色は匂えど

□My only angel has died!!
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時計の針が11時を回り、そろそろ深夜と呼べる時間帯へ移り変わろうとしていた。
キーボードを打つ手を中断させパソコンから視線を外し辺りを見回すと、自分と同じように残業で黙々と作業を片付ける社員がちらほらと伺えた。

襲い掛かる睡魔を振り払うように欠伸を噛み締め、既に夢の中である隣の友人が風邪をひくまいように、そっと自分が着ていたジャケットを掛ける。
この友人、神崎左門は徹夜如きで倒れるような柔な男ではない。だが.....。
流石の左門も三徹は堪えたか.......。もう三日も寝ていない彼はつい30分前、糸が切れたかのようにプツンと眠ってしまった。
彼の強靭な精神には敬服せざるおえない。俺だったら徹夜なんて無謀なことはできない。彼だからこそ成せる業だった。

規則正しい寝息に安堵を覚えると、俺は再びパソコンの画面に視線を戻した。のんびりと作業を片付ける猶予など今の自分には残されていない。仕事を速急に切り上げて帰宅する必要があったからだ。
決算の報告書と睨みあいながら、先程の左門の寝顔を思い出す。それと関連付けるように一人の少女の顔が頭に浮かんだ。

.....あの子は、雛はもう寝たのだろうか。

学生服を身に纏った自分より10歳も年下の少女。彼女と暮らすようになり、もう1年が経とうとしていた。
不慮の事故で両親を失った雛には身寄りがなかった。散々、親戚にたらい回しされた雛を引き取ったのが俺だ。雛と俺は従兄妹であり、俺達はよく見知った仲だった。俺は雛が赤ん坊の頃から面倒を見ていたし、俺にとって雛は妹のような存在である。

そんな妹のように大切に思っていた少女が、親戚中で邪険に扱われ、爆弾物のように回されていたのだ。
つい頭に血が昇ってしまった俺は親戚中に啖呵を切って雛を連れてきてしまった。もう26の大人でしっかり働いているし、雛が大人になるまで養っていける経済力はそれなりにある。
何よりもあんな居心地の悪いところに雛を置いていくことなんてできなかった。


「富松さん、上りですか?」

「え?...あぁ」


上司として女の部下を一人で帰らせる訳にはいかない。夜道は危険だし、何せ女性というものは襲われ易い。
隣の左門を起こさないよう、注意をはらって立ち上がり会社を後にした。何人かの部下を送り届けると、俺は急いで家路を辿った。前方で言った通り、夜は色々と危険が潜んでいるものである。
家で一人待っている少女の姿が頭を過ぎり、俺は自然と駆け足になった。



「ただいま」

「遅い」


急いで帰宅した俺を真っ先に出迎えてくれたのは不機嫌な顔をした雛だった。
夕飯も風呂も済ませており、如何にも寝る直前の姿で腕を組み、俺の行く手を阻むように仁王立ちをしている。


「遅いっ、てお前ぇこそなんで起きてんだよ」

「作のこと待ってた」

「待ってた、って、明日も学校だろ?早く寝ろよ」


二階の自室へ行くよう促したが、まるで俺の言ったことなんて聞こえてなかったかのように、ずんずんと大股で側に寄ってきて、奪い取るかのように俺のジャケットを剥ぎとった。
微かに香る甘い香りに眉を潜めて、それはもう不快そうに雛は「臭い」と呟いた。


「く、臭いって、おま、本人目の前にしてよく言えるなぁ」

「違う。加齢臭じゃない。香水の匂い」

「香水?」

「作、今さっきまで女の人と一緒にいたでしょ」


その物言いがまるで浮気を疑う妻のようで、俺は思わず後退った。
その反応さえ気に入らないのか雛の表情は益々、曇ってその口調は非難するようなものに変化していった。


「私がずっと一人で待っている間、作は女の人と一緒にいたんだぁ......へぇ」

「なんだよ、その目は」

「別にぃ、へぇ〜、ふーん」


意味あり気に頷きながら、咎めるような目付きで雛は俺を睨んだ。
しかしその瞳が一瞬、不安定に揺れたのを俺は見逃さなかった。この瞳は知っている。雛の両親が死んだ時、雛が親戚中にたらい回しにされていた時。彼女が瞳に宿していた色だった。
重い空気が沈滞しているなか、先に沈黙を破ったのは雛だった。
しかもその発言は俺の予想を遥かに遠回るものだった。


「作.......結婚すんの?」

「..........っはぁ?」

「その女の人と結婚するの?」

「ば、馬鹿野郎、結婚なんかするか!!!部下だよ、部下!!!」
「こんな遅くまで?何してたの?」

「残業だよ!!残業!!!!!」


次々と質問を投げかける、雛に俺は困惑していた。
日々、増加していく執務と遅くまでの残業で俺の身体はもう限界に近い。今、立っているのさえ不思議なほどだ。一瞬でも気を抜いたらその場で眠りこけてしまいそうだった。


「雛、頼む。もう寝かせてくれ。疲れてんだ」

「そうやって逃げるんだ。子供だからって馬鹿にしてるの?」

「雛、悪い」


とにかくベットに向かうことに一心でその場を離れようとした。しかし、次の瞬間に眠気も全て吹っ飛んでしまうような出来事が起こった。
様子を見ようとして振り返ると、なんと泣いているではないか。雛が。


「私、もう、子供じゃない。もう結婚だってできる歳なんだよ。何時までも子供じゃないの」

「え?あ、雛、おま、なん、」

「何時だって、そう。作は私を子供扱いする。いつになったら、子供扱いしないでくれるの?女として見てもらえるの?」

「お、おい、よく、言っている意味が解んねぇだけど」

「私は作の妹じゃないよ」


妹じゃない。そう断言して雛は俺を見据えた。
いや、妹じゃないのは知ってるけどよ、従兄妹だろ。雛は何を言おうとしてるんだ?なんで泣いてるんだ?なんで結婚がどうのこうのって話題が出てくるんだ?飛躍し過ぎてないか?
理解できない出来事が多過ぎて頭の中が混乱していた。けれどもその混乱すらも停止させる発言が待ち構えているなんて夢にも思っていなかった。




「私は、作のことが好きなのに、作は私のこと妹としか見ていないんだわ!!!」




そう泣き叫んで雛はその場を逃げ出した。

え、好き?誰が?雛が?誰を?俺を?そんな馬鹿な。だってアイツは妹で。いや、妹じゃない。従兄妹で。確か、法律上、従兄妹同士は結婚できるんだ、いや、そんな、ありえない。10歳年下だぞ、そんなの、犯罪だ。

再び活性化した脳は留まることを知らない。こびり付いて消えないのは従兄妹の顔。

すれ違い際に伺えた彼女は俺の知らない女の表情をしていた。
そこには俺が知っている妹など存在していなかった。








My only angel has died!!
(私の中の天使は死んでしまった!!)
(知ってしまった、もう妹なんかではないということを)
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