色は匂えど

□海に沈んだ夢をみた
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それは所謂、酸欠状態。


大きな海原で、深海に生息する植物たちが排出する、数少ない酸素を求めて藻掻いているような感覚。
苦しくて、死んでしまいようなのに、心地の良い浮遊感と、温かさに包まれて、安心してしまうのは何故だろう。


「それは、あれだろう。人間は水中にいると酷く、安心した気持ちになる、っていうやつ」

「どうして」

「水中にいる時の感覚と、母親胎内にいた時の羊水の中にいた時の感覚が似ているらしい」


へぇ、そうなんだ。
じゃあ、身体が錯覚して、お母さんのお腹にいたときのこと、思い出してるんだね。だから酷く安心するのかな。
「そうかもな」と兵助は呟いて、隣の水槽へと足を運んだ。私も置いて行かれないように足早に後を追う。

水族館へ行きたいと言い出したのは私の方だった。私は水族館という場所がこの上なく、好きだ。
ゲームセンターのようにガチャガチャと不愉快な雑音もない、遊園地のように天候に悩まされることもない。この仄暗い、幻想的な空間が何よりも好きだ。兵助も例外ではないらしくて、潮の香りが好きだとよく言う。


「深海魚コーナーだって。みて、変な顔」

「雛にそっくりだな」

「えっ、嘘、私こんな顔してる!?」

「冗談だよ、冗談」


あ、でもこれは潮江先輩に似てないか?なんて、岩陰の魚を指差すので、私は反対側に回り込んで、岩陰を覗いてみる。…確かに。そう言われると、もう潮江先輩にしか見えなくなってしまう。眼の下の模様が隈に見えて、頭に浮かぶのは徹夜明けの我が校の生徒会長。


「なんかギンギンに深海魚してそうだね」

「ハハ、なんだそりゃ」


柔らかく微笑んで、兵助は目の前の巨大な水槽に視線を戻した。
その横顔に私は見とれてしまう。もともと端整な顔立ちをしているが、私は水族館で水槽を眺める兵助の横顔が一等、好きだ。
兵助には青がよく似合う、と私は思う。
その雪のような白い肌にこの深い青がよく映える。宝石のようなきらびやかな青に包まれる彼は、なによりも美しい。
彼は私にとっての海。海のような存在。


「……兵助」


傍にいると、苦しくて、胸が締めつけられるほど苦しくて。それでも必死に存在を求めて。抱き締められると、とても安心する。そのまま眠ってしまいそうなほどに。


「酸素が足りないよ」


そう、酸素が足りないの。こんなにも近くにいるのに。私はいつだって求めてしまう。彼という海の中でいつも藻掻いて、酸欠状態。でもその苦しさが苦痛ではないのだから、もう自分は末期だと思う。でも欲しい。もっともっと欲しいの。このままじゃ、私、きっと酸欠状態で死んでしまう。


「雛が死んでしまったら困るな」


ふわり、とまた彼は優しく綺麗に笑う。
そして、息を吸い込むようにして、唇を重ねた。そのまるで大海原に抱かれたような感覚が私を満たす。行き場の失っていた両手を彼の背中に回すとそれを合図に、より深くなる。

もっと、もっと、より深くまで。深海まで沈んでいきたい。









海に沈んだ夢をみた
(それはね、とても幸せな夢だったよ)













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