なんということでしょう。

□17:割と早熟な僕ら
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何年か振りに味わうこのもどかしい気持ち。兄、小平太の存在に悩まされ、無意識に気付こうとしなかった感情。まさか、こんな形で蘇ってしまうなんて、夢にも思わなかった。


あの日から私の頭の中はある人物で占められていた。
思い返すのはあの眩しい笑顔。焼けた肌。色素の薄い髪。そして、海の香り。
胸をさすようなこの痛みは何年ぶりだろう。
今までにもちょっといいな、と感じる人はいた。でも、 直ぐに胸の奥底に押し込めて、なかった事にした。理由は明白。兄が黙っている筈がなかったから。中学のとき、私を振ったクラスメイトに殴り込んだことはまだ記憶に新しい。もう二度と他人に迷惑は掛けたくない。

そう誓ったはずなのに。

どうしてだろう。今の私はあの人のことを考えている。
今度はいつ会えるのだろうか、どんな食べ物が好きなのか、何色が好きなのか、好みの女の子のタイプは…など悶々と巡らせてしまう。

今だって、滅多に読まないファッション雑誌を買ったりして、一生懸命読み込んでいる。
少しでいい、少しでいいから女の子らしくなりたい。また、女の子扱いしてほしい。そんな不純な動機で。


「ねぇ、雛」


雑誌とにらめっこ状態の私に雷蔵が声を掛けた。
部活がない放課後の教室は静まり返っていて、お馴染みのメンバー五人は各々自分の好きなことをしていた。
しかし雷蔵が静寂を破ったことによって、兵助のシャープペンシルの音が止まり、勘右衛門のイヤホンが外れ、はっちゃんのスマートフォンを弄る手が止まり、三郎は小説から視線を外した。
皆の視線が自然と私と雷蔵に集まる。


「…もしかして、だけどさ、好きな人できたの?」


予想もしなかった言葉に私だけではなく、その場に居た雷蔵以外の人間が息を呑んだ。


「い、いいいきなり、何言ってるの、雷蔵」
「ま、間違ってたらごめんね?最近の雛ちょっと感じが違うから。なんて言うかさ、‥‥か、可愛くなった」


咄嗟に返事をして声が裏返ってしまったが、雷蔵は気にすることなく続けた。
冗談を言っているのかと思ったが、雷蔵は本気だった。
どうしよう。この空気では誤魔化すことは出来ない。いつものように茶化して終わらせるようなことはできそうにもない。
この五人に打ち明けてもいいだろうか?三郎と勘右衛門はきっと馬鹿にするに違いない。飾り気のない私が恋なんて。自分でも恥ずかしいというのに。

チラリと五人の様子を伺う。
揃いにも揃って皆驚いたような表情をしていたので、少し笑えてしまう。でも、そこにいつものようなふざけた空気は感じられなかったから、これは覚悟を決めなくてはならないと思った。


「‥‥‥‥うん。気になる人が、その、出来た」


皆の顔を見るが恥ずかしくて、控えめに頷いた。
ああ、もう何とでも言ってくれ!次に来る言葉に構えていたが、誰も何も言わなかった。少しして、「そっか」と雷蔵が答えてくれた。
その手が私の頭の上に乗る。


「そっかあ、雛が恋かあ。女の子だもんね。恋ぐらいするよね」


優しく頭を撫でる雷蔵の手を、羞恥で一杯の私は甘んじて受けることしかできなかった。
遂に言ってしまったという気持ちが走り、今すぐこの場を離れたかった。


「どんな人なの?この学校の人?僕、協力するよ」
「あ、え、えっと、その…よ、用事思い出した!ごめん!今日先に帰るねーー!!」


もう、居ても立ってもいられなくなってその場から逃げ出した。
自分の色恋沙汰ほど恥ずかしいものはない。免疫のない私にはまだ耐えられない。
結局、五人の反応もろくに見ないまま、その場を後にした。










「まさかあの雛が恋するなんてねぇ、俺、驚いて何も言えなかったんだけど」
「いや、僕もまさかとは思ったんだけどね?びっくりしたよ」


雛が去った後の教室は驚愕と失念に満ちていた。
話題を持ちかけた張本人である雷蔵でさえも未だに受け止めきらずいた。一見、いつもと変わらないように見える勘右衛門も内心穏やかではない。


「…てか相手の男は誰だよ。俺達の知ってるやつかなあ、ねぇ兵助?」
「……」
「兵助?」
「………」
「駄目だこれゃ。放心してるよ」


既に現実逃避してしまっている兵助に勘右衛門は息を吐く。
無理もない。滅多に動じることがない勘右衛門でさえ、動揺しているのだ。
純粋に雛を想う兵助の衝撃は大きい筈だ。


「ま、まぁ、どうせ雛のことだ。直ぐに振られるに決まっているだろう!まぁ、私は関係ないけどな!」
「…三郎」
「そ、それに、七松先輩が黙ってないだろう!直ぐに諦めることになるだろうがな!まぁ、私は全然関係ないけどな!」
「三郎」

「どうした雷蔵、私は全然気にしてないぞ」
「…本、逆だよ、逆」


全く動揺を隠しきれていない三郎に雷蔵はため息をついた。
三郎は本当に典型的だと雷蔵は思っている。まさに、お約束の『好きな子ほど虐めてしまう』というやつだ。
無理をして気丈に振る舞おうとしているのが丸見えだった。


「はぁー、じゃあれか、俺達全員失恋かぁ」
「そうなっちゃうねえ…」
「私はきにしてなーー」
「俺はまだ諦めないぞ!」


放心状態だった兵助が急に立ち上がった。


「俺達の方がずっと前から雛と一緒に居るんだぞ!いきなり出てきたやつに取られてたまるか!」

「誰も諦めるなんて言ってないでしょ。落ち着いてよ兵助」

「だって勘ちゃん!雛が、あの雛が恋愛だよ!?落ち着いてられないよ!!なぁ、八左ヱ門だってそうだろ!?」

「‥‥‥‥」
「八?」

「っ、わ、悪い、聞いてなかった」


何処かぎこちなく八左ヱ門は答えた。
普段とは明らかに違う様子に四人は眉を顰めた。
心配した雷蔵が八左ヱ門の顔色を窺った。


「大丈夫?具合でも悪いの?」

「いや、どこも悪くねえよ、大丈夫だ」


笑顔で返すとまた難しい顔をして黙り込んでしまった。

たった一人の女の子の恋がこうも周りに影響を及ぼしているとは。雷蔵はしみじみと考えてしまう。
しかし、自分達はまだましな方かもしれないと思った。一つ上の学年、特に彼女の兄なんかはーー。想像するだけでも恐ろしい。
これから始まる災難に頭を悩ませる雷蔵であった。








(まぁ、まずは相手の男だよねぇ)
(勘右衛門、顔、顔)
(そういう雷蔵だって凄い顔してるよ。それでよく雛に協力するなんて言えたね)
(ふふ、そう?)
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