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□その血で境界線を引け
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世界にはどれだけ想っても、どれだけ愛し合っても、どれだけ熱望しても、報われてはならない恋がある。



ふと頭を過ぎったのはいつか読んだ小説のフレーズだった。
内容は殆ど思い出せないありきたりな恋愛小説だったと思う。こんなどうでもいいことが記憶の底から顔を出したのは連日続いた受験勉強の所為だ。
疲労と眠気が襲いかかる苦境では自然と勉強とは関係がないことに逃避したくなる。

密かに憧れていた高校から地元の高校に志望校を変えてから数週間が経ち、私は受験勉強に追われていた。
志望校を変えたからといって受験が楽になったわけではない。私が志望している高校はそこそこ偏差値が高いため、気を抜いたら普通に落ちてしまう。そのようなことになってしまったら志望校を変えた意味が無くなってしまう。滑り止めの私立高校なんかに進学することになってしまったら、家の家計は火の車だ。

私は孫兵と違って頭の出来はよろしくないので、勉強する他に合格の手段はない。


「勉強は捗ってるか、受験生?」

「‥‥竹谷先輩」


懐かしい声の先には卒業生の竹谷先輩が参考書を抱えて立っていた。
竹谷先輩は私が一年生の時に三年生だった。今は高校二年生で私と孫兵の志望校の先輩でもある。
孫兵と同じ委員会に属していて、私よりも孫兵と親しかった。竹谷先輩と知り合ったのも孫兵経由からだ。


「孫兵から聞いたぞ、志望校。頑張れよ、お前たちが後輩として入学してくるの楽しみにしてんだからな」

「受かる気しませんよー。数学とか全然分からないですもん」

「大丈夫だ。どうにかなるって!」

「‥‥まぁ、竹谷先輩が受かったなら私も行ける気がします」
「お前なぁ」


苦笑して後輩の無作法を許してくれる。その大らかで陽気な性格から先輩は多くの人から好かれていた。極力人との関わりを持たない孫兵でさえ竹谷先輩には懐いていた。


「それにしても孫兵も健気だなぁ」


感慨深く竹谷先輩が呟く。
突然出された兄の名前と言葉の意味が理解出来ず、返事を返せなかった。先輩は気にすることもなく、言葉を続ける。


「孫兵ならもっと上の高校狙えるだろ?なのにお前にレベルを合わせて同じ高校に行くなんて‥‥泣かせるじゃねぇか」

「ゔ、返す言葉がありません」

「いや、お前が自分を責める必要はねぇよ。孫兵が自分で決めたんだからな。ただ、孫兵って本当にお前のこと好きだよなあ。あいつの基準は全部望美だもんなあ」

「‥‥孫兵は少し過保護過ぎるんです。私のことまだ手のかかる妹だと思っているんですよ」


私の言葉に先輩は「いや、過保護とはまた違うような‥‥」と考え込むような素振りを見せた。
竹谷先輩の言う通りだ。やはり孫兵は物事を決めるとき、私を基準にして決断することが多々あった。
私のことを気にかけてくれるのは嬉しいけれども、本音は、自分のことを第一に考えて欲しい。私という存在が孫兵の可能性を潰してしまうことは居た堪れない。とてつもない罪悪感が募る。
しかしそんなことを願っていても、結局は私が不甲斐ない所為で孫兵も安心出来ず、過保護になってしまうのだと思う。


「過保護って言うよりさぁ、うーん、中学ん時から思ってたんだけど、孫兵って望美のこと好きなんじゃないかな」

「何言ってるんですか、家族なんだから嫌いなわけないじゃないですか」

「いやいや、そういう意味じゃなくて。なんつーか、家族とかそういうのじゃなくてよ」


普段使わないだろう頭を一生懸命に回転させて先輩は言葉を繋げようとした。
先輩の言いたいことはなんとなくわかったような気がする。しかし先輩が考えているようなことは決してありえない。


「先輩って意外と少女漫画脳なんですね」

「はぁっ!?」

「孫兵と私は兄妹ですよ?」


だから先輩の期待には沿えません。はっきりと答えると先輩は項垂れた。
しかしそれも一瞬のことで直ぐに威勢を取り戻した。


「でもお前たち血は繋がってないんだろう」

「はい。でも私にとって孫兵は歴とした兄ですし、孫兵にとっても私は妹です。それ以上でも以下でもありません」

「はは、随時とはっきりと言ってくれるね」


頭上から聞きなれた声がした。間違いない。この話題の当人の登場だ。

「孫兵!」
「望美と竹谷先輩の姿が見えたから何を話してるかと思ったら‥‥どう?勉強は進んだ?」
「うん。孫兵は?図書館に居るってことはもう委員会終わったの?」
「あぁ。終わったよ。‥‥竹谷先輩お久しぶりです。最近はどうですか?お変わりありませんか?」


