前日のメニューに加えて更に過酷な練習。背中からお尻にかけて筋肉痛で正直、歩くのも辛かった。 濡れたアスファルトの匂いが鼻を掠めて、気付いた時には土砂降りの雨が降っていた。 威勢のいい雨音に気を取られていると、傘を持っていないことを思い出した。あぁ、この雨じゃ歩いて帰れやしない。びしょ濡れになって帰る勇気なんてこれっぽっちもなかったので私は迷わず、親に連絡した。 「……もしもし、お父さん?迎えに来て欲しいんだけど……うん、雷も凄いし、多分バス動いてない……え、一時間?…………まぁ、うん。わかった。待ってる、ありがとう」 仕事の関係もあり、すぐに迎えにこられないらしい。それはどうしようもないことなので迎えに来ていただけるだけでも有難いとして、私は大人しく一時間待っていることにした。 部室なら一時間居ても大丈夫だろう。 「雛、迎えくるの?」 「あ、うん。でも一時間待ちだけど」 「そうなんだ、大変だね。じゃ、私迎え来てるからお先に失礼」 「うん、バイバイお疲れ様」 帰り道が同じ友達に愛想良く手を振る。帰り道同じなんだからせめて駅まで送ってくれないかなあ、と図々しいことを考えながら手元のスマートフォンを弄った。 「はぁ?なんで?……じゃあ、もういいよ。チャリで帰るし。もういい、ママなんて知らない!!」 電話口に向かって何やらただならぬ様子で叫ぶもう一人の友達。 おそらく私と同様親に迎えを頼んだのだろう。その激昂から察するに迎えが来ないか、遅れるか。 元々親に対してキレやすし性分の子だから、今回の怒りようも凄まじかった。 「……大丈夫?一時間待ちだけど、駅まで送ってこうか?」 「え?いいよ、いいよほんとに大丈夫だから。学校にチャリ置きっぱにしたくないし」 身内に対して当たりが強い子だけれども、友達や他人に対しては普通に気遣いができる優しい子だった。 わざわざありがと、そう言ってレインコートを着込み、昇降口を目指してその子は去って行く。 また一人、一人とどんどん人が居なくなり、密度が少なくなった部室により、雨音が響く。 「一時間待ちだって?頑張れよ俺は先に失礼するぜ」 「えぇ?富松も帰るの?え、待ってよ私一人になっちゃうじゃん」 「いや迎え来てるし帰るよ。まだ能勢とかいるだろ」 能勢。何気なく富松が出した名前に胸が高鳴る。 横目でちらりと伺うと、帰りの支度をしている能勢くんの姿が映った。目が合わないうちに視線を戻す。 「は、ばっ、何言ってんの。もういい早く帰ればっ」 「んだよ急に。まぁ言われなくてもそうさせてもらいますー」 最後の同級生の富松がいなくなって、部室に残ったのは私と能勢くんと川西くんだけだった。 特にすることもなくて、とりあえずスマートフォンの画面に意識を集中させる。いつもなら熱中して読み込むweb漫画がちっとも頭に入らない。画面の右上のデジタル時計に目をやるも、時間は全然進まない。一時間は過ぎ去ってくれない。 「……山田先輩、帰らないんですか」 その声にはっとして顔を上げる。 能勢くんと川西くんが目の前に立っていた。 「え、うん。親の迎えが一時間後だから待ってるの」 「そうなんですか……長いですね」 どうしようもなく鼓動が早くなる。 私いま、能勢くんと話してる。ああ、どうすればいい?次に何て言ったらいいのだろう?何を言えば印象が残るだろう? 言葉が上手く見つからない。選べない。 能勢くんは自転車で帰るのかな。雨が降ってるからバスかな。 何か言わなくては。一段と雨が酷くなる。何か言わなくては、能勢くん帰っちゃう。今日はまだ、まともに話してないのに。 