二年前(四月〜七月)

□五月〜1〜
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〜りとぅん ばい 光〜


『できっから』
 あんなマジになった声を聴いたのは、初めてだった気がする。
 シンゴは、今の私を見てもそんな風に思ってくれるんだな。…少し、うれしかった。
「で、投げてないだろうな?」
 夕飯を食べながら、兄貴が話しかけてきた。
 今日は、カイトさんも一緒に食べに来てくれているから食卓がにぎやかだ。
「光ちゃん、練習の手伝いまでしてるの?」
 カイトさんは優しい。兄貴はいつも眉にしわを寄せてばかりだから、カイトさんがいるとホッとする。
「うん。ノッカーとか、トスとかやってるけど、投げてないよ」
 というか、投げたくても思うようには動かないし、無理して投げてまた同じ失敗を繰り返すほど私も馬鹿ではない。
「うわ…それは…マネージャーの枠をこえてるんじゃ…」
 苦笑するカイトさんをよそに、兄貴が言った。
「投げてなきゃそれでいい。あとは好きにしろ」
「ところで望ちゃんも練習のお手伝い…?」
 恐る恐るといった感じで訊いたカイトさんに、姉貴の不機嫌な声が飛んだ。
「…するわけがないでしょう」
 ご存じ、超弩級ミラクル運動音痴とはこの人のことである。
「だよね。じゃあ、普通のマネージャーの仕事は望ちゃんがやってるんだ」
「それは三年の先輩ふたりで大体間に合っているようなので。私は監督のほうを手伝ってます。スコアラーをしたり、データ取りをしたり、あとは選手の管理とかですね」
 呆れた表情で私たちを見る兄貴とカイトさん。
「…どこの世界に選手の練習手伝ったり、監督の助手をするマネージャーがいるんだ…?」
 とは、兄貴のお言葉。カイトさんが苦笑しながら言った。
「まぁ、適材適所…ってやつなんじゃない? さっちゃんたちも元気そうでよかったよ。でも…俺たちが野球部にいたころのマネージャーって、つまりさっちゃんたちだけど、おにぎり作ってくれたり、タオルくれたりとかだった気が…」
 三年の女子マネの先輩たちは、兄貴やカイトさんが野球部にいたころは兄貴たちの一つ下の学年で、当時はうちの兄貴やカイトさん達に夢中だったらしい。まぁ、よく聞く話だけど。
「だから、そういうのは俺らん時のまともな女子マネ二人がやってんだろ? 大体、こいつらに飯なんか作らせてみろ。部員の中に死人が出るぞ」
「いくらなんでもおにぎりくらい作れるよッ」
「なんなら明日の夕飯は私と光で作ってやろうか?」
 口々に言う私と姉貴だが、実は私たち、料理は全く作れない。以前二人で作ったとき、ばくっと食べた家族のコメントが…。
「…10点」
 と、これは父。
「ま…まぁ、なかなか独創的なんじゃない? これも個性よね。…あとで、正露丸を飲んでおいたほうがいいかもしれないけど…」
 と、これは母。
「う…うん。…ごめん…お姉ちゃん達…。ちょっと…私は…無理…かな」
 と、これは桜。
「…三人とも評価が手ぬるい。食材を穢れた汚物に変えた罪でてめぇら二人とも死刑だッ」
 と、これは書くまでもなく兄貴。
「ヒドいと思いません?」
 食器を洗いながら、カイトさんが爆笑する。
「そんなに酷い料理なら、俺も一度食べてみたいな」
 カイトさんが洗ってくれた食器を拭きながら、私は言った。
「酷い料理って言わないで下さい」
「ははは。ごめんごめん。大丈夫、料理なんて作れなくても生きていくぶんには困らないから」
 カイトさん、それ…フォローになってない…。ああああああ、やっぱり私、捕手って苦手かも。兄貴がいつも、捕手なんてみんな性格悪い奴ばっかだから気をつけろよって言ってるの、なんとなくわかるもん。うーん…投手の職業病かなぁ…。
「ところで望ちゃん」
「? なんですか?」
「データ整理、してくれてるって言ってたでしょ? せっかくだから、俺が持ってる個人ノートもあげようか? メモ書きとか、まとまってないのも多いけど、去年のデータだから、今年の大会にはまだ十分使えると思うし」
「ありがとうございます。部に残して行ってくれたのも、結構使ってるんですよ」
「お、あれ見てくれたんだ。良かった〜。監督が置いてってくれって頼むから一応置いてきたけど、あんなの誰も興味ないんじゃないかって心配してたんだ」
「そうでもないみたいですよ。一年ですけど、興味持ってくれた捕手がいて、そいつと二人で活用させてもらってます」
「そうか…。今年一年の捕手がねぇ…。もう一年早く生まれてくれれば捕手の先輩としていろいろ教えてあげられたのになぁ。俺がいたころに俺のノートに興味持ってくれたのは監督くらいだったから…」
「監督と話してると、よくカイトさんの名前、出ますよ。細かいところまでデータ集めて分析して、それを使いこなせる優秀な捕手だったって」
「監督はよく俺の話聞いてくれたからね。監督、元気? 大学のこととかいろいろお世話になったのに、卒業してから一度も顔出してないから、そろそろ一度顔見せに行こうかと思ってるんだけど…」
 姉貴とカイトさんはいつも仲がよさそうだ。
 姉貴は私と好みとか苦手なものとか、どんぴしゃでいつも一緒なのに、捕手は苦手じゃないのかな? ああ、だからいっつも和と話してんのか。
 あれ…? てことは、私があんまり和と話してないのも、知らず知らずのうちに私の捕手センサーが勝手に反応して…ッ?!
 いやいやいやいやいやいや。
 それはないって。
 だって和は性格悪くないもん。
 あ、でも…捕手なんだし…?
 え…いや…悪く…ないよね?




