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□朝焼けのフリージア
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ずっと恐れていた。


気付いて欲しかったけど、気付いて欲しくなかった。
天と地が引っ繰り返って、目の前に快晴だけが広がったあの瞬間。
俺はもう、駄目だと思った。あぁ、俺、死ぬんだ。こんなに呆気なく。17年間、短い人生だったな。
そんなことをぼんやり考えていた。
でも、落ちる瞬間に視界の隅に望美の姿が映った。
顔面蒼白で、あいつの方が死にそうな表情で俺の名前を叫んでいた。
そんな望美の姿を目にして、考えてたこと全てが吹き飛んだ。
いや、俺はまだ死ねない。望美一人残して、この世を去ることなんて出来ない。あいつは俺が居ないと駄目なんだ。何をしでかすかわからない。俺が傍で見てやらないとーー。
生まれて初めて、神様なんてものに願った。
俺を生かしてくれ、と。
そう強く願った。その甲斐あって何とか一命は取り留めた。意識を取り戻すことは出来なかったけど、望美の傍に寄り添うことは出来た。
それで、充分だった。

充分だったはずなのに。
いつしか傍にいることが苦痛なってしまった。
そして気が付いたのだ。
俺の存在は望美にとって重荷でしかないことに。
神頼みしてまで望美の隣に居ることを望んだのに、それは無駄だった。
全ては俺の杞憂だった。俺の、慢心だったのだ。
だから俺は望美の前から姿を消した。

望美が俺から解放されるように。
望美が前に進めるように。



なのに望美。
お前、どうして泣いているんだい。
もう、涙を流す必要はないだろう?もう、お前を縛るものは何もないだろう?
なのに、どうして泣いているんだい。

『三郎次』

望美。お前が涙ぐんで俺の名前を呼ぶから。お前が手探るように俺の身体に縋るから。
俺は安心して逝けないじゃないか。
お前のそんな姿を見てしまったら、お前のことが気掛かりで、眠れないじゃないか。

望美。
どうか、一人で泣かないで。
お前に泣かれると、どうしていいか俺、分からねぇんだよ。
お前に泣かれると、傍に戻りたくなるんだ。どうしても、お前のことが気になってしまうんだ。

お前の涙を拭ってやりたくなるんだ。
他の誰でもない、俺が、お前を笑顔にさせたいんだよーー。








握り締めた指に僅かに力が篭った気がした。
まさか、いや、気のせいかもしれない。でも、
芽生えた希望を信じて、私は握り締める手に力を込めた。
そして、恐る恐る彼の顔を覗き込む。案の定、彼の両眼は閉じられていた。
でも、私は何故か彼が目を覚ますんじゃないか、という感覚がした。
確信などはなかったけれども、そんな気がしたのだ。

ねぇ、もし私が今、貴方の名前を呼んだら。
ねぇ、貴方、応えてくれるーー?



「三郎次」



三郎次。貴方の名前を呼ぶ。
すると、今度は確かに、はっきりと握り締めた指に力が篭った。
三郎次の瞼が微かに動く。そして、ゆっくりとその視界を広げた。




「…………望美?」




彼が、三郎次が、目を覚ました。
私の名前を呼んだ。私の声に、応えてくれた。
三郎次、三郎次三郎次ーー。
全ての時間が止まった気がした。
三郎次がベッドから身体を起こす。その開かれた双眼は、私を、私だけを、見つめている。

本当に?本当に目を覚ましたの?帰ってきてくれたの?
この穢れた虚しい世界に?臆病な私のもとに?
三郎次、私と一緒に、生きてくれるの……?


「望美」


三郎次が私の名前を呼ぶ。
その驚くほど耳に馴染んだ声に、彼が、此処にいるのだと、確かに存在しているのだと、確信した。


「っ、三郎次っ!!!」


その温もりを、もっと感じたくて三郎次の胸に飛び込む。

あぁ、三郎次が戻ってきてくれた。
ねぇ、私、貴方に伝えなくちゃいけないことが沢山あるの。
貴方を失って学んだことが、気付かされたことが沢山あるの。
一杯、心配かけたわ。一杯、迷惑かけた。貴方に嫌な役回りを沢山、させてしまった。
こんな私を貴方、許してくれますか。笑ってくれますか。


「望美……、ごめん、待っててくれて、ありがとう」


三郎次の腕が私の背中にまわる。
もう、離れないよう、すれ違わないよう、強く強く、私を抱き締めた。
その声は少し涙ぐんでいた。その腕は少し震えていた。


「私も……ごめんなさい、戻って来てくれて、ありがとう」


私も彼を強く強く受け止める。
三郎次の胸に耳をあてると、とくとく、心臓の音がする。
三郎次が生きている証。一度は私が消そうとしてしまった命の鼓動。
あぁ、消さないでよかった。あの時私を止めてくれた川西くんに感謝しなくては。

あぁ、よかった。三郎次が生きていて。

私はなんて馬鹿だったの。
どうしてあんなに命を絶とうとしていたのか。
私は愚かだったわ。
生きてることって、こんなに素晴らしいことなのに。
もし、死んでしまったら、もう二度とこの温もりに触れることは叶わなかった。
二度と私を呼ぶ声を聞くことは出来なかった。
生きてることって、命があることって、本当に、果てしなく、素晴らしいことだったんだわ。
きっと、三郎次は知っていたんだわ。
知っていたからこそ、必死になって私を止めてくれた。


ありがとう、私を救ってくれて。
ありがとう、私を信じてくれて。
ありがとう、命を繋げてくれて。


不意に三郎次の手が頬に触れた。


「……泣かないんだな」

「ええ。だってもう、一人じゃないもの」




もう、涙は流さない。
涙を流す理由は、もうないのだから。









It is not me of the crybaby any longer.
(もう泣き虫の私じゃない)


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