二年前(八月〜十一月)

□八月〜おまけ〜
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〜八月のおまけ〜



「ただいま〜ッ」
 冴木家の玄関に光の声が響く。
 夏合宿から帰った望と光を、嬉しそうな桜の声と面倒くさそうな遼の声が迎えた。
「おかえり〜ッ。お兄ちゃんッ、お姉ちゃんたち帰ってきた〜ッ」
「…またうるせーのが帰ってきたか」
 そして居間から覗く笑顔がもう一つ。
「望ちゃん、光ちゃん、おかえり。夕飯もうできてるよ」
 桜が嬉しそうに付け足した。
「夕飯作るの、カイトさんに手伝ってもらったの。お姉ちゃんたちが久しぶりに帰ってくるから、今日の夕飯ちょっと頑張っちゃった」




 海斗の反応はおおよそ、望と光の予想通りだった。
 すなわち、爆笑。
「あはは。さ…さすが…ははは。流石キリちゃんの弟…。はは…ッ。高飛車なトコとかそっくり…ッ。あはははは」
 夏合宿の話である。
 夏合宿から桐青に入った二年投手、片桐幸彦。こいつのせいで夏合宿は荒れに荒れた。
 もっとも、バッテリーである和己が幸彦を認め、釣り合うだけの捕手になろうとしたことでチームに動きが生まれ、後半はなんとかチームとしての形にはなったが。
「笑い事じゃないですよ…ッ。ほんっとーに大変だったんですからッ」
 怒る光に、なんとか笑いを収めようとする海斗。
 遼が思わず顔の半分を片手で覆った。
「片桐の弟だろ? そいつ、投手としてはどーなんだ?」
 望が食事の手を止めて淡々と答える。
「少なくとも今うちにいる投手の中じゃ一番強いね。球速あるし、決め球のスクリューもかなりキレるし、左だし」
 なんとなく覚えがあるような投手に、遼が一瞬嫌な顔をしかけて、いつものポーカーフェイスに戻った。
 思わず海斗が苦笑する。
「球速があってスクリューが決め球の左投手…」
 …二年の夏に関西から編入してきた投手というだけでも遼に似ていたというのに。
「ますますハルカっぽいね」
「ほっとけッ」
 ドライに言い放つ海斗と怒鳴る遼。
 光が楽しそうに言った。
「なんかね、兄貴のファンらしいよ? ユキさんの兄貴が最後まで打てなかった唯一の投手って言ってた」
「ああ。そりゃ、去年の甲子園の話だな。そいつの兄貴…つまり今うちの大学にいる片桐は、高校時代打てなかった投手いねぇらしいからな。…俺以外は」
 片桐幸彦の兄、敏彦は去年の甲子園の初戦、桐青戦で遼と対戦し、全打席ノーヒットのまま夏を終えた。幸彦にとって、遼を目指すきっかけとなった試合でもある。
 望が少し笑って遼に言った。
「ユキさんと組んだ一年の捕手が苦労してたよ。『ヘボ捕手にリードされたくない』って言われたらしくて…」
 珍しく自分から話題を出した望に興味を覚えたのか、軽く笑って遼は低く言った。
「…で、そしたらその捕手はなんつった?」
「『投手には首を振る権利があるんだから、捕手にはサインを出す権利がある』って言い返してた」
 横で静かに肩を震わせて笑い出した海斗を無視して、遼は望に言った。
「確かに、サイン出すだけなら自由だな」
 それに従う義務はない、と言いたげな遼を無視して、海斗が笑顔のまま口をはさんだ。
「大丈夫だって。首を振るのだってカロリー使うんだし、そのうち首振りに疲れたら素直にサイン通り投げてくれるって」
 青くなる光に、苦笑する望。
 これだから海斗は怖い。
 いや、和己だって似たようなことを言っていた。全球首を振られても、全球サインを出す…と。元投手の光が小さくつぶやいた。
「やっぱり捕手って怖い」
 遼が呆れたように海斗に言う。
「カイト…てめーには投手の意思を尊重するとかそういうのは…」
「ない」
 即答。ますます青くなる光。海斗は続けた。
「望ちゃん」
「はい」
「その捕手の子に言っておいて。投手は甘やかしちゃダメだよ。首振れば何でも思い通りになると思わせちゃったらあとが大変だから。おだてるのも挑発するのも叱るのも、全部大事だからねって」
 額に青筋を立てた遼が何か言う前に、望が口を開いた。
「伝えておきます。…あの…カイトさんは、捕手の条件って何だと思います?」
 真剣な顔で一言。望の顔を一瞥して、海斗は笑顔を消して、真面目な顔で一言言った。
「投手と、自分と、そしてチームを大事にできること」
「………」
「いじめちゃダメだよ。投手も、自分自身も。好きになって大切にしてあげること。優しくすることと厳しくすることは、同じ意味の言葉だよ。…理由はわかるね?」
 柔らかいのに芯の通った透明な声だった。しばらく海斗の目を静かに見つめた後、望は優しい目で返した。
「…それも、伝えておきます」
 しばらくして遼が望に言った。
「念のため言っとくが、投手は捕手よりずっとわがままな生き物だ。プライドだって高い。まして片桐の弟だ。そう簡単にはいかねーぞ?」
「…ま、やるのは私じゃないけどな。私もやれるだけやってみるよ。………力貸すって…言ったから」
 後半、聞こえるか聞こえないかというくらいの声量でボソッとつぶやいた望に、眉を寄せる遼。
「は?」
「…ッ、なんでもない…ッ」
 何事もなかったかのように笑顔で食べ終わった食器を重ねて運ぶ海斗と桜。
「なんなんだよ…」
 遼に答えずに皿を重ねて席を立つ望。残った光が無邪気に遼に訊く。
「ねー、ユキさんの兄貴ってどんな人〜?」
「あー…片桐か。あいつはあんま喋るやつじゃねぇけどな。黙って打つタイプだ。…自信家でプライド高くて高飛車なトコはあるけどな。高慢なガキって点ではさっき話に出てた弟といい勝負だろうよ」
「…兄貴、結構気が合うんじゃない?」
「いや、俺はガキじゃねぇ」
「…否定するなら高慢の方を否定しようよ」
「ん? 何か言ったか?」
「いやいやいや。でも兄貴同い年なんでしょ? その人をガキって言ったら兄貴も同じなんじゃ…」
「精神年齢の話だ。前の夏に負けたこといまだに引きずってる野郎なんざガキで充分だろ」
「…シンゴ…ガキじゃなくなって良かったね…」
「は?」
「…ッ、なんでもない…ッ」
 望とまったく同じ顔で同じセリフを放っていなくなった光の後姿を見ながら、遼は一人つぶやいた。
「…聞こえてねーフリすんのも楽じゃねーな。ったく…」
 いつの間にか戻ってきていた海斗がニコニコ笑いながらつぶやいた。
「あの子たちなら、そのうち話してくれるよ。きっと」
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