短編CP

□ささやかな一時
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 起き上がろうとすると、頭をぐらりと揺らされたような目眩がした。上体が起きたのはいいが、首で支えるのが億劫に感じる。俯いたまま額に手を当てると、気持ちの悪い熱さが伝わってくる。触っていたくなくて手を離した。

「……風邪か」

 ぽつりと呟いたはずの声は、掠れた喉から絞り出されたせいで、普段の声とは大分違う。ざらついた声だ。
 眼鏡をかけ、携帯を手に取ると、オレの着信履歴を綺麗に埋めてしまっている名前に電話をかけた。呼び出し音が鼓膜を震わせると、頭に響いて気分が悪かった。しかし、その不快感も束の間、、普段なら気にならないのだろうが、やかましい声が小さなノイズと共に聞こえてくる。思わず携帯を閉じそうになったのをなんとか止めた。

『もっしもーし真ちゃーん? どーしたこんな朝っぱらから』
「今日は学校を休む。迎えに来なくていいのだよ」
『へ!? なんで、真ちゃんどうかしたのかよ?』
「あまり大声を出すな、頭に響く……」
『あっ、……あーあ、なーるほど風邪か。なんか声変だもんな』
「ああ……そういうわけだ。それではな」
『ぇあっ、ちょ、真ちゃ』

 高尾がオレを呼びきる前に電話を切った。思いの外体が重い。いつもの時間に降りてこないオレを心配して部屋へ入ってきた母親に風邪だと告げれば、物わかりのいい彼女は、学校には連絡しておくと言ってくれた。
 大人しく寝ていれば治るだろう。しかし、風邪をひくなんて何年ぶりかわからない。バスケに本格的にのめり込み、体調管理にも人事を尽くすようになってからは、風邪などとは疎遠になっていた。きっと、小学校に上がりたての頃にひいたのが最後だろう。あの頃はまだピアノや勉強に目が行っていて、外にもあまり出なかったせいか、オレは病弱な子どもだった。
 そんな昔のことを思い出すのも、病気で気が弱くなっているからなのだろうか。そんな自分に小さく笑みを漏らしながら、再びベッドに体を沈め、そっと目を閉じた。


 * * *


 あの緑間真太郎が風邪をひくなんて、明日は嵐か。なんて思って携帯を閉じた。今まさにチャリヤカーに使う潤滑油を棚から出したところだというのに。
 しかしこれはただ事じゃあない。『人事を尽くして天命を待つ』が信条で、勿論体調管理にだって抜かりなく、病気に対して結界でも張ってんのかというほど頑丈な真ちゃんが風邪をひいたんだ。どんだけ感染力強いんだよ。あ、そこじゃないか。
 つまーり、ここで看病しに行かないオレはオレじゃない。言い換えれば、ここで看病という大義名分を使って真ちゃんとイチャコラしに行かないオレはオレじゃない。幸い今日は学校が午前放課で部活が休みだ。しかも教科はオレの得意科目や実技モノばかり。休んだって問題ない。おまけに言えば真ちゃんのお父上はお仕事(それも宿直)で、お母上は今日からピアノ教室のみなさんで旅行だ。真ちゃんも高校生なんだし、いくらなんでも息子の風邪ごときで欠席はしないだろう。
 負ける気がしない。いや勝つ気しかしない。

「そーと決まれば?」

 行くしかないっしょ!
 風邪薬やら氷嚢やらマスクやらタオルやらをかき集めてきて、バッグに詰め込む。玄関から飛び出すと、チャリヤカーのリヤカーを外してチャリだけにする。ペダルを漕ぐと、普段の重量感とは比べ物にならないほど軽くて、思わず前につんのめりそうになる。普通のチャリの感覚を忘れてしまうほど、オレは真ちゃんをリヤカーに乗せて走っていたんだな。
 一度もじゃんけんに勝てていないと思うと悔しいけれど、その負けた数だけ真ちゃんと一緒にいると思うと、たちまち嬉しくなってしまう単純な自分がいる。

(……オレ本当に真ちゃんに惚れてんだな)

 そしてその惚れてる相手とお付き合いしていて、今はそいつの看病をしに家まで向かおうとしてる。幸せ者だなオレ。
 いつの間にか速くなっていたペダルを踏むスピードに、自分でびっくりして思わずブレーキをかけた。案の定つんのめってコケた。
 
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