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□4:訪問者たち、眠れる者と見守る者
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明治屋でフライドチキンを買い込んで、隣町の交差点で伏木蔵をひろう。
伏木蔵は僕と数馬の後輩で、こっちの近くの総合病院につとめる脳外科医だ。
青白くやせて無口な、顔の造作の綺麗な人だ。

僕までおじゃましていいんですか、と言いながら、伏木蔵は車に乗り込んだ。
助手席には数馬が遠慮がちに座っている。


「花よりもやっぱりケーキですかね」


不安げに目を伏せて数馬が呟いた。


「奥さん、甘いもの好きですか?」
「うん」
「じゃあ、あとでちょっとケーキ屋に寄ってくれますか?」


わかったよ、と僕は言った。

家に帰ると思わぬ先客があった。
望美の両親と、それから留三郎だった。
その組み合わせにぎょっとして、一瞬背中が冷たくなる。


「おそいっ」


望美が言う。時計は七時ちょうどである。
おそいおそいおそい。
題目のようにぶつぶつと唱えて客まで睨むので、数馬と伏木蔵はすっかり怯んでしまった。


「ごめなさいね、急におじゃまして」


望美の母親が高い声をだし、横で数馬がいっぺんに身を固くした。


「七時だったんだってね。すっかり勘違いしてさ」


しらじらしく言うと、留三郎はアハハ、と笑った。


「五時ばかりだと思ってた」


僕は絶句し、人で一杯になった2LDKマンションは、望美の母親の香水と、たった今買ってきたフライドチキンの匂いとで、息苦しく混沌としていた。


「甘いものがお好きだそのうなので」


口の中で呟くように言って、伏木蔵がケーキの箱を望美に差し出し、あらあら、すみませんねぇ、と言ったのは望美ではなく望美の母親だった。
ごちゃごちゃだ、と僕は思った。


「いやぁ、賑やかだねぇ」


望美の父親が言う。
揃いにも揃ってこう機嫌がいいと不気味だ。


「それで、みんなお医者さんかい」


僕は一通り紹介した。


「今、食満くんが伊作の話をしてくれてたの」


望美が言い、僕はオーバーではなく、指先がぞわぞわして冷や汗がでた。


「いやぁ、けっこう、けっこう。では、我々はお暇としましょう」


一体何がけっこうなのか、義父は僕の肩をぽんぽんと叩いて立ち上がった。
義母はもう少し残っていたそうな様子だったが、望美がコートをとってきたので否応なく帰る格好になった。

玄関で、いちばん愛想よく見送ったのは留三郎だったけれど、リビングに戻ったときに小さな声で、
ああ、これで酸素が少し濃くなった、と呟いたのも留三郎だった。


「適当に座って」


紅茶茶碗を片付けながら僕は言い、望美はティーポットに残った紅茶をじょぼじょぼと流し台に捨てた。


「いいマンションですね」


げんきんに調子を取り戻した数馬が言う。
こっちは寝室ですか?とか、ここが風呂ですね、とか、数馬は一通り点検してからソファに座る。


「なるほどねぇ」


望美はミントジュレップをつくってそれぞれの前におき、それからバーボンの壜をテーブルの真ん中にどんっとおいて、


「おかわりはご自由にどんどんどうぞ」


と言った。
稲荷ずしだのフライドチキンだのがぎっしり並んだテーブルは、本当に子供のパーティーのようだった。
そして、望美が大きなカゴに山盛りの野菜を運んできたときには、そこにいた誰もが口を開けた。


「だって、お酒を飲むともの凄く野菜がほしくなるでしょ」


言い訳のように望美が言った。
いつもなら冷笑するはずの留三郎が、はじめに手をだした。
みるからに硬そうなにんじんをガリガリかじる。
勢いに棹さすように望美がセロリをかじり、みんな物も言わずにそれぞれ野菜を一つずつ食べた。


