色は匂えど

□ドレッドノート
1ページ/1ページ








好きだ。


ハッキリと力強い声で、私から視線を逸らさずに彼は言った。その言葉には偽りなどはなく、揺るぎない信念が込められていて。真っ直ぐ過ぎるその想いが、もどかしくて、少しくすぐったくて。慣れない温かさがとても恐かった。




「隣、空いてる?」


まるで夢から覚めたかのように、現実に引き戻された。誰もいない図書室で試験勉強をしていた筈なのに。難しい数式が頭から離れた途端、思い出すのは数日前の出来事。私の人生の中でもトップ3には入る、ありえない出来事。それを引き起こした張本人が、分厚い参考書を抱えて私の隣に立っていた。
彼の顔を見た途端、数日前を思い出して、逃げた出したい衝動に駆られる。今は、今は彼と会うべきではない。心の整理がついていないし、私がこの状況に耐えられそうにもない。


「あ、その、私、もう.....、ちょうど、終わったところだから、えっと.....、この席、使って下さい....」

「え?」

「、で、では、さようならっ!!」


完全に逃げ場が無くなってしまう前に、その場を離れようとした。あんな出来事がなかったら、きっと世間話の一つや二つはするのだろうけれど、今彼と面を合わせて会話する自信はない。


「っ、待って!!!」


けれども私が足を動かすよりも早く、彼は私の腕を掴んだ。その速さに驚嘆しながらも、手を振り解こうと力を込める。それに対して負けじまいと掴まれた腕はより強い力で拘束されて、退路はもう完全に阻まれてしまった。


「.....さ、三反田くん、離して」

「........」

「三反田く、」

「.......くれ」

「ーーえ?」

「避けないでくれ」


見たこともないような表情で三反田くんは呟いた。切なそうな、切迫詰まったような表情。初めてみる彼に戸惑いを感じるのと共に混乱した。


「いいんだ、別に、僕のこと、好きになってくれなくても。けれど、避けないで欲しい。やっぱり、その、ちょっと傷つくから.....」


普段とは違ったその弱々しい彼を見て、痛感した。私、最低だ。自分のことしか考えていなかった。自分の感情しか優先させていなかった。よく考えればわかることなのに。きっと、凄い勇気を出して私に告白してくれた。私なんかじゃ量り知れない程の大きな勇気で。それを、私はたった一言で破り捨てた。たった「ごめんなさい」の一言で。

何か言わないと、そう思って口を開こうとするけれども思い浮かぶのは謝罪の言葉ばかり。


(....バカ、これじゃあ何も変わらないじゃない)


これ以上、この口が彼の傷を抉らないように口を結んだ。きっと私から発する言葉は彼を傷付ける。人を、傷付ける。私には人を傷付ける術しか持ち合わせていない。今も、昔も。

完全に私が押し黙ってしまうと、再び二人きりの図書室に静寂が訪れた。長い沈黙のあと三反田くんは、静かに「座ろうか」と言った。
その言葉に促されるように私は椅子に腰を掛けた。


「山田さん、僕、待つよ」


唐突に三反田くんが呟いた。
三反田くんはただ窓の外の景色を見つめていた。その瞳は景色の向こうのただ1点を見つめていて、その声は先程の臆したような声ではなく、初めに私に告白した時と同じような力強い響きを持っていた。


「きっと僕は急ぎ過ぎたんだと思う。僕らにはもっと時間が必要だったんだよ。互いを知らなかった」


1点を見つめたまま三反田くんは動かない。解らない。彼が何処を見ているのか、私には解らなかった。今、彼の瞳には何が映っているのだろう。その視界に映る世界を知りたいとも思うが、彼と同じ世界を見る勇気は、今の私にはない。ただ何処かを見つめている彼を見つめているだけで精一杯だった。


「もっと焦らずに、君に僕のことを知って欲しかった。もっと着実に君のことが知りたかった。理解していたはずなのに.......焦ってしまったんだ。知らず知らずに、君に惹かれてしまったから」

「っ...」


(また、まただ)


