なんということでしょう。

□20:真髄に触れる
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「おい、重。これは一体どんな状況なんだ‥‥?」
「そんなの俺が知りたいよ‥‥。あの人、大川学園で有名な七松小平太でしょ?なんでウチにいるんだ?」


兵庫水産高校ボート部二年の航と重は互いに身を隠すように頭を抱えていた。
遡ること十分前。練習を終えた部員達を招かざる客が出迎えた。相手はかの有名な大川学園三年、七松小平太だ。この地域一帯に暴君の名を轟かせている男が航達を待ち構えるように、部室の中央で仁王立ちをしていた。


「私は大川学園三年、七松小平太だ。間切という男に用がある」


腕を組んだまま、威風堂々とした姿勢を崩さず、七松小平太は口を開いた。
航と重は自分達とたった一つしか学年が変わらない小平太の威圧感に畏怖しながら、間切に視線を送った。

「あいつ、何したんだよ、暴君めっちゃキレてないか‥‥?」
「間切、目付き悪いから喧嘩売ってるって勘違いされたんじゃないかな‥‥」


「間切は俺だが」


注目の的となった間切は周りの部員の不安をよそに、臆することなく名乗り出た。


「‥‥お前が」


小平太は間切の目の前まで行くと、頭の上から爪先まで見下ろし、一息ついた。かの暴君にガンを飛ばされても、間切は微動せず冷静だった。
誰もが固唾を飲んでその異常な光景を見つめていた。その沈黙を破るようにまた小平太が口を開いた。


「貴様、私の妹に何をした」

「‥‥‥‥は?」


小平太の問いに気の抜けた声を発したのは間切ではなく、ずっと隅で顔を青くしていた新入生の白南風丸だった。
声にこそ出さなかったが航と重でさえ心の中では白南風丸と同じ反応をしていた。


「お前のせいで妹の様子がおかしい。お前、あいつに何をしたんだ。事によってはタダでは済まさんぞ」

「いや、悪い。話が見えないんだが‥‥」

「白を切るつもりか」


間切の応答に眉を吊り上げ、瞳孔を開いたまま小平太は間切に詰め寄る。
身に覚えがない間切は困惑の情を滲ませていた。


「知らないとは言わせんぞ。私の妹は七松ーー」
「お兄ちゃんっ!!!」


間切の身の危険を感じた航と重が二人の間に入ろうとした時だった。
若い女の声が飛び、その瞬間、小平太の動きが止まった。声の主は息を切らせて肩を上下させている。余程、急いで来たのだろうか。


「お兄ちゃん、何してるのっ!?」
「雛‥‥」


雛は未だに状況を呑み込むことができなかった。
滝夜叉丸にことの発端を聞き、急いで駆けつけたものの、何故、この様な事態が起こっているのか理解ができなかった。


「七松‥‥七松、七松雛‥‥‥‥あ、七松って、お前、あの七松小平太の妹だったのかっ!?」


雛と小平太の顔を交互に見て、間切は驚愕した。
妹の登場に部員達も動揺を隠しきれない。


「ま、間切さん‥‥す、すみません、私の兄が迷惑かけて‥‥‥‥ほら!お兄ちゃんも謝ってよ!」
「何故私が謝らねばならんのだ!おい雛、こいつに何をされたんだ!言ってみろ!」
「何勘違いしてるの!?間切さん、気にしないで下さい、ほ、本当にすみません!」


兄が何を勘違いして、怒っているのか理解できなかったが、小平太が間切とボート部の部員に迷惑をかけていることは雛には確かに分かった。
とにかく何とかしてこの場を納めなくてはならない。雛の頭の中で過去の記憶が蘇る。このままでは同じことの繰り返しではないのか。
私はまた、好きになった人をーー。


「滝夜叉丸から何を聞いたか知らないけど、間切さんは何もしてないから!学校にまで押し寄せて!迷惑だよ!」

「ことを明らかにするまで私は一歩も引かん」
「だから!何もないって言ってるでしょ!どうして話をややこしくするの!?」

「お、おい七松、落ち着けよ。俺は大丈夫だから‥‥」


どれだけ気を鎮めようとしても焦燥に駆られて、冷静になることができない。
どうしてこの人はいつもこうなんだろう。私の話を聞いてくれない。私の意思を尊重してくれない。どうして。
折角、三郎たちに背中を押されて、踏み出せたのに‥‥!


