色は匂えど

□拝啓、彦星さま
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ごめん、ほんとにごめんな。

携帯越しに聞こえたノイズ混じりの情けない声。その一言で充分だった。全てを悟ることができた。


『本当に悪い。今日中に帰国できそうにもないんだ。ほら、お前も知ってるだろ、ロサンゼルスの。...あぁ、そうそう、その事件。犯人の目星がやっとついてさ、出動しなくちゃならなくなったんだ。なんても、人質をとって立てこもっちゃてさ、緊張体制なんだよ。.........雛には本当に申し訳ないと思ってる。11年前から約束していたのに、怒られても仕方がないよ。でも、分かってくれ。仕事なんだ。仕事を放り投げてお前の所には帰れない』


本当にごめん、次のクリスマスには.....


彼がそう言いかけた所で、電話はプツリときれた。否、私がきったのだ。
自分は今、どのような表情をしているのだろうか。化粧台の鏡に視線を移すと、そこには生気を失った女が映っていた。
その顔から目を背けるように顔を下に向けると、普段は着ないような可愛らしいワンピースが床に広がっていた。私がどんなにこの日を楽しみにしていたのか。私がどんなにこの日を待ち望んでいたのか、彼は知らない。


「............バカ」


綺麗に整えた髪が乱れるのも気にせずにベッドに突っ伏した。微かに滲む涙を消すように枕に顔を埋める。


彼、虎若がアメリカに行くと言い出したのは11年前のことだった。
アメリカに行って銃の腕を磨きたい。だから照星さんの居る、FBIに入る。

初めて彼が私にそう告げたとき、始めは大笑いをしてしてまった。

正気なの?英語の成績が2だったあの虎若が?冗談でしょう?第一FBIはアメリカ国籍を持っていないとなれないんだよ?照星さんはハーフだけど貴方は生粋の日本人でしょう。

きっとまたいつもの冗談だと思った。行き過ぎた照星さんへの憧れから口にした咄嗟の世迷言だと。だから、いつものように宥めて、笑って、それで終わりだと思っていた。

しかし、彼は、虎若は違った。彼は本気だったのだ。

宣言した通り、高校卒業後グリーンカードを獲得しアメリカ市民テストを受け、アメリカの大学を出て、一年前、彼は見事にFBIに入ってみせた。

私は日本の大学に進学して、日本の会社に就職。アメリカと日本。とんだ遠距離恋愛だった。けれども私は言えなかった。行かないで、なんてそんな自分勝手なこと言えなかった。言えるはずがない。彼の表情を見たあの瞬間に引き止めることは不可能だと分かっていたから。


引き裂かれるような思いで空港で彼を見送ったあの日。最後まで素直になれなかった私に虎若は言った。


『夢が叶うまで日本には帰ってこない。お前の顔を見ると、どうしても決心が揺らぐ。だから次に会うときは俺が夢を叶えた後だ。何年先になるか分からない。待っていてくれなんて酷なことは言わない。...........けれども、もし、』

『もし?』


『もし、その時まで、雛が、少しでも俺のことを想っていてくれたのならば、その年の7月7日に再会しよう、そしてーーーー』




それから11年間、電話とメールだけが私達を繋ぐ架け橋となった。
虎若が夢を叶えることができたと泣きながら連絡をしてきた一年前。共に泣いて喜んだ。やっと、これでやっと、会うことができる。彼にとっては風のように過ぎた11年間であっても私にとっては長過ぎる時間だった。11年間、待ち続けた甲斐があった。
.............そう思っていたのに。


ベッドから起き上がりカーテンに手を伸ばす。


織姫と彦星でさえ、一年に一回の逢瀬があるというのに、私にはそれすらない。7月7日。わざわざこの日を再会の日に指定した虎若。
随分と貴方も酷な事をするんだね。そう感じてカーテンの隙間から、見えたのは。ーーーー雨。


