血の記憶(R18)

□別離
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    17


 翌朝、晃聖はいつも通りに迎えにきてくれたが、帰りは違った。いつまでたっても現れず、事故にでも遭ったのではないかと心配した。
 無事を確認したいが、携帯電話の番号を知らない。これ以上、彼を立ち入らせたくなくて、蒼依が交換したがらなかったせいだ。

 心がざわついて、いてもたってもいられない。駅前の公衆電話コーナーに駆け寄り、電話帳をあさった。不安はホストクラブへの嫌悪感をしのぐほど大きかった。<ナンバーファイブ>に電話し、晃聖を呼び出す。
 彼はいなかった。
 だが電話に出たホストが、彼が同伴出勤でまもなく店に着く、と教えてくれた。

 胃の底が抜けた。裏切られた気分だった。身体の中で何かがよじれ、怒りとも悲しみともつかない痛みを放っている。
 彼は友だちだ。自分に言い聞かせた。
 仕事を優先して何が悪い?それがホストクラブであっても。予定が変更したのを知らせたくても、彼には連絡すべき番号もわからなかった。自業自得だ。
 ひょっとすると、彼は友だちごっこに飽きたのかもしれない。

 蒼依は重たくなった体を引きずって、歩き出した。いつの間にか、すっかり彼をあてにしていた自分に驚いた。それどころか、心待ちにしていた。これではまるで、恋する女のようだ。

 そう思いあたった瞬間、立ち止まった。
 後ろを歩いていた男性が彼女にぶつかり、追い越していく。

 恋する女性。それはもっとも身近にいた。ひたむきに父を追い求めた母。恋い焦がれ、激しく愛し、それゆえに天国の甘さを味わい、地獄の苦しみを舐めた。
 そして、最後には容赦ない現実に耐え切れず、無残に死んