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□8:銀のライオンたち
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病院から戻ると、望美がリビングでテレビをみていた。
それも、かなり集中して。珍しいことだ。
声をかけると、おかえりなさい、と言ったが、目は画面から放さない。


「何みてるの」
「テレビよ」


望美は即答する。
悪気があって言うわけじゃないらしいので、僕はその返事に納得するよりない。
着替えて靴の手入れをし、うがいをして戻ると、もうテレビは終わっていた。


「何食べようか」


冷蔵庫を物色しながら僕が言うと、望美はぼんやりした声で、なんでもいい、とこたえる。
意識がまだテレビの中から戻ってきていない、という感じだ。
昨日つくったハンバーグのたねが残っていたので、今夜は肉だんごにしよう、と思った。
肉だんごと卵のスープ。


「どんな番組だったの」


僕は、今度は慎重に言葉を選んで質問した。


「野生動物のドキュメンタリーよ」


望美はまだぼーっとしていた。
野生動物の映像が、よほど強烈なインパクトをもってたらしい。


「明日、どっか行こうか」


彼女の意識を現実に引き戻すべく、僕は提案した。


「久しぶりに映画とか」


ユキちゃんのところに行く約束なの、と望美は言った。
あれから一週間、ついに事情聴取のために出頭命令というわけだ。


「僕も行こうか」


望美は首をふる。


「すぐ帰ってくるわ。せっかくの日曜日なんだから、伊作はのんびり大掃除でもしてて」


大掃除。それはとても魅力的な言葉だった。
下駄箱の奥に溜まった砂や風呂場のタイルの目地を思い、僕は武者震いした。

食後に望美が二人分の紅茶をいれる。


「伊作、銀のライオンの話を知ってる?」


紅茶にラム酒をおとしながら、望美は言った。


「それ、さっきの番組の話かな」


望美は、いいえ、と言う。
いいえ、伝説よ。


「ああ、そう、伝説か」


僕はホッとして、紅茶を一口啜る。
話して、と僕は言った。それ、どんな話なの。


望美の説明によれば、何十年かに一度、世界中のあちこちで、同時多発的に白いライオンが生まれることがあるという。
極端に色素の弱いライオンらしいが、仲間に馴染めずいじめられるので、いつの間にか群れから姿をけしてしまう。


「でもね」
と望美は言った。


「でも、彼らは魔法のライオンなんですって。群れをはなれて、どこかに自分たちだけの共同体をつくって暮らしてるの。
彼らは草食なのよ。それで、もちろん証明されてはいないんだけど、早死になの。
もともと生命力が弱い上にあまり食べないから、みんなすぐに死んじゃうらしいわ。暑さとか寒さとか、そういうことで。
ライオンたちは岩の上にいて、風になびくたてがみは、白っていうよりまるで銀色みたいに美しいんですって」


何の感情も込めない風に、望美はそう言った。

暑さや寒さで死んでしまうライオン。
そんな話はきいたことはない。
どうこたえていいかわからずにいると、望美は僕の顔をじっと見て、


「伊作たちって銀のライオンみたいだって、時々思うのよ」


と言った。僕は狼狽した。
伊作たちっていうのはつまり、僕や留三郎や数馬や伏木蔵のことなんだろうか、と思いながら、言うべき言葉をみつけられない。

望美はすっかり冷めてしまった紅茶をゴクゴクと一気に飲んだ。




翌朝、望美が10時頃にでかけたので、僕は早速掃除を始めた。
しかし、掃除機のあとでモップをかけ、すっかりのって窓も磨こうと思ったところで電話がなった。
留三郎からだった。

駅からなんだ、と留三郎は言った。

ちょっと寄ってもいいか。
すぐ帰る。いや、飯は済ませたよ。
お前、まだ食ってないのか。もう二時半だぞ。


「一人?」
「あぁ、一人だ。望美はいるのか」
「でかけてる。知らせてくれれば二人で待ってたのに」


そんな大げさな客じゃないよ、と言って、留三郎は困ったように笑った。

電話をきるとすぐに、望美が帰ってきた。


「あぁ、留三郎が遊びに来るって」
「いつ」


驚いたように望美が訊き、僕は時計をみて、あと五、六分、とこたえた。
望美は険しい表情で数秒間考えこんでいたが、ちょっとでかけてくるわ、と言って玄関に引き返した。
たった今脱いだばかりの靴をもう一度履き、たった今閉めたドアをもう一度あける。


「どこ行くの」
「お菓子を買ってくるわ」


いいよ、そんなの、と僕は言った。望美は首をふる。


「ユキちゃんに言われたのよ。普通はお客様用のお菓子くらい用意しとくものだって。
私はそんなことちっとも考えなかったら、お客様がみえてもいつもお茶だけとか、自分の食べるものばっかり出してたの」
「いいよ、そんなこと気にしなくても」
「それだけじゃないの」


