年は、グリグリメガネが特徴でいかにも『オタク』という感じの人物であった。
「僕は片倉渚。これからよろしく、矢部君」
(なんだか、気の合いそうな人だな・・・)
いきなり友人になれそうな人物と出会って、内心ほっと溜息をつく渚。2人はしばらく中学の事などをネタに話をしていたが、矢部がこの話題を切り出した。
「ところで片倉君はここで何部に入るでやんす?」
聖タチバナ学園は『文武両道』を旨にしており、全学生は必ず文化・スポーツの何かの部活に入らなければならない。
「ええっと・・・」
渚が彼に応えようとした、その時―――スパーンッ!と教室の引き戸が開き、そこからひとりの少女が姿を現した。
サイドテールにした水色の髪に、勝気そうな印象の瞳に整った顔立ちの美少女であった。入学初日でありながら、彼女の名を知らない生徒はいない。
「か、片倉君。橘(たちばな)みずきでやんすよ!理事長の孫娘にして入学生総代の!」
「・・・うん、知ってる」
彼女の名は橘みずき。矢部の紹介通り、理事長の孫娘にして入学生総代を務めたほどの才女である。噂によれば、入学試験の問題をすべて100点で突破したとか。
彼女は教室内をキョロキョロと見渡し、誰かを探しているようだった。渚は身体を縮めて身を隠すという無意味な事をやっていた。
「あー!渚君、いつまで教室でだべってるのよー!」
彼女がズカズカとこちらに向かって歩いてくる音と、クラスメイト達の視線、そして「渚君・・・?」「橘さんって、片倉君とどんな関係なんだ・・・?」とかいうヒソヒソ話が彼の耳を突く。
観念して顔を上げると、そこにはつい数ヶ月前に現れて渚の進学先を決めてしまった少女の姿があった。
「・・・久しぶり、橘さん」
「あっ、まだそんな他人行儀な口きくんだ―――」
そして彼女が次に言い放った言葉が、彼を一躍学校中の有名人にする。
「婚約者(フィアンセ)に向かって♪」

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