血の記憶(R18)

□拒絶
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 蒼依が仕事を終えたとき、まだ日が暮れたばかりで、昼間の暖かさを残していた。

 <youサービスプロモーション>はイベント運営会社で、結婚式からコンサート、果ては誕生会までイベントに関することなら何でもプロデュースしている。
 今日の仕事は企業の入社式で、永く堅苦しい挨拶のあと歓迎パーティーへと移行した。結婚式と違ってアルコールがない分トラブルは少ないが、それでも出席者ははしゃぐ。当然、蒼依も接待に追われた。

 コンパニオンになって四年。この仕事が気に入っていた。皆と同じ制服、同じ色、同じ台詞、髪は地味にうなじでまとめている。周囲に溶けこみ、対等になれたようで安心できた。

 苦労はある。厳しい礼儀作法に、気まぐれな客の対応、プライベートな誘いをうまく断るのに気を使うが、永く仕事を続けているうちに慣れた。

 唯一、苦手なのは、噂好きの同僚だ。他人に興味のない人、おとなしい人、親切な人もいるが、中には噂話に命を賭けている人もいる。親しげに擦り寄ってきて、根掘り葉掘り旺盛な好奇心を満たそうとする。
 だけどそれはどこに行ってもあることで、転職までするつもりはなかった。

 そんな困った同僚である裕美たちが、今朝、夕べのことで謝りにきた。ひどく消沈して、彼女の機嫌をうかがっていた。その様子からも、彼女たちが後悔しているのは明らかだった。

 だから許した。しかし、怒りが収まったわけではない。
 我慢ならないのは、あのホストだ。いきなり抱き寄せ、恥ずかしげもなく腰を押しつけてきた。
 辱められ、汚された気分だった。思い出しただけで、顔から火を噴きそうだ。

 できれば、あんなくだらない男に反応したくなかった。何も感じず、無表情で終わらせたかった。
 それなのに、どうしても我慢できず爆発した。大声を出さなかっただけましだが、それも時間の問題だった。

 あの過剰な反発に、彼女の暗い過去がにじみ出てしまっている。あの姿を見た祐美が、加奈が、静香が、何か勘づいたかもしれない。
 そのことの方が、よっぽど由々しき事態だ。あの場にいた全員から、夕べの記憶を消し去りたいくらいだ。いや。それができるなら、自分の過去を消している。

 蒼依は諦めのため息をついた。変えられない過去を、いつまでも悔やんでいたって仕方がない。何もなかったように毎日を過ごせば、そのうち記憶も薄れるだろう。あとは二度と感情的にならないことだ。

 蒼依は上着のボタンを留め、ビルの外に出た。
 この季節はどこに行っても浮かれている。花々が咲き、重いコートからは解放され気分も軽くなるのだろう。
 だが、彼女にとっては大嫌いな季節だ。蒼依は足早に会社の前を離れた。

 「望月蒼依さん」

 聞き覚えのある声に、蒼依はギクリと足を止めた。鋭く息を吸い、動揺を呑み込む。

 どうしようかと迷っていると、太い声が再び彼女を呼んだ。

 蒼依はいやいやその男を見た。

 淡い色合いのブランド物のスーツに、ピカピカの革靴。キザな笑顔を振りまいて、晃聖がカッコつけて立っていた。


 相変わらず醒めた目だ。いかにも迷惑そうな顔が、うんざりしながら俺を見ている。
 昨日あれだけ彼女を怒らせたことを考えれば、当然の反応だ。塩をまかれたって、文句は言えない。

 晃聖はくじけまいと、精一杯の笑顔を返した。
 どうしてもあのまま負けを認めることができず、慎司から会社名を聞き出した。彼にはさんざん諦めが悪いと笑い者にされたが、決意は揺るがなかった。

 望月蒼依はまるで、何もなかったように歩きだした。取りつく島もない。

 晃聖は慌てて後を追った。「ちょっ、待ってよ」

 返事はなかった。それどころか、彼女はスピードをあげた。

 「昨日のことを謝りに来たんだ」彼女について歩きながら、話しかけた。「悪かったよ。ちょっと話すぐらいいいだろ?」

 それでも彼女は無視し続けている。

 あまりのつれなさに、たまりかねて声をあげた。
 「きれいなのを鼻にかけて、ずいぶんな態度だな?何でも思い通りになると思っているんだろ?」

 蒼依はピタリと立ち止まった。ぎらつく視線で彼を見あげてくる。

 晃聖はここぞとばかりに目を合わせた。
 この方がずっといい。にらみつけられようが、確かに彼女は俺を見ている。

 「あなたのお名前は?」蒼依が冷ややかに訊いてきた。

 「晃聖。頭に血が昇って、忘れたな?」わざと馴れ馴れしく答えた。彼女に関心を持ってもらえてうれしかった。

 「覚えています」蒼依はムッとしたようだ。「知りたいのは名字の方」

 「真崎だよ」

 「では、真崎さん。昨日のことは忘れてください」さらに一線を引くように、敬語を使った。「それに今の――」蒼依が顔をそむける。「失礼な言葉は聞かなかったことにします」
 彼女はいかにも時間が気になる様子で、時計に目をやった。
 「急ぎますので、失礼します」蒼依は再びキビキビ歩き出した。

 晃聖の果敢な挑戦はあっけなく終わった。


 蒼依は逃げるように駅へ向かった。急ぎの用などない。だが、拒絶の言葉としては十分なはずだ。
 わざわざこんなところまでやって来るなんて、どういうつもりだろう。謝れば、また店に行くとでも思ったのだろうか?私が行かなくても、彼のファンは大勢いるだろうに。

 蒼依はあることに思いあたり、唇をゆがめた。
 彼は肘鉄を食らったのが気に入らないのだ。人前で恥をかかされ、彼のちっぽけなプライドが傷ついたのだろう。女はみんな、自分を無視できないと自惚れていたのかもしれない。
 端正な容姿を鼻にかけているのは彼の方ではないか。あのチャラ男にそう言ってやればよかった。
 いや。あれでよかったのだ。感情を抑え、理性的にふるまえた。これでいい加減、あの男も諦めるはずだ。








 

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