色は匂えど

□命あるもの
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「どうしてそんなに泣くんだい」


地面に伏せて泣き崩れる私に彼は問う。


「……悲しいから」


悲しい。そう、悲しいの。今の私の心情を悲しみ以外で表すことができようか。いや、できない。それ故にとめどなく流れ出る涙は終りをしらない。


「どうしてかなしいの」


また一つ。ポツリと彼は問う。
どうして悲しいか、見て分からないのか。頭がおかしいのか、この男は。悲しい理由なんて、そんなの、そんなこと、決まってる。



「あの子が死んでしまったから」



「…………そう」




そう言って彼は初めて、私の横に寝かされている死体(あの子)に視線を向けた。

数少ない友達の中でも一等仲が良かった友達だった。あの子は私の初めての友達。みなしごの私と共に生きてくれた、私のたった一人の子。私のすべて。

なのに。

こんな呆気なく、こんな実習で、命を落としてしまうなんて。


悲しみの上にまた悲しみが重なって、重過ぎるその層に押しつぶされてしまいそうだった。あぁ、あの子が死んでしまった。これから私はどうやって生きていけばいいのだろうか。あの子がいない世界などに生き続ける価値はあるのだろうか。あの子がいない私など。


まるで自分が死んでしまったかのように身体が固まって動かなかった。そんな私を見下ろして彼はまた口を開いた。


「どうしてあの子が死んでかなしいの」

「ふざけてるの、あんた」

「ふざけてないよ」

「あっちへ行って。今、あんたと話したくないの」


彼の問に全身の血が煮えたくるような感覚がした。悲しくないわけがない。大切な人間が死んで悲しくならない人間がいるものか。そんな当たり前なことを聞くな。やはりこの男はおかしい。これ以上話していると気がどうにかなりそうだ。

ただひたすらに彼がこの場を去ること願ったが、そんな願いとは裏腹に、彼は更に私との距離を詰めて、話し続けた。


「悲しいわけがないだろう、山田。だって君は気が付いていたはずだ」


分かっていただろう?

問い掛けるのではなく、今度は確認するように彼は呟いた。


あの子が実習を好んでいなかったことも。あの子が武器を扱うことを好んでいなかったことも。あの子が誰かを傷付けることを一等に嫌っていたことも。あの子がくのいちになど成りたくなかったことも。山田、一番近くにいた君ならば。知っていただろう?


「……やめろ」


その悲しみが本物ならば、君は、君ならば止められた。分かっていたんだろう?今回だって気付いていたよね。あの子が、ずっと、あの子が今日のーー


「やめろ」


「あの子が今日の実習で死のうとしていたことを」

「綾部っ!!!!!!」


気付いてた時には懐の苦無を取り出して、目の前の男を、綾部喜八郎を押し倒していた。力任せに振り下ろした苦無は綾部の頬を掠り、地面に突き刺さっていた。

綾部は驚きも怯みもせずにただ私を見つめていた。


「山田」


わかっていた。わかっていたよ。ねぇ。貴女が苦しんでいたこと。貴女がくのいちに成りたくなかったこと。貴女が死にたがっていたこと。わかっていたの。知っていたのよ。
でも、それでも尚、貴女を救わなかったのは。


「山田」


私と同じ道を歩んで欲しかったから。私の側にいて欲しかったから。私と一緒に生きて欲しかったから。


「山田、どうして泣いてるの」


「哀しいから」

「……………そう。なら思う存分泣けばいい」


きっとその重過ぎる哀しみを涙が少しだけ洗い流してくれるから。
そう言って、綾部は私の背中に腕を回した。
あの子の体温の冷たさと相反したその腕の暖かさに私は泣いた。あの子だってつい数時間前までは同じだったのに。今では水深に沈んだ化石のようだ。


「しってた」

「うん」

「知ってたわ」

「うん」

「わかってたの」

「うん」

「でもっ、」


止められなかった。
今日、あの子が死ぬとわかっていても、私は止められなかった。止めなかった。あの子は優しいから、優しすぎるから、耐えられなかったの。周りが傷付くのが耐えられなかった。だからいつも死にたがっていた。私は知ってたわ。だからいつも心に留めていた。あの子が消えないように。今日だって本当は止めるつもりだった。でもできなかった。

だってあの子、死ぬ間際にこう言ったの。今までに見たことないくらい幸せそうな表情で『あぁ、やっと解放される』って。

あんな表情されたら止められない。あの子にとっては死よりも生のほうが地獄なんだと思ったら止められない。早く楽にしてあげたかった。あの子はもう充分苦しんだ。充分頑張ったわ。それにこれ以上苦しむあの子を見るのは辛かった。

全てを吐き出して、楽になりたかった。あの子を失ったかなしみと苦しみと恐怖を誰かに受け止めて欲しかった。だってあの子はもういない。私は一人になったのだ。この広すぎるこの世界でたった一人になってしまったのだから。

私の心の奥底を見抜くように綾部は呟いた。


「ひとりじゃないよ」


その一言で私はまた無性に泣きたくなった。泣くことすらできなかったあの子の分も、声をあげて泣きたくなったのだ。








命あるもの
(たった一つとそれ以外)








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