色は匂えど

□偽善者の嘲笑
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「じゃあ、その教材は上の棚に置いてくれればいいから」
「はい」


クラス全員分のテキストは中々重かった。昨日の部活で張り切り過ぎたせいか、朝方から気になっていたさほど痛まない筋肉痛がここぞとばかりに痛みを主張する。
言われた通りに棚の上にテキストを置くと腕の負担が消え、少しばかり楽になった気がした。


「あぁ、ありがとう山田さん。助かったよ」


そう言って女子生徒が黄色い悲鳴をあげそうな笑顔を向けたのは、我が高で圧倒的人気を誇る教師、黒木先生だ。
超有名某大学、大学院を卒業した高学歴の持ち主で、その腕は去年の自分が受け持った卒業生をほぼ志望校に合格させるほど確かなものだった。それに加えて校内の女子生徒、女教師達をも虜にする甘いマスクも兼ね備え、その人気は密かにファンクラブができるほど。
しかし彼がここまで周りの人間を魅了する理由はなんといっても誰とでも分け隔てなく接する明るい人柄だった。
なんとも、彼ならば話しにくい相談もできる、だとか。
女子のみならず男子にも好かれるその人望。人は皆口をそろえてこう言うのだ。


"彼こそまさに聖職者!!"




と、私自身もそう思っていた。つい二日前までは。


「……………黒木先生」

「ん、何?」

「黒木先生ってーー


その、2組の子と付き合ってるんですか?


喉まで出かけた言葉は呑み込んだ。
いくら教師といえど他人の恋愛に口を出すのは野暮だと思ったからだ。
例え、先生が授業中で誰も来ないこの英語研究室で2組の女子生徒とヤっていたとしても。
彼の世間体に傷をつける事実を今ここで明かして、面倒事に巻き込まれるのも後免だったので、私は踵を返そうとした。


「いえ、なんでもありません。失礼しましーー」

「待ってよ」


それはいつもと何も変わらない。
何も変わらない、明るい、落ち着いたトーンの口調だった。
そう、何も変わらない筈なのに。
何故、私は立ち止まってしまったのか。何故、動くことができなかったのか。


「せっかく手伝ってくれたんだ。ゆっくりしてきなよ」

「え、あ、でも、私、部活が」

「バレー部は金曜日はお休みじゃなかったけ?……そうそうこの間貰ったお菓子があってね」


普段と何も変わらない調子で話し続ける。
ゆっくりと軽い足取りで先生の気配が背後に迫っているのを感じた。いつもと何も変わらない筈なのに何故か少し怖かった。

どうしよう。どうしよう。なんで。別に普段通りの黒木先生じゃない。怖がる必要なんてないのに。それに、私まだ何も言ってない。言わなかった。


「ねぇ、山田さん」


あっという間に先生は私の背後にたどり着き、そっとその手を私の肩に添えた。
添えられた、というのはあまりにも可愛らしい表現だったかもしれない。だって、先生の指は深く私の肩に食い込んでいて、先程の筋肉痛とは比べられないほど痛かった。


「っ先生、離し、」

「You saw it , didn't you?」


一瞬、誰の声か分からなかった。
背中に寒気が走るような、心の底から震えるような声色だった。
それが黒木先生から発せられたものだと気付くのに時間はかからなかった。


「ね、見たんだろう?」


今度は日本語で。より距離を縮めて。
すぐ隣に黒木先生の顔があって、微かに漏れる熱い吐息が耳をくすぐった。
肩に食い込んでいた手は、いつの間にか私の腰へと移動していて、逃げられないようしっかりと固定されていた。

優しく確認するようだったけど、明らかにいつも黒木先生ではない、ということは断言できる。


(いや、いつもの黒木先生なんかじゃない。これが本当の黒木先生なんだ。私達は、みんな、騙されてたんだ)


下手な受け答えはしないほうがいいと思った。
多分、下手に嘘をつけばすぐに見破られる。いや、確実に。
そんなことしたら……と後を考えるも怖かった。


「……付き合ってるんですか、その子と」

「A likely story!!僕に交際している女性なんていないよ。誰のことを言ってるのか、わからないなぁ」


おどけた様子で答える調子はやっぱりいつもと変わらない。
けれども決定的な相違点があるとするならば。
目だ。目が笑っていない。


「でも、その子とここで、ヤってましたよね?恋人じゃないんですか」

「I'll give you that, but ..恋人ではないよ。あの子が抱いて欲しいって言うから。まぁ、綺麗な顔してたし、いいかなって」


教師とは思えない発言だ。
生徒に手を出す時点で大きな問題になるというのに。この男はそれ以上の過ちを犯している。しかも本人はそれを大して自覚していない。


「信じられない………」


つい本音がポツリと出てしまった。
だって、本当に信じられないんだもの。よりによって、教師という立場の人間が、生徒をまるで、性欲処理機のように扱うなんて。
気持ち悪い、黒木先生、最低だわ。

嫌悪感丸出しの表情で先生を擬視すると、先生はあの女子ウケする爽やかな笑顔ではなくて、悪巧みをするような卑しい笑みを浮かべた。


「 The most decisive actions of life are most often unconsidered actions.」


流石は英語教師と言ったところか、スラスラと素晴らしいネイティブ発音で流暢な英語を話す。
しかし素晴らしいのはその発音だけで。


「山田さん、君は聡い子だ。……………僕が何を言いたいのか、わかるね?」



( 人生における最も決定的な行動は、軽率な行動である。………ね)

彼は忠告したつもりなのだろう。
つまりは、よく考えて発言、行動しろということだ。
現状況で圧倒的に主導権はあちらにある。立場的にも、体格的にも、今の私では黒木先生には勝てない。
万が一にもこの状を上手く切り抜け出せたとしても、他の大人達は子供のいう事なんて信じやしない。
黒木先生に言いくるめられて終わりだ。なんていったて絶対的な信頼があるのだから。


でも、


「Look who's talking.」


それは私だけに言えたことじゃないわ。


「先生も気をつけた方がいいですよ、仮にも教師。軽率な行動は最悪の自体を招きます」


私がこの目で見たのは偽りでも妄想でもない、真実だ。
いくら先生が上手く押さえ込んだとしても多少のわだかまりは消えないだろう。
未来的にそれが足枷となる可能性だって充分有り得る。
不利な立場なのは、私だけじゃない。


「 Well, I never.僕にそんなこと言うなんて……………君って面白いね」

「お褒めに預かり光栄です」

たっぷりと皮肉を込めて返したけれど、先生は嬉しそうに顔を歪めた。


「教師に歯向かうなんて、生意気な生徒だなぁ………でもそういうのって」



嫌いじゃないな



そう言って妖しく舌なめずりする男は絶対に聖職者なんかには見えなかった。





善者の嘲笑
(もはや一刻の猶予もない)









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