二年前(四月〜七月)
□六月〜1〜
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〜りとぅん ばい 望〜
「望。お前、最近表情が優しくなったな」
「え?」
今朝玄関で、靴を履きながら兄貴が突然こぼした言葉。
「…いいことだと思うぜ」
振り向いて笑った兄貴の顔は…滅多に見られない最高の笑顔だった。
放課後、最近の野球部は雨が降る中、室内トレーニングが続いていた。
その所為か、私は再び部室にこもる日が続いていた。光は相変わらず室内トレーニングの選手をしごき続けていたが。
「え? シンゴが?」
「ああ。島崎。あいつ最近すげぇ伸びたなぁ。ゴールデンウィーク終わったあたりから和己とかといっしょに自主トレもほぼ毎日やってるだろ? あいつ、元々才能は光るものがあったからなぁ…。ようやく本気になってくれたってとこか」
部室にいたのは私と監督だけだった。
監督が選手の評価を私に聞かせるのは、信頼されているからだと考えていいのだろうか?
それどころか、最近は意見を訊かれることすらある。
「そろそろ夏大のベンチ決める時期ですから。一年の連中もみんな普段の練習にも気合入ってますし、自主練する人も増えてますね。でも、一年で早い時期から自主練始めて結果出してるのは、和とかシンゴあたりでしょうか」
確かに。言いながら最近の練習試合のデータを眺めてみても、春に比べてシンゴの伸び方は目を見張るものがある。
「ああ。俺も今年の夏大で起用する一年はその辺で考えてるんだが…」
なんとなく、監督の考えが読めそうな気がする。
確かに和はいい捕手だ。入学してここ何か月かの間に、私のデータやカイトさんのデータを本当によく活用してくれて、正直、今うちの部で一番いろいろ考えながら野球してるのはこいつだと思う。捕手としては申し分ない頭だ。
打力もある。捕手としての実力もある。努力もしてる。地肩もかなりのものだ。
だが。
シンゴの存在が最近大きい。
監督も言うように、シンゴの野球センスは今年の一年の中では文句なしにトップクラスだ。
そいつが今、本気になって成果を上げてきている。
その本気の成果を大きな舞台で試したいと思うのは、監督として当然だろう。
私も、今のシンゴを公式戦に出したらどんな野球ができるのか、見てみたい。あいつにはそう思わせる何かがある。
和も決して悪くはないのだが…。
桐青は毎年レギュラーに一人は一年を起用するらしいが、今の正捕手をしている三年に勝てるほど、和の実力はずば抜けてはいない。カイトさんの後釜として桐青の正捕手になった実力は伊達ではない。
…といっても私は、三年の正捕手の人は結構アバウトな感じがして好きじゃない。肩や守備力や打力はすごいと思うけど…。今の桐青のエースが、あまり捕手のリードで力を発揮するタイプじゃないから、それでもいいのかもしれないけど。春大では安定して勝てていたから良かったけど、投手がメンタル弱ってきて、本当に崩れそうな最悪の局面が来たとき、あの捕手は立て直せるんだろうか…。
ちなみに私の気持ちを正直に言えば、今の三年の正捕手より一年の和のほうがいろいろ考えてて、データもしっかり活用してくれるから、和を押してやりたいところなのだが。
それはやはり私情が絡んでいると思うので監督には言わないでおく。
「八番、セカンド。島崎」
「はいッッ!!」
監督の選択はやはり私が想像した通りだった。レギュラーの発表があった瞬間、一年の部員たちの間から、感嘆の声と拍手が上がった。
最近の練習試合でのシンゴの実績はみんなが知っているから、この拍手は賞賛だ。抜擢に驚いた者は誰もいなかった。
「…次に控え捕手、河合」
「はいッ」
春大に引き続き一年でベンチ入り控え捕手。十分立派だ。このまま努力し続けて、夏大が終わって三年が引退したら、和は間違いなく正捕手になれるだろう。
「レギュラー。シンゴに持っていかれたな」
あとから声をかけてやると、和は笑顔で言った。
「それだけあいつが努力したってことだよ。そこは素直に認める。…それに」
「?」
「俺が今しなきゃいけないことは、レギュラー争いにこだわることじゃない。チームの控え捕手として、ベンチから試合に貢献することだよ」
まったく…大した奴だ。
「…そうだな」
「ま、悔しくないといえば嘘になるけどな。…競う相手がいるのはありがたいことさ。今よりもっと努力しようって思える」
つくづく、いい奴だよ…お前。
「がんばれ…ッ」
力いっぱいそれだけ言ってやると、和はいい笑顔で答えてくれた。
「おうッ」
きっと、今の私は笑ってる。