二年前(八月〜十一月)

□九月〜1〜
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〜りとぅん ばい 光〜



 夏休みはあっという間に終わり、二学期が始まった。
 夏合宿の締めの試合で接戦の末勝てた私たちは、その勢いのまま秋季大会の初戦を突破し、チームは完全に春の勢いを取り戻した。
「…じゃ、残りの下位打線はさっきの打ち合わせ通りで」
「りょーかい。それでいこか。…河合」
「なんスか?」
「お前、最近えらい調子えーやん。合宿の時はアレ調子悪かったんか?」
「あー…いえ。調子悪かったわけじゃないっス。ただ、俺も片桐さんみてて色々思うところがあったんスよ」
 軽く微笑んだ和に、ユキさんが少し笑って言った。
「ああ。なるほどな。…確かにお前、最初俺と組んだときはえらいヘボかったしな」
「…今はヘボくないスよ?」
 うわ…最近の和ってなんだか強くなったなぁ…。余裕のある表情の和に声をあげて笑った後、ユキさんは言った。
「そやな。…お前にゆーた『ヘボ捕手』、全面的に撤回したる。和己ッ。明日の試合、頼むで」
 和は驚いたような顔で半瞬固まった後、大きな声で威勢良く叫んだ。
「…はいッ!!」
 紅潮した顔のまま、少し俯いて顔を隠しながら小走りに部室を出ていく和が…とても嬉しそうに見えた。
 あとに残った私に、ユキさんが独り言のようにつぶやく。
「…ホンの一か月前までヘボ捕手やったとは思えへん。よーやりよるな」
「ユキさん」
「ん〜?」
「…和のどこがヘボかったんですか?」
 実は、私は和を見ていてヘボ捕手だと思ったことは一度もなかった。姉貴にも合宿の時に一度同じことを訊いたのだが、姉貴は和がヘボ捕手だといわれる理由がわかっているような感じだった。姉貴曰く、和も自覚はしてくれたようだと…その時は言っていたけど。つまり、和は自覚して、克服したということ。でも、私にはそれがなんなのかわからない。
「一言でいえば、投手に甘過ぎ…やな」
「え?」
「投手を甘やかす捕手は、大概自分のことも甘やかす。そーゆーバッテリーは勝てへんよ。光ちゃんも元投手やったんやろ?」
「…はい」
 なんとなく、わかった気がする。
 私たちが夏大の時、初戦で負けた理由。
 そして、昔私と組んでた捕手の子が、どれだけいい捕手だったか。苦手…なんて思って本当に…ごめん。
「投手やった人間やったら、捕手のありがたさも、マウンドのプレッシャーも、全部わかるやろ」
「はいッ。ユキさんってなんだか…うちの兄貴みたいですね」
 なんとなく似てる気がして言ってみると、ユキさんは笑いながら言った。
「そらマネしてるもん。光ちゃんは兄貴のマネされんの嫌か?」
「そんなことないですッ。逆にちょっとうれしくなるっていうか…。あの…カッコいいと…思います」
 えへえへ…なんか私、今日はちょっとテンション高いかも。だってうちの兄貴はホントにカッコいい。
「はは、なんか…喜んでえーとこなんかびみょーやな…。でもまーえーか。光ちゃんに似てるゆーてもろたら悪い気せーへんし。なぁ、光ちゃん」
「ん? と、なんですか?」

「今、付きおーてる人、おるん?」

 え…? や、まぁ…いない…けど?
「いません…けど」
 ゆっくりと私に近づきながら、ユキさんは言った。
「よー告られとるやろ? 付きおーとる人おらんのにアレ全部断ってるん?」
 じりじりと壁際に後退しつつ、私は言った。
「…告ってきた人のこと、別に好きじゃないんで…」
「…へぇ。えーやん。ますます気に入った。そーゆープライド高い子は好きやで」
 べったりと背中を壁にくっつけて、それ以上後退できない私の右手首を軽く握って壁に押し付けて、ユキさんはとどめを刺した。
「俺が今ここで告ったら、どないする?」
 あああああああ。やっぱりぃぃぃぃぃ。
 そーゆー展開かッ。なんとなくいつもの告られる空気に似てたから予感はしてたけど。
 まぁ、いつもと一緒…いや、確かにいつもより断りづらいけどッ。
「それは…あの…」
 なんて言おーかなー…。難しーな…。
 考えた末、私が口を開きかけた瞬間だった。
 バンッ。と部室のドアが乱暴に蹴り開けられて、大きな声が響いた。
「邪魔してスンマセン。片桐さん、監督が呼んでるっスよ?」
 し…シンゴ…? なんか、全身から殺気がほとばしってるよーな…気が…。
「…おい、邪魔やてわかってんのやったら空気読めや」
 ゆ…ユキさん? シンゴに喧嘩売っちゃダメですってッ。
「あれ? 空気って吸うもんですよね?」
 ちょッ!! シンゴ〜〜〜ッ。その喧嘩は買っちゃだめぇぇぇぇ。いつものシンゴならそのくらい軽く流せるでしょぉぉぉぉ。なんで今日だけ子供みたいなこと言ってんの〜。
「ほな、外で好きなだけ吸ってき」
 しかし、その言葉を完全に無視してツカツカと部室を歩き、軽く笑うユキさんの片手をつかんでシンゴは言った。
「…手、放してもらっていいスか?」
 私の手首をずっと掴んだままだったユキさんの片手をシンゴが掴んでいる状態だった。
 シンゴの低い声だけが耳に残ったまま、誰も何も言わない状態。無言の中で、シンゴの真剣な目を見ているのがなんだか辛くて目をそらす。ユキさんが私の手を放して言った。
「ほな、光ちゃん。続きはまた今度な」
 ええええ。続くんですか? ヒラヒラ手を振りながら部室を出ていくユキさん。この話は兄貴には言わない方がいいな。ユキさんの兄貴がうちの兄貴に殺されてしまう。ユキさんが出て行ったあとで、その場に立ち尽くしていた私に、シンゴが言った。
「お前、何してんの…。今まで他の部員にはこんなことさせなかっただろ?」
 確かに。部室に二人きりなのに隙だらけとか、私も悪かったよ…。
「あ…ああ。うん。まぁ…ごめん。ユキさんだったから、ちょっと油断してた…かも」
「ユキさんだったからって……あのなぁ…」
「…………ごめん」
 シンゴが怒ってるのは、私のせいだったらしい。
「いや、別に俺に謝ることじゃねーけど。つーか、止めないほーが良かった?」
「いやいや、それはない。どーやって断るか困ってたから。助かったよ」
 軽く笑う私に、暗い顔のままシンゴはボソッとつぶやいた。
「…だったら手なんか触らせんなよ」
「え?」
 今、なんか言いました…?
「なんでもねー。俺、練習戻るから」
 あ、ああ。うん、そだね。でもさ。
「なんでもないって感じじゃないんだけど…?」
「…別に」
「ごめん、シンゴ。さっきのまだ怒ってるなら謝るから…」
「だから俺に謝ることじゃねーっつってんだろッ!」
 ………ッ!! 全身で思いっきり怒鳴った後、我に返ったようにシンゴは言った。
「あ…ごめん…。あ…のさ、光に怒ってるわけじゃねーから」
「シンゴ、ちょっと待っ…」
「…さっきのは別にお前が悪いわけじゃねーし…あんま気にすんな」
 それだけ言い残して、シンゴは逃げるように部室を出て行った。
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