断固とし調子で望美は言う。


「今日はユキちゃんにたくさんお説教されたわ。遺言だと思いなさいって。本当にユキちゃんはいい友達だった」


僕は戸惑った。


「・・それじゃあまるでユキちゃん死んじゃったみたいだよ」


まさか、と言って望美は笑った。


「あんなにお説教好きな死人がいる?ユキちゃんはね、私には妻としての自覚が足りないって言うの。私に必要なのは常識っていうよりも自覚なんだって」
「・・・・」


大変、食満くん来ちゃうわね、と言って望美は出ていった。
入れ違いに留三郎がやってきた。忙しい日曜日だ。


「どうだ、新婚生活は」


どうしてコイツは直球を投げないのだ。


「何とか無事でやってるよ」


そうか、と言ってコーヒーカップを両手で包むように持ち、留三郎は言った。


「ここは病院みたいだな」
「病院?」
「がらんとして清潔で、まぁ近代的なのかもしれねぇけど」


近代的、という意味をはかりかねて、僕は留三郎の顔をみた。
しかし彼はそれ以上説明しなかった。

僕は空間を埋めるために、ひたすら喋ることにした。


「留三郎、銀のライオンって知ってる?色素の弱いライオンなんだけど銀色でね、みんなと違うから仲間からはみだしちゃうんだ。
それで、遠くで自分たちだけの共同体をつくって生活してるんだって。望美が教えてくれたんだ。
望美はね、僕や君を、その銀のライオンみたいだって言うんだよ。
そのライオンは草食で、身体が弱くて早死になんだって。
早死にのライオンなんて、まったくユニークだよね、望美の発想は」


僕は笑った。笑いながら、泥沼だ、と思った。
留三郎は笑わなかった。


「俺やお前のことはよくわからねぇけど」


ばかみたいに喋り続ける僕をじっとみてからコーヒーに口をつけ、



「でも、俺には望美も銀のライオンにみえるよ」



と言って、ひっそり笑った。


望美が帰ってくると、僕たちは緑茶を飲み、水ようかんを食べて、あたりさわりのない話をした。
水ようかんの甘さは舌に冷たかった。
帰り際、留三郎は僕に耳打ちをした。
「ちゃんと望美と話し合って早く誤解を解け。お前が愛してるのは誰だ。俺じゃない。
あいつ、かなり追い詰められた顔をしてるじゃないか。
ーーー伊作、一番大切なものを見失うなよ」






ユキちゃんの遺言の謎が解けたのは、夜になってからだった。
事情聴取は、どうやら失敗に終わったらしい。


「ユキちゃんと絶交したの」


と望美は言った。


「絶交?」


言葉の強さに驚いて、僕は少し怯みながら訊き返した。


「どうしてまた」
「私と私の友達のことなんだから、伊作には関係ないでしょう」
「そんなの子供じみてるよ、だいたい遊園地のことは僕に責任があるんだから、望美とユキちゃんが絶交する必然性なんてない」


望美は黙っていた。


「絶交なんて言葉は、そんなに簡単に使う言葉じゃないんだよ」


望美は僕を睨んだが、グラスを片手に、依然として黙り込んでいる。


「ユキちゃんはいつも心配してーー」


じゃあどう説明すればよかったの、と望美は言った。
ひどく冷静な声だった。


「伊作が利吉さんを誘ったこと、どう説明すればよかったの。そういうの、もうめんどくさいわ。
私はこのままでいたいし、伊作と二人でいられればそれでいいの。ユキちゃんがいなくても淋しくない。
食満くんもいるし、三反田さんだって鶴町さんだっているでしょう」


毅然とした、まっすぐな目で望美は言い、僕は、俺には望美も銀のライオンにみえるよ、と言った留三郎の言葉を思い出した。


「ユキちゃんの話はもうおしまいにして」


懇願するように言うと、望美はさばさばと炭酸酒を飲み干した。


「伊作のももらっていい」


どうぞ、と言うと僕のグラスをとり、にっこりしてから一口啜る。


「キュラソーとトニックウォーターと、それから伊作の味がする」


呟くみたいに望美が言い、僕は立ち上がった。


「お風呂いれてくるよ」


望美のように純粋な人間には、たぶん何でもないことなのかもしれない。
でも僕はときどき混乱するのだ。
望美の無防備な言葉、安心しきった眼差しや笑顔。僕には縁がないはずの感情。
望美はどうしてこんなあっさりと覚悟をきめられるのだろう。
今まで大切にしてきた色々なもの、両親やユキちゃんや、今まで愛してきた人たちのいる場所から、
こんなにどんどん孤立しつつあることに、彼女は気がついてるんだろうか。


「お風呂?」


望美はいたずらっぽく目を輝かせた。


「ね、バスタブに水をはって、金魚入れてみない?金魚のプール。それで端から端まで泳ぐのに何分かかるか記録しとくの。
朝顔の成長記録みたいにね。夏の終わりまでにどのくらい進歩するかしら」
「奇抜だね」
「でも楽しそうでしょ」


望美ははしゃいでいる。
どこか刹那的なはしゃぎかただった。痛々しいくらいだと思った。
蛇口を捻ると轟音と共に水が流れ落ち、リビングから歌声が聴こえる。


ユキちゃんに会って話をしたほうがいいなと思った。
ちゃんと説明する必要があるのだ。

もう、限界なのかもしれない。



不意に、そうだ、グラフを作ろう、と思った。
金魚の進歩が一目でわかるように、折れ線グラフの軸をかいて望美にプレゼントしよう。

冷たい水の中で、金魚はきっと優雅に泳ぐだろう。



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