「光、どうかしたか?」
 軽く和が訊いてくる。
「ううん。…なんで?」
「いや…なんかずっとこっち見てるから…」
 苦々しく笑う和に、私は無言で机に顔を伏せた。休み時間の教室。開いた窓からカーテンがなびく。
「望。光、なんかあった?」
「いや? つーか和。島崎、別の教室に遊びに行っちゃったけど、どうすんの? これ」
 和と姉貴の会話だけが、前から聞こえてくる。
「あー…。林間学校なぁ。中学ん時もあったな、コレ」
「そうなんだ? そういや和は中学から桐青だっけ? 一応うちの班は班長、和だから。光は寝てるし、島崎遊びに行っちゃったから、和が好きに色々決めていいんじゃないか?」
「…いつの間にか班長欄に俺の名前が…。てかこれ、シンゴの字だよな…。まぁ、いいか…四人班だし、一泊するだけだからそんなにやることもないだろ」
 うーん…こうして姉貴と会話してるの聞いてると、普通の人なんだけどなぁ…。
 でも、捕手…。
「てか、林間学校って何すんの?」
「山いって、草刈りして、ゴミ拾い。んで、飯作って食べて寝る」
 うっわ…行きたくない…。
「…次の日は?」
「朝食べて、礼拝行ってミサ参加して現地解散」
 ……これ、シンゴに言ったら当日こないな。多分。
「完全に山伏の修行だな…。で、現地解散後は学校戻って練習か。帰った後も修行だな。こんな練習ばっかの修行生活を続ければ三年後には悟りでもひらけるんじゃないか?」
 和の大きな笑い声が響いた。
「ははは。桐青は仏教じゃなくキリスト教だけどな。野球ばっかやってて悟りが開けたら仏さまも商売あがったりだな」
「野球はともかく、捕手やってりゃいつかは悟れるんじゃないの?」
「…まぁ、それでいくともうとっくに悟ってる気もするけどな」
 ………何せ捕手ですからって? うぅ…捕手センサーが反応してるよぉ。和がいい奴なのはわかるんだけどなぁ…。
 ほ…捕手センサーが…。
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