私から視線を竹谷先輩に移して、孫兵は礼儀正しく挨拶する。
そんな孫兵の態度に竹谷先輩も顔を綻ばせた。


「あぁ。変わりない、元気だよ。お前も元気そうでよかった」


孫兵が自然と敬うような態度になる相手は本当に珍しい。
誰に対しても一般常識は持ち合わせているので、相手に無礼を働くことは勿論無いが、どこか冷たいものを感じさせる。一応、形式的に装っているような敬意。
その些細な変化に気付く人は殆んど居ないが。
やっぱり、竹谷先輩って凄いんだなぁ‥‥とつくづく感じる。


「それにしても二人で興味深い話をしてましたね。僕が望美に好意を抱いているだとか」


突然戻された話題に私と竹谷先輩は面を喰らう。
まさか当人が進んで口を開くとは。それも平然と。発端でもある先輩は気まずそうに目線を泳がせた。


「いや、孫兵これは言葉の綾ってもんでな。別に深い意味があったわけではないんだ」
「好きです」
「え?」
「僕、望美のこと好きですよ」


予期せぬ答えに私と先輩は揃って目を丸くさせた。
孫兵は意味有りげな笑みを浮かべている。先輩は聞いてはならないことを聞いてしまったようななんとも形容し難い表情で孫兵と私を交互に見る。
少なからず私も動揺していて、ただ孫兵を凝視することしか出来なかった。
数秒間そのまま気詰まりした空気が続いたが、それも直ぐに杞憂で終わる。


「えぇ。好きに違いありません。望美は僕にとって代わりがない大切な存在ですから」


代わりがない大切な存在ーー。
その言葉に私は安堵を覚える。あぁ、なんだ。孫兵も私と同じ。代わりなんていない。世界でたった一人の大切な兄妹だと思ってる。
それ見たか、と自慢げに先輩を見ると、先輩も少しホッとしたような表情を浮かばせた。


「アハハ、そ、そうだよなあ、兄妹だもんな。兄貴が妹のことを大切に思うのは当たり前だよなあ!」

「そうですよ、先輩。やっぱり少女漫画脳なんだから。孫兵は私の自慢のお兄ちゃんなんですからね!」


そう言って孫兵の腕に飛びついた。孫兵も甘んじて受け止めてくれる。
そんな私達の中睦まじい姿を目に映して竹谷先輩はいつもの本調子に戻る。


「まぁ、いくら仲が良くてもどちらかが落ちれば離れ離れになるからな。頑張って勉強しろよ。とくに望美」
「な、なんで私だけなんですか!」
「孫兵は心配ないからいいんだよ」
「安心して下さい、先輩。責任持って望美は僕が合格させます」
「っ、孫兵!お前ってやつは!本当に良い兄ちゃんだな!」


望美は幸せ者だな!と感極まって先輩は声を上げた。
全くだ。怖すぎるくらい孫兵は完璧で、出来すぎている。文句の言いようがない兄だ。責任持って合格させる。なんて台詞余程の自信がない限り口にできないだろう。そう普通ならば。


「いいえ。実際は僕なんて望美に助けられてばっかりなんですよ。望美こそ僕の自慢です」


何の躊躇いもなく断言する孫兵。
思いも寄らないその言葉に私は驚きを隠せなかった。
勝手に一人でいつも感じていた劣等感。自分はいつだって優秀な兄のお荷物だと思っていた。でも、孫兵はそんなことは全く思っていなかった。これだから、私の兄はーー。


「もう、孫兵大好きっ!」
「‥‥僕もだよ」



完全に空気状態だった竹谷先輩が大袈裟に息を吐く。


「いやあ、そこまでいくならお前らもう本物だわ」


半ば呆れ気味に両手をあげる。
私と孫兵が客観的に仲が良すぎる兄妹なのは自覚している。これも血が繋がっていないからなのかもしれない。私達は本物の兄妹よりも兄妹らしいと自負している。
私はこの関係を誇りに思っているし、大切にしていきたいと思う。孫兵だって同じの筈だ。だって私達はあの日から家族になったのだから。はれた惚れたなどありえはしない。

変わらないものなどない。いつか誰かがそんなことを言った。でも変わらないものだってあるだろう。私はその可能性を信じてる。

それが私達の関係だと信じながら、私はより一層強く、兄の手を握った。










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