遠い記憶(R18)

□応酬の行方
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 そこは土ぼこりにまみれ、叫び声と混乱に満ちていた。ある者は悲鳴をあげ、ある者は地面に転がりもがいている。踏みにじられた花々がそこかしこに散らばり、桶はひっくり返っていた。
 逃げ惑う人々の間を、甲冑に身を固めた兵士たちが広場の外を目指してかき分けていく。その向こうに土ぼこりが舞い上がり、馬のひずめの立てる地響きが押し寄せてきた。
 恐怖に顔を引きつらせた女が、彼女の肩を突き飛ばし、背後に立つ教会へと駆け抜けていく。

 彼女は脚を踏ん張って、前方を見据えた。
 やがて武装した男たちの一団が姿を現した。その先頭に幼いときから愛してきたハンサムな顔を見止め、やりきれなさに胸が痛んだ。
 どうしてこんなことを始めたの?何がいけなかったの?心で彼に問いかけた。無益な争い。いまいましい男たち。勝っても負けても、憎しみの連鎖は終わらない。

 隣りに立つたくましい男の号令で、迎え撃つ弓矢が放たれた。

 彼の身を案じて、息がつまる。もれ出しそうな悲鳴を抑え込んだ手が震えていた。

 剣のぶつかる音がして、いよいよ戦闘は本格的になってきた。馬のいななきに、うめき声。怒号が飛び交い、死の臭いがただよってくる。戦場に似合わぬ青い空に、一際高く矢が飛んだ。
 地上の戦の指揮に集中している隣りの男は気づいていない。

 憎い男だった。そして、愛しい男だった。
 彼女は男の前に両手を広げて立ち、その身で矢を受け止めた。








 日菜は身体を貫かれた衝撃で跳ね起きた。胸を押さえ、辺りを見回す。
 そこはエリーチェに取った部屋で、彼女が寝たときとなんら変わっていなかった。
 それなのに射抜かれた感触は生々しく、荒々しい怒号がありありと耳に残っている。踏み潰された花々は色鮮やかで、広場を埋め尽くす人々の表情までくっきり思い出せた。

 心臓がせわしなく鼓動を刻み、全身が冷や汗にぬれている。まだ夜明け前だったが、日菜はベッドから這い出し、洗面所にこもった。ぐずぐずとベッドに居残り、再びあの夢を見たくなかった。
 いつもなら開放感に満たされて目覚めるのに、今夜の夢に甘さはみじんもない。あるのは恐怖と身を切られるような悲しみ。そして、新たに始まる苦しみの予感。
 夢の中で騎乗の戦士を案じ、隣りに立つ男を憎みながら愛していた。それだけでもややこしいのに、ふたりの男は兵をあげて対立していた。あの様子は騎乗の男が攻め入ってきたという感じだった。

 まさか騎乗のイケメンは元カレで、隣りの男から元カノを取り戻すための戦いだったとか?ないない。いくらなんでも女ひとりのために戦争まで始めるわけがない。
 それに隣りに立っていた男、憎みながらも、彼のために命を投げ出すほど愛していた男。逆光で顔はよく見えなかったが、大柄で鍛えられた戦士の身体をしていた。夫だろうか?愛していたのに、あの男が浮気をしたとか?

 何があったのかはわからないが、彼女が死を歓迎したくなるほど不幸だったことはよくわかった。






 
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