「…………隣、いいですか」 一瞬、何を言われたのか分からなかった。 能勢くんが指さす方向には私の隣にある空いすだった。 隣?隣って隣に座っていいかってこと?え?能勢くん、帰るんじゃないの? 呆気に取られているうちに能勢くんは隣に腰掛けた。川西くんも驚いた表情で能勢くんを凝視していた。 「雨、凄いですね」 「え、う、うん。そうだね。部活始めた時は降ってなかったのにね」 予想外の出来事に頭が混乱している。 吃ってしまい、上手く会話ができなかった。 そんな私を気にすることもなく、能勢くんは口を開いた。 「俺、あともう1センチ身長欲しいんですよね」 「……は?」 「いや、俺179センチなんですよ。あと1センチで180センチいくんですよね」 「ひゃ、ひゃくはちじゅう!?うわ、の、能勢くん、大きいんだね」 「本当に嫌味な奴ですよね。180なんて欲張んなよ」 「あぁ、左近は170ギリだもんな」 「おま、喧嘩売ってんのか」 まさか能勢くんの方から話題を振ってくれるとは思ってもみなかったので、激しく動悸する胸に嬉しさが込み上げる。 些細な会話が続くことが嬉しい。友達とするような日常のどうでもいい会話も能勢くんとするだけで何かが変わる。 こんな言い方川西くんには悪いけど、本当に、そう思ってしまう。 「山田先輩は‥‥標準身長ですよね。小さくもないし、大きくもない」 「えー、そうかな?でも私、もう少し欲しいんだよなぁ」 「くっ、久作も山田先輩も高望みし過ぎだ。標準超えてるならいいじゃないですか」 「妬むなよ左近」 「妬んでないっ!!」 能勢くんが話題を振ってくれて、それに私が答えて、川西くんが反応する。 そんなことを続けていたら、時間などあっという間に過ぎてしまった。 楽しい時間に終止符を打つように、携帯のバイブ音が鳴り響く。父からの連絡だ。 「迎えが来たみたい。私そろそろ帰るね」 名残惜しい。能勢くんと話せるせっかくの機会。本当に名残惜しいれけど、父を待たせるわけにはいかない。 重い腰を上げて私はゆっくりと立ち上がった。 あぁ、お父さん!!迎えにきてもらってる身だけど、もう少し遅くてもよかったのにっ‥‥!! 「そうですか‥‥じゃあ帰りますか」 私が立ち上がると同様に能勢くんと川西くんも立ち上がる。 「え?能勢くんと川西くんも迎え?」 「いや、俺達はバスですけど。山田先輩が帰るならもう此処にいる必要ないですし」 「‥‥‥‥」 や、ちょっと待て。もしかして。もしかしなくても、まさか。 思考がぐるぐると頭の中で回る。 「‥‥もしかして能勢くん、一時間、私に付き合って待っててくれたの?」 「‥‥‥‥」 能勢くんは何も答えない。代わりに隣の川西くんが「あぁ、そういうことね」と感慨深く呟く。 黙り込んでしまった能勢くんの顔を覗き、一瞬心臓が跳ねた。 普段のクールな表情とは一転した真っ赤な顔色。見慣れない表情に胸が締まるのを感じた。 あぁ、どうしよう。嬉しい。凄く嬉しい。 能勢くんの優しさが、心に滲みる。 ねぇ、能勢くん、私ずっと心の中で諦めていたんだよ。 部活の先輩なんて、ちっともそういう対象にはいらないでしょう、って。 同級生や後輩の方が気を使わなくていいし、可愛らしい子沢山いるものね。 どうしたって年の差は埋まらないから、何年経っても私は先輩だし、何年経っても能勢くんは後輩だもの。 だから私、ずっと、諦めていたんだよ。 でも、私って馬鹿が付くくらい単純だから、すぐ勘違いしちゃうんだけど。 これって期待してもいいですか? 感じていますか合縁奇縁 (高鳴る鼓動に身を任せて) |