慣れない、感情。心地よい痛み。襲い掛かる恐怖。
彼が好意を伝える度に胸が痛む。身体中を突き刺すような鋭い痛み。その痛みが警報のように脳に響いて、私に警告するのだ。忘れるな、お前のような人間が幸せになれる筈がない。なっていけない、と。その警告がより一層私の心に恐怖を募らせる。

だから、どうかお願い。これ以上、私の心に入ってこないで。じゃないと、私は忘れてしまう。忘れてはいけないのに、貴方がそんなこと言うから、私ーー。


「でも、僕、待つよ。山田さんが心を許してくれるようになるまで、ずっと待つよ。焦らなくていい、君のペースで、ゆっくでいい、僕のこと知って欲しいんだ」


窓の外から視線を外して、ゆっくりと三反田くんはこちらを向いた。


「好きになって、なんて言わないよ。けれど君が誰かに心を開いて拠り所を見つけてくれればそれでいい。まぁ、その相手が僕だったら....なんて、ちょっと欲張っちゃうとね、思っちゃうけど」


力なくふにゃりと三反田くんは笑った。
そのあどけない笑顔が鋭い槍となって私の胸を突き刺した。痛い、痛い、やめて、もう、やめて。心地のよい温度を私に与えないで。向けられてはいけない温かさを、向けないで。痛い、胸が、心臓が、心が、痛い。


「やめて、やめてよ、なんで、どうして」

「山田さん?」

「どうして、そんなこと言うの、...っ、私、三反田くんに、そんなこと言って、もらえる人間じゃない、」


三反田くんは目を見開いて、突然泣き崩れた私を見つめた。
一度、口を開いてしまったら、もう突然止めることはできなかった。涙が流れ出るように、次から次へと言葉が溢れた。


「っ、私、こんな、駄目なのに、こんな、感情、触れたら駄目なのに、三反田くんが、っそんなこと言うから、私っ」


全てが初めてだった。誰かから好意を向けられたことも、優しくされたことも、暖かい視線を受けることも。
それが私にとっての当たり前だった。昔、父は言った。


"俺を捨てていったあの女の血を引いているお前なんか幸せになれる筈がない。そんなこと、許される筈がない。"


父が居なくなった今でもその言葉は呪いのように私の脳に染み付いて、心を蝕んでいった。幸せになってはいけない、そう思い込ませていた。


「知らない、っこんな感情、知らないのに、知っちゃいけないのに、三反田くんのせいだよ、っ、私、こんなんじゃないのに、」


沢山の初めてに戸惑って、慣れない扱いを、向けられたその温かさを、その心地よさを、嬉しく感じてしまっている。その優しさに触れてしまった。
触れてしまったから。きっと私の身体に染み込んだ呪いは、私自身を許さない。向けられた彼の言葉さえも私を縛る呪縛へと変えてしまう。


痛い、痛い、身体中が痛い。どうしたらこの痛みから解放されるの。いつまで私、このままなの。誰か、助けて、縛られた呪いを解いてーー。




「いいよ」




急に身体が軽くなった。


「いいよ、全部吐き出して。君の中に溜まってしまったものを全部出そう。大丈夫、僕が背中を摩っていよう。僕が傍にいる。吐き出して、楽になろう」


凄く落ち着いて、優しい声だった。
その手が私の背中に触れた瞬間、ストッパーが切れたかのように、今まで溜まっていた何かが弾けたように溢れでた。恥じらいなど捨てて声をあげて私は思いきり泣いた。


「辛いことが、悲しいことが、いっぱいあったね.....でも、それも今日で終わりだよ。いいんだよ。山田さんは幸せになっていい。いや、なるべきなんだ」


彼の言葉一つ一つが私の全てを浄化していく。

やっぱり私、知らない事が多過ぎる。知らない。知らないよ。こんな時、どうしたらいいの。三反田くんが隣にいて、いま、とても安心してる。この感情は何て呼べばいいの。こんな時、彼に何て言えばいいの。何を伝えればいいの。
知らない、解らない。 知りたい。


そっと彼の背中に腕を回す。
その身体に触れて、初めて解った。




人はとても温かい。







ドレッドノート
(おそれを知らないひと)
-







-

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