血の記憶(R18)
□ゲーム
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照明を絞った〈ナンバーファイブ〉の店内は、煙草の煙と人いきれで見通しが悪く居心地が悪かった。人々は笑いさざめき、酒と熱い雰囲気に酔っている。女性客はお目当てのホストに熱い視線を送り、彼らは自慢の魅力を振りまき、笑い、語り、彼女たちをおだてる。
中央のフロアでは数組のカップルが、ぴったり寄り添っているところだった。ちょうど、こちらを向いて踊るホストの腕の中では、かわいい女性が彼の肩に頬を寄せうっとりしている。
彼女の腰を両側から支えるホストの太い左手首には、貢ぎ物であろうチャラチャラしたゴールドのブレスレットがぶら下がり、右手の人差し指でオニキスの指輪が輝く。男っぽく整った顔を見れば、もてるのももっともだろう。
望月 蒼依はブースの片隅で、呆れて彼らを眺めた。あんな男、彼女に言わせれば、ただの薄っぺらいチャラ男だ。
蒼依はため息をつき、手持ち無沙汰に赤ワインを舐めた。
くだんのホストはいかにも慣れた仕草で、女性の髪を耳のうしろにとかしつけ、何事か囁いている。
彼女がうれしそうにホストの首にしがみついた。
自分が及ぼした効果に彼がニヤリとするのを、蒼依は軽蔑のまなざしで見ていた。
そのチャラ男がふいに顔をあげた。
視線をそらす間もなく、目が合ってしまった。
奴は魅力的な笑みで流し目を送り、なんとウィンクした。
蒼依はうんざりして、顔をそむけた。いつになくイライラして、買ったばかりの煙草に手を伸ばす。
最低の男。見ているだけで、胸が悪くなる。やっぱり、真っ直ぐ帰ればよかった。同僚たちにつき合いが悪すぎるとまで言われ、しぶしぶ誘いにのったのが間違いの元だ。
まさか行き先がホストクラブだとは思わなかった。知っていたら、絶対に来なかっただろう。いや、ホストクラブだとわかった時点で用を思い出したとか何とか言って、帰ればよかった。 今となっては後の祭りだ。何とか口実を作って、早めに帰るとしよう。
煙草を唇に挟んだとき、鼻先に火の点いたゴールドのライターが差し出された。
チラリと目をやると、さっきのチークダンスのホストがはす向かいに座っている。短い茶髪の頭を傾げ爽やかな笑みなど浮かべているが、広げた膝が逃げ道をふさぎ押しの強さを物語っていた。
蒼依は彼を無視して煙草に火を点けた。
だが、ひと息吸い込んだとたん、むせてしまった。
「かっこつけて、煙草なんか吸うからだよ」馴れ馴れしく背中をさすってくる。
蒼依は彼の手の届かない所まで引き下がり、氷の視線で威嚇した。
「触らないで!」
雪女みたいだ。いや。彼女の冷ややかさときたら、雪女も震えあがる。
真崎 晃聖は冷たいまなざしに見入った。
怒っていても、彼女はとびきりの美人だった。髪は肩までのストレート。面長の顔に、形のいい唇をキリリと結びこちらを睨んでいる。長いまつげが色っぽく、澄んだ黒い瞳に吸い込まれそうだ。
男が一度は手に入れてみたい、と思うような女だった。
ジッと見つめると、彼女はうっとうしそうに顔をそむけた。心底嫌そうな感じだ。
プライドが傷ついた。これまで一度も女性からあからさまな拒絶を受けたことはない。最悪でも愛想笑いぐらいは引き出せた。
晃聖は自分の容姿に自信があった。店に来る女性客は、ワイルドな容貌を気に入ってくれているし、彼もそれを売りにしていた。体だって週に二度はジムに通い、ダビデ像とまではいかなくても、なかなかのものだと自負している。
それが彼女にはまったく通用しない。それどころか、嫌悪されている感さえある。
気に入らなかった。彼女を自分の客にしたかった。もっと進んで、食事に誘いたい。食事のついでに、いただくという手もある。
取り澄ました彼女が、俺に抱かれてうっとりするのを見られたら、どんなに気分がいいだろう。
「ごめん。あんまりつまらなそうだから、ほっとけなくて……」
彼女は鼻で笑い、そっぽを向いた。
「そう?」
「何かいやなことでもあった?」
彼女は苦笑して、ほとんど吸わなかった煙草をもみ消した。
「べつに。連れに伝えておいてくれる?」
「何て?」
「先に帰るって。友だちはフロアで踊ってる黄色いチュニックの人」彼の背後を指した。