「 ........不毛だね、貴女も私も」


織姫ですら愛しい人に会えやしない。






次に目を覚ましたの夜中の23時。ふて寝をしていた私の睡眠を中断させたのは携帯のバイブレーション。
その液晶に浮かぶ名前。"佐武虎若"
無意識に受話器をとって耳に押し付ける。今更怒る気にもなれなくて、ただ無言で彼の出方を伺った。


『雛?』


数秒遅れに聞こえた愛しい声。声を聞いただけで胸が熱くなるのが分かる。11年間の隙間さえも懐かしいこの声が、私の名前を呼ぶだけで埋まってしまう、そんな気がした。


『空、見てみろよ。夜空が綺麗だ。天の川が見える』

「.........見えるわけないでしょう。今、日本は雨だよ」


雨。その言葉を口にして、気分が沈む。そう、雨。だから天の川なんて見える筈がない。よって織姫と彦星が会うことはない。私と虎若も、会えない。7月7日の約束は果たせない。
携帯を握り締める手に力が篭る。


『いや、マジで見えるんだよ!!いいから見てみろって。そんな暗い部屋に閉じ込もってなんかいないでさ』


ほら、早く、
急かすように虎若が言うので、横たわっていた身体を起こして、再びカーテンに手を伸ばした。


「あのねぇ、第一、おかしいよ。アメリカはまだ昼間で、しょ...............」









「久しぶり」


目を疑った。すっかり雨は止んでいて、そらには瞬くような星空が広がっていた。でも、そんなことではなくて、そんなことより、
まさか、そんな、嘘、


「帰ってこれないんじゃ、なかった、の、」

「予定してたやつには乗れなかったんだけど、最終便にギリギリ間に合ってさ」

「、仕事は....」

「勿論、終わらせてきたよ」

「.........、で、でも、」


「約束しただろ。7月7日に帰るって。誰とでもない。お前との約束だ。守らない筈がない」



余程、急いで帰ってきたのだろう。軍服のままで、手荷物一つ持っていない。
18歳の頃より幾分が伸びた身長。広くなった肩幅に、筋肉質な身体。11年前とはすっかり変わった彼が、私と同じように携帯を耳に押し付けて、二階の私の部屋の窓を見上げていた。
虎若、虎若だ。11年もの間、一番会いたかった人。どれほど会いたいも願っても会えなかった人。彼が、今、私の目の前に居る。


「約束を果たしにきた。俺は7月7日に帰ってきた」

「......」

「雛、アメリカで一緒に暮らそう」

「........」




「結婚しよう」




不意に涙が頬を伝って零れた。
変わってない。虎若はちっとも変わってない。11年前と同じ、世界で一番、恰好良くて、優しくて、頼もしくて。
私が愛した彼のままだ。


『 もし、その時まで、雛が、少しでも俺のことを想っていてくれたのならば、その年の7月7日に再会しよう、そしてーーーー結婚しよう 』


覚えていた。彼は約束を覚えていたのだ。11年もの間、その希薄な約束を、忘れることはなかったのだろう。
私はその微かな約束を盾としてこの11年間を過ごしてきた。そして今、彼を目前に様々な感情が渦巻いた。
ーー会いたい、触れたい、近づきたい、抱きしめたい。


「11年間、この想いが揺らぐことはなかった。11年経った今でも、これから先も、お前のことを愛してる、だから結婚しよう」


一言一言を噛み締めるように、虎若は言った。今、この瞬間が私達の11年間を埋めていく。
気が付いたら、私は走り出していて。二階から階段を駆け下り、玄関に出て、裸足のまま虎若の元へ走った。虎若は驚いたような顔をしたけれども、私がそのまま飛びつくと、大きな腕で私を優しく包んでくれた。


「.......雛、返事は?」

「.....」

「俺の奥さんになってくれる?」


口を開けば絶対に声をあげて泣いてしまう。彼のプロポーズに私はただ頷いて、抱きしめる腕に力を込めた。
今はただ、彼の温もりを感じていたい。傍にいることを実感したい。貴方の愛を感じていたい。


頭上には大きな天の川が広がっていた。








拝啓、彦星さま
(敬具、織姫より)
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