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□儚げなローゼル
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三郎次が消えた。


本来ならば、これが正しい状況なのかもしれない。
私の世界に存在していた三郎次が消えてしまった。
姿かたちも見えないし、声も聞こえない。呼んでも、反応はない。三郎次は本当に消えてしまったのだろうか。それとも私が視ることができなくなってしまったのだろうか。


ーーピッ、ピッ、ピッ


今の私に聴こえるのはこのリズミカルに鳴る、電子音のみである。
三郎次が私の前から姿を消してしまった日から、毎日ように病室へ通うようになった。本当の三郎次が眠っているこの部屋に。此処に居れば、三郎次が現れるんじゃないか、なんて気がして。


そっと、三郎次の手に触れてみる。
温かい。私の体温と然程変わらない。生きている人間の体温だった。あぁ、三郎次は生きている。死んでない。
なのに、どうして目を覚まさないのだろうか。医科学的な理由は分かっていた。でも、私は我慢ならなかった。そこに居るはずの三郎次が、私を見ていない、そんな現実が我慢ならなかったのだ。

三郎次がこんな状態になってから、自分がどんどん壊れていくような気がする。
自分でも驚くくらいにメンタルが脆くて、どんどん、おかしくなっているような気がする。
きっと、それは気がする、ではなくて確信しているのだと思う。

私はおかしい。


私はおかしい。おかしいのだ。三郎次が目を覚まさないのは誰でもなく私のせいなのに、その責任すら放り投げて逃げようとしている。
私が自分でもっと早く対処できていたら。三郎次に相談なんかしなければ。三郎次に助けを求めなければ。
このような惨事は起らなかった。


三郎次は私のストーカーに襲われた。


相手が刃物を持っていて、私は何も反抗できなくて、ただ呆然と見つめることしかできなくて。
それでも三郎次は必死に私を守ろうとしてくれた。
取っ組み合いになって、その拍子で刺され、そのまま歩道橋の階段から転げ落ちて、頭を強打した。その衝撃が原因で彼は今も尚、目を覚まさない。
脳死と酷似した病状にもう誰もが諦めていた。クラスメイトも家族も。一年たっても基調の兆しがみえない、まわりにとって彼はもう死んだ人間同様だったのだ。
諦めていないのは、諦めきれないのは私だけ。
だからだろうか、離脱したとも言える彼の姿を視ることができたのは。
いや、でも心の何処かで私自身も、もう諦めているのかもしれない。
だって、彼を視ることができなくなってしまったから。

もう、三郎次は二度と目を覚まさない。
そう、決めつけてしまっているのだろう。


ピッ、ピッ、ピッーー。


このリズムを乱してしまったら。
このリズムを止めてしまったら。
間違いなく、彼は死ぬ。物理的に死ぬことになるだろう。
心は死んでしまっているのに、身体だけ生かされている。そんな辛いこと、ってないでしょう、三郎次。とっても、とっても苦しそうだわ。身体中に機械を繋がれて、無理矢理生かされている貴方はとても滑稽な姿に映るでしょう?可哀想だわ、三郎次。
いっそのこと、私が楽にしてあげましょうか。たった一つのスイッチを押すだけで、安らかに貴方が眠れるのならば、私が終わりにしてあげましょう。
大丈夫、安心して。直ぐに私も後を追うから。だからーー。


スイッチに指先が触れそうになった時だった。



「何してるんだよっ!!!!!!」



突然、物凄い力に突き飛ばされて、私は床に倒れこんだ。
背中に強い衝撃を受け、刺すような痛みが身体中に広がった。
身体中が痛くて動けない。困った、どうしよう。そう悩む暇もないくらいに、瞬時に襟首を掴まれて身体が勝手に持ち上がった。


「何をしようとしていた」


ここまで、怒りを露にした声は初めて聞いた。
川西くん。貴方がこんなに怒っているのなんて、初めて見たわ。そんな表情もできるのね。知らなかったわ。


「答えろ、何をしようとしていたんだ」

「……解放してあげようと思って」


とっても苦しそうだったから。
そう零すと、川西くんは眉を顰めた。
だって、可哀想でしょう。もう目を覚まさないのに、ずっとこんな状態なんて。辛いでしょう。何年間もこのままなんて、耐えられないに決まってる。
川西くんだって、もう諦めているんでしょう。もう無駄だって。待つだけ無意味だって。
なら、もう終わりにしようと思ったの。
この状態のままじゃ、救われないわ。三郎次も、私達も。


「一緒にするな」


「お前なんかと、一緒にするな!!!!」


川西くんが大声で叫ぶ。
耳を劈くような声に驚いた。


「僕はっ、僕たちはっ、諦めてなんかいないっ!!勝手に諦めてるのは望美じゃないか!!どうして、そんな簡単に諦められるんだよっ!!どうして、最後まで信じられないんだよっ!!勝手に自己完結するな!!三郎次が、まだ、闘ってるのに、お前一人だけ逃げようとするなっ!!」


目の前の人は一体、誰だろう。
私の知ってる川西くんは、こんなに取り乱して叫んだりしない。
口数が少なくて、表情の変化もあまりなかった。
こんな風に、人前で泣いたりなど、しない筈だ。


「お前は、諦めちゃいけないんだ、例え、僕たちや、他の人間、全てが、諦めてしまったとしても、お前だけは、絶対に諦めちゃいけないんだよっ、どうして分からないんだ、お前が信じないで、一体、誰がアイツを信じるんだよっ!!」


女の子みたいに、ぽろぽろと川西くんは涙を流した。

お前が信じないで、一体誰がアイツを信じるんだ

川西くんの言葉が、頭の中で渦を巻く。
私しか視ることが出来なかった三郎次。
私が視ることを止めてしまったら、もう誰も視ることは出来ないでしょう。
そうしたら、三郎次はどうなってしまうの。
もし、私が彼を完全に諦めてしまったら。彼はーー。


「もう、逃げないでくれよ。現実から目を背けないでくれ。本当の三郎次を見てくれよ」

「っ、あ…………わ、わたし、」

「本当はもう、わかってるんだろ?」


川西くんの手が私の肩に触れる。
ポンッ、と軽く触れた途端、急に今までの重荷が全て降ろされたかのように、胸が軽くなった。



ーー全て、見えない振りをしていたわ。

狂ったように、自殺願望者を演じていた。
現実から目を背けて、自分の世界に逃げ込むことは、とても楽だった。
情緒不安定に振る舞って、周りの人間に心配されることは、とても心地よかった。
大切な人を失って、悲しみに昏れる自分が大好きだった。

自分が一番可哀想。世界で一番自分が不幸だと信じて疑わなかった。
悲劇のヒロインを演じていただけだった。


三郎次、誰よりも貴方のことを信じて、待ち続けなくてはいけなかったのに。
貴方が目を覚ましたら、一番に多くのことを伝えなくてはいけないのに。


私は全てを捨てて逃げようとしていたんだわ。



「川西くん」

「もう、遅いかしら」

「まだ、間に合うかしら……?」



私にまだ、三郎次を信じ続けることはできるだろうか。
まだ、彼を諦めないことができるだろうか。

私の問に川西くんは一筋の涙を流した。
そして、私は初めて彼の笑顔を見た。



「あぁ、遅くなんかないさ」








I want to advance toward good one.
(良い方へと進みたい)

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