王子様に出逢った。 童話の絵本からそのまま飛び出してきたような顔立ちに幼心ながらも胸をときめかせたことは今でも聡明に覚えている。 「望美、孫兵くんよ。今日から貴方の兄妹になるの。仲良くしなさいね」 女手一つで私を育ててくれた母が再婚をしたのは私が小学四年生の頃だった。 一般的に親の再婚というものは知らず知らずに子供にストレスを与える、など言われていたが、私はそんなことは全然なかった。 母が一日中働き詰めだったため、一人で過ごすことが多かった私にとって、新しい家族というものは、この上なく嬉しいものだったのだ。 父親だけでなく、同じ世代の兄ができる。憧れだったものがやっと手に入る。なんというお得感。 だから初めて孫兵に会ったときは本当に嬉しかった。 本当に嬉しかったけど、孫兵が想像を絶するほどの美少年だったから緊張して上手く口がまわらなかった。 「よ、よろしくね、孫兵くん」 「……よろしく」 勇気をだして差し出した手に孫兵は触れなかった。 目を合わせようとも、しなかった。 とても悲しかったけれども、孫兵の方が悲しそうな表情をしていたから傷付きはしなかった。 おそらく、孫兵にとってこの結婚は喜ばしいものではなかったのだ。 そう思ったら、一人で浮かれていた自分がとても馬鹿なように思えた。 てっきり孫兵も私と同じように新しい家族を心待ちにしていると信じて疑わなかったのだから。 家族になっても孫兵はいつも一人だった。 学校にいるときも一人。家にいるときも一人。集団に交わろうとはしなかった。 家族になったからこそ、仲良くなりたかった。けどそれを無理強いすることはできなかった。 孫兵のことを兄だとは思えなかったし、孫兵も私のことを妹だとは思っていなかっただろう。 赤の他人が同じ家で暮らしているだけだった。 一日のなかでまともに顔を合わせるは夕食のときぐらいだ。 けれどもその日は違った。 孫兵は夕食の時間になっても一向に姿を現さなかったのだ。 「ご飯が冷めちゃうわ、望美、孫兵くん、呼んできて頂戴」 「うん」 部屋の前まで辿りついて、声をかける。 しかし何度呼んでも孫兵は返事をしなかった。 寝てしまっているのだろうか。どうしよう、と悩んだ挙句、私はドアノブに手を掛けた。 「……孫兵くん?」 仄暗い部屋の真ん中にぽつん、と孫兵は立っていた。 顔を床に向けたまま、微動だにしない。 心配になって近くまで寄って、息を呑んだ。 彼は泣いてたのだ。とても綺麗に泣いていた。涙一粒が流れ落ちる動作すらも見とれてしまうほどに。 それこそ、絵の中から飛び出してきたようだった。 「孫兵くん、どうしたの」 「……死んでしまった」 「え?」 彼の視線の先を追うとそこには一匹の緑色の蛇が横たわっていた。 蛇、という生き物に警戒したが、よく見ると既に息絶えた後だった。 少し安心して再び孫兵に視線を戻すと、やっぱり彼は静かに泣いていた。 「人間は、人間を簡単に裏切ることができてしまう。彼らは違う。僕が愛したように、僕を愛してくれる。決して僕を裏切らない。でも……」 硬直しきった蛇の死骸をするりと撫でて、孫兵は蹲った。 「みんな、僕を置いていくんだ。誰も僕とずっと一緒に居てくれない……」 「……僕はひとりきりだ」 力ない呟きが闇に溶ける。 初めて彼の心に触れた気がした。 そうか。そうなのか。初めて出会ったときの彼の表情には計り知れない孤独が潜んでいたのだ。 彼は決して自ら孤独を好んでいたわけではない。それしか、術がなかったのだ。 誰だって一人きりで生きていけない。頼れる人がいないことはとても寂しい。その寂しさを誰かと分け合う温かさを知らないことは、とても悲しい。 でも。ねぇ孫兵くん。一人きりだなんてそんな寂しいこと言わないで。 私達、家族になったんだよ。 私達、兄妹になったんだよ。 蹲った孫兵の身体を優しく包み込む。 一人じゃない。そう彼に気付いて欲しくて。 孫兵は私の体温に驚いて、顔を上げた。涙に濡れた瞳が不思議そうに私を見つめている。 「私は孫兵くんを置いていかないよ。一人にしないよ」 「側にいるよ」 ギュウギュウと彼と私の隙間を少しでも埋めたくて抱き込む。 彼の不安と孤独を消したくて。 背中に温もりを感じた。孫兵の腕がそっとまわる。 「……本当に側に居てくれる?」 消え入るような震えた声で孫兵は尋ねた。 うん。そう答えると孫兵の力がどんどん強まっていく。 家族になって二ヶ月。初めて見せてくれた心の内に私は不謹慎ながら頬が緩むのを感じた。 孫兵くん、私達やっと分かり合える。やっと家族になれる。だから、大丈夫。私は決して貴方を一人にはしない。家族だから。兄妹だから。 「何があっても僕から離れない?」 「うん」 「ずっと?」 「うん」 「絶対に?」 「うん」 ゆっくりと孫兵が顔を上げる。 そして鼻先がくっつくくらいまで顔を近付けた。 赤みを帯びた瞳が私を捉える。小学生とは思えないほどの鋭い目付きだった。 彼の両手でが両頬を包む。まるでガラス細工を触るかのような優しい手付きに私は動けなかった。 「……絶対に僕を裏切らないで」 差し出された小指を絡める。 その指を孫兵は痛いくらいに握った。 その力と相反した頼りない声に私は誓った。この先何があっても孫兵を裏切らない。この心脆い兄を何としてでも私が守らなければ。 私は孫兵を裏切らない。 その日から私達の生活は一変した。 学校でも家でも私達は常に共にあった。孫兵は以前ほど人間を避けようとはしなくなった。生物に対する愛情は未だ異常だと言えるけど、クラスメイトと談笑することだってあった。 休日には兄妹仲良く映画にだって出掛けたし、たまに喧嘩もした。 孫兵の涙を見たのはあの時が最初で最後であり、孫兵を守ると豪語していた私の方がいつも彼に守ってもらっていた。 どこから見ても孫兵は普通の中学生だし、どこから見ても私達は普通の兄妹だった。 そう、どこから見ても、 普通の仲のいい兄妹だった筈だ。 |