「望美さんのからだは、きっと素直なんですね」


伏木蔵が言い、僕たちはひどく驚いた。
伏木蔵が自分から喋ることなどめったにないのだ。


「お酒はからだを酸性にしますからね。野菜はいいですよ、お酒を飲むとき」


望美は、今夜はじめて心から嬉しそうににっこりした。

まったく奇妙な夜だった。
伏木蔵の普段の酒量は知らないが、僕も数馬もほとんど飲まない。
留三郎にしたってそう飲む方ではないのだが、僕たちはその夜、そろってミントジュレップをかぶ飲みした。


「終電に乗るならそろそろだな」


と留三郎が言った時の部屋の中の空気は、いわく形容しがたい。
果てしなく続くかにみえた夜は唐突に幕をおろし、僕達はぞろぞろとおもてに出た。
送ってくれなくていい、留三郎はそう言ったが望美が送ると言って譲らなかったので、僕達は揃って夜道を駅に向かった。
誰もかれも無口で、けれどそれは気詰まりというよりむしろ滑稽な感じがした。
しおしおた歩く僕達のよこで、望美は大きなパックごと持ってきたアイスクリームをスプーンですくって、黙々と食べながら歩いていた。

商店街にさしかかったとき、留三郎はふいに立ち止まり、


「俺、ちょっと寄り道していくわ」


と言った。


「近所に友達が住んでいるんだ」


そんな話は聞いたこともなかった。


「近所ってどこ」
「森口トーフ店の裏」


もちろんそんな豆腐屋は見たことがなかったが、これ以上何を言っても無駄なことはわかりきっていた。


「ごちそうさま、望美」


さっさと道を引き返す留三郎の背中に、望美だけが大きく手を振った。



数馬と伏木蔵が無事終電に乗るのを見届けて、僕と望美はぶらぶら帰った。


「食満くんもばかね」


おかしそうに望美が言った。


「今どき豆腐専門店なんてそうそうあるものじゃないのにね」


うん、とだけ僕はこたえた。
留三郎は望美が僕のことを同性愛者だと思い込んでいることを知っている。
だから今日は、僕と望美に遠慮したのだろう。


「みて」


望美の視線の先に大きな家があり、門燈に照らされたその犬小屋から、ジーパンを履いた足が2本突き出していた。まぎれもなく留三郎の脚だ。


「留三郎!!!」


「もうちょっとだったのになぁ」
と、留三郎は言った。

「何してたんだよ、あれがお前の友達か」
「一緒に寝てもいいか、って交渉したんだ。そしたらいいって言ったから」
「ほんと?」


驚いて尋ねた望美に、留三郎は真顔で頷く。


「留三郎」


僕はたしなめ、留三郎はまたにやっと笑った。



まったくばかばかしいことだが、僕たちはその夜、三人でリビングに雑魚寝をした。
望美が、自分はソファで寝るので恋人どうしが寝室で寝るべきだと、主張して、当然僕はそれを否定した。
結果、揃ってリビングに寝ることになったのだ。


「旅行に行ったみたい」


望美が言った。


「新鮮でわくわくするね」


僕はことの異常さに、とても眠れそうになかった。
ただでさえベッドが変わると眠れないたちなのだ。
絨毯に毛布を広げただけのこんなところで、しかも左に望美が、右に留三郎がいるこの状況で、どうやって寝ろというのだろう。


「お母さんたち、喜んでいたわ」


望美がいきなり言った。


「二人とも食満くんのことをすごく気に入ったみたい」
「そう」
「食満くんが伊作のことあまりに褒めるから、お父さんなんてほんと誇らしそうな顔してたわ、望美にはすぎたご亭主だなって」


今日の望美は饒舌だ。
伊作はほんとにすぎたご亭主よね。望美はぽつんと言った。


「でも今日は減点一よ。帰ってくるのが遅いんだもの。ほんとに遅かったわ。5時間も待ったのよ。6時間だったかな」
「おいおい」


まるで誇大妄想だ。
よっぽどお母さんたちをもてあましていたらしい。


「食満くんは?」
「寝てるよ」


天下泰平の体の留三郎の寝顔をみながら、僕はほとんど苦笑してしまう。
どういう神経の奴なんだ、まったく。


窓の外で風にのって、雨の匂いが流れ込んできた。




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