晃聖は背後の黄色い服を探した。
いた。友だちはライバルホストと踊っている。
彼女は慎司の客で、見覚えがあった。慎司は“祐美ちゃん”と呼んでいた。
謎の美人を引き留めようと振り返ったが、席は空っぽだった。すでにレジで支払いをしている。
慌ててあとを追い、彼女のひじを掴んだ。
「まだこれからなのに――」
彼女が腕を引っ込め、一歩退いた。まるで、そばに寄られるのが我慢ならないみたいに。
「つまらなすぎて、死にそう。家でテレビ見てた方がましかも」
「やってみなきゃわからなだろ?」晃聖は粘った。
彼女が首を振る。
「みんなが気づいたみたい」
晃聖は振り返った。
奥から“祐美ちゃん”を含む三人がやってくる。
「どうしたの?」
「帰る、って言うんだ」彼女を見たが、姿はなかった。
やっぱり雪女だ。ちょっと目を離したすきに消えてしまった。
だが、まだ手はある。
晃聖は祐美たちを見て、ほくそ笑んだ。
「とりあえず座ろうか?」彼女たちを席に促す。
「まさか、帰るんじゃないよね?」ありがたいことに慎司がやってきて、一緒に彼女たちを引き留めた。
「蒼依さんが帰っちゃった」もうひとりの友だちの加奈が、情けなさそうにぼやいている。
「苗字は何ていうの?」すかさず晃聖は訊いていた。
「望月だっけ?」静香が答え、ふたりがうなずく。
望月蒼依。晃聖はその名を心に刻んだ。
「あなたたちが悪いのよ。ちゃんと相手してあげないから」加奈がふくれて、責め立てた。
「話しかけたけど、ぜんぜんのってこないんだから仕方ないよ」慎司は面目なさそうだ。
「やっぱりね」祐美がため息混じりにつぶやく。
「何が?」晃聖は興味津々で続きを促した。彼女にまつわる全てを知りたい。
「蒼依さんね、男性不信だと思う。言い寄ってくる男には警戒心丸出しだもん」
「もたいないよね〜」静香が誰にともなくつぶやいている。
「今日は強引に誘ったの。ここならみんなで楽しめると思って。だけど、余計なお世話だったみたい」
「諦めるのは早くないか?」目に不敵な光をちらつかせ、晃聖は言った。
その場にいた全員の視線が彼に集まる。
「また彼女を連れてきてよ。今度はちゃんと、蒼依ちゃんの相手をするからさ。そしたらお礼にきみらの飲み代、僕がもつよ」
「ほんと!?」はしゃいだ声が応えた。
「何を考えてるんだ?」慎司がにやつきながら訊いてくる。
まるで、お前の考えはわかっているぞ、と言わんばかりだ。
もちろん本音を話すつもりはないので、笑ってごまかした。
閉店後スタッフルームの隅で、慎司が話を蒸し返してきた。
「望月蒼依を狙ってるんだろ?」まだ、ニヤニヤ笑いは続いていた。
「俺も入れてくれないかな?飲み代、半分持つからさ」
意外な申し入れに、晃聖は眉をそびやかした。
何か言う間も与えず、慎司はしゃべり続ける。
「俺が混じると不安か?負けるかもしれないもんな」言葉巧みに競争心を煽ってくる。
晃聖と慎司は指名の数で一、二を争うライバルだった。今のところ晃聖が一番人気になっているが、いつその座を奪われるかわからない微妙な立場だ。
慎司の魅力である爽やかな外見と、親しみやすさはあなどれない強敵だった。
「やっぱ、自信がないか?」慎司が唇のはしに笑みを引っかけ、なおも挑発する。
「かまわないよ、べつに。今のところ望月蒼依は誰の客でもないんだし、この店のホストなら誰でも参加資格はあるだろ?」余裕の笑みを返したが、次の返事にヘラヘラ笑っていられなくなった。
「客としてだけじゃもの足りなくなくないか?」
どうやら男性不信であることが、慎司の興味を刺激したらしい。なかなか墜ちない女を墜とすのも、男の醍醐味だというわけだ。
慎司も彼女の裸体を想像したのか?組み敷く様を思い描いたのか?
晃聖は自分の不純な企みを棚上げにして、不快感を抑えられなかった。この闘いには絶対負けられない。
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人物紹介
*望月 蒼依 youサービスプロモーションのコンパニオン
*藤島 蒼太 蒼依の兄
*藤島 燈子 蒼依の母
*藤島 涼一 蒼依の父
*真崎 晃聖 ナンバーファイブのホスト
*慎司 ナンバーファイブのホスト
*結城 綾 蒼依の友人