「雛、私はお前のためを思ってーー」
「いい加減にしてっ!!」


自分でも驚くほど、大きな声が狭い部室にびりびりと響いた。誰もが静まり返り、静寂の中で雛の荒い息だけが残る。
その静けさに少しだけ頭が冷えて、雛は一瞬で我に帰った。辺りを見回し、目を丸くしている部員と間切の姿が目に映った。
ーーやってしまった。この文字が頭を占め、すぐに兄の手を掴んだ。


「帰るよ」


手早に、間切達に謝罪を済ませ、駆け足で部室、そして兵水をあとにした。


台風一過。雛と小平太が過ぎ去った部室はやっといつも通りの平穏を取り戻していた。


「はあぁ、俺、心臓が止まるかと思った。一体、七松小平太は何をしにきたんだ‥‥?」
「普通に兄妹喧嘩して帰ってたな‥‥。おい、間切、お前何したんだ?」


航と重が合わせて間切に問いかけた。
顔に赤みを取り戻した白南風丸も興味深そうに耳を傾けた。
間切は眉を顰めて首を項垂れさせる。


「いや、全くもって身に覚えがない‥‥」









「おい、雛!止まれ!雛!聞いてるのか?」

「雛!!」


最後の呼び掛けに応じて雛の足がピタリと止まった。
手を引かれ、されるがままに飛び出してきたが、雛は未だに口を開かなかった。怒っているのだろうか。しかし、自分は何時でも妹の先を行き、手を引く側だった。だから後ろ姿では何も読み取ることができない。小平太は止まって石のように動かない妹を引き寄せ、強引に向かい合わせになった。


「雛」


一瞬、泣いているのではないかと身構えたが雛は泣いてなどはいなかった。唇をきつく結んで、拳を握っていた。その小さな拳がストンと小平太の胸に落ちた。


「‥‥か‥‥お兄ちゃんの馬鹿‥‥」


小さな声で掠れ気味に呟いた。
弱々しい言葉と共にまたもう一つ、拳が落ちてくる。


「わ、私‥‥間切さんに‥‥嫌われちゃった‥‥あんな大きな声出して‥‥お兄ちゃんのせいだよ‥」

「‥‥‥‥雛」


普段と懸け離れた姿に小平太は少なからず衝撃を受けた。そして初めて今回の己が妹の可愛さ故に行き過ぎた行動を取ってしまったことに気が付いた。
どのような苦行であっても乗り越える雛がこのような姿になってしまったのだ。違いない。雛の言う通りだ。今回の非は己にある。


「‥‥すまん」

「すまん、雛」


妹に嫌われてしまうかもしれない。一抹の不安が頭を過ぎり、それだけはどうしても避けたかった。
肩を掴んでいた手を背中に回し、そっと抱き寄せる。


「‥‥私はお前のことになると、どうも周りが見えなくなる。このとおりだ。頼む。許してくれ」


耳元で兄の言葉が落ちてくる。あの兄が珍しくも素直に謝罪の言葉を述べている。
兄の行動は確かに許し難い。しかしながら、小平太なりに雛を思って起こした行動だということ、そして小平太がそれだけ雛を大切にしていることは既に十七年間共に居て、痛いくらいに理解していた。
何よりも暴君と呼ばれているあの兄が自分に懇願している姿はなんとしても兄を許さなくてはならない気持ちを起こさせる。


「‥‥いいよ、私も言い過ぎた」

「っ!許してくれるのか!?雛!」

「‥‥‥‥うん」


雛!歓喜の声を挙げ、背中に回していた腕に力を込め、小平太は雛を持ち上げた。


「ちょっ、やめ、お兄ちゃん!」
「あー!よかった!許してもらえたぞ!」

「‥‥ちゃんと間切さん達に謝ってよ!?迷惑かけたんだから」
「相分かった!お前の言う通りにしよう!」
「それと!もう二度とこんなことしないでね!?他の先輩にも!きちんと釘を刺しといてよ?」

「わかってる!仙蔵達にも変な気を起こすな、としかと忠告しておく!‥‥‥‥だがな雛」


明るくなった顔向きが一変して、抱き抱えた雛を鋭い小平太の瞳が捉えた。


「私はお前が粗略に扱われることはどうしても我慢ならんのだ。そのようなことがあった暁にはお前の許可なく手荒な真似をするだろう」


兄の真摯な想いがひしひしと伝わってくる。そうだ。兄はいつだって私のことしか考えていない。
“私の話を聞いてくれない。私の意思を尊重してくれない。”ーーそんなのは大きな間違いだ。
確かに常軌から外れた行動を起こすことは多々ある。理不尽なことだって。
けれどもその真髄はいつだって妹である私だった。
今回だって誰よりも早く私の異変に気が付いたからこそ、このような行動を起こしたのだろう。


「わかった」


兄の想いに深く頷く。
自分の恋愛が上手くいかないことを周りのせいにしては駄目だ。そのことに三郎たち、そして兄に改めて気付かされた。
今回のことで間切さんには悪いイメージを与えてしまったかもしれない。けれども、大切なことに気付けただけでも良かったのではないだろうか。
少なくとも、今は太陽のような兄の笑顔を見て、そう感じていた。












(しかし雛、私はあの間切という男は好かんぞ。あの男はやめなさい)

(それ、私に気になるひとができる度に言ってるよね‥‥)
(私の目が黒いうちは絶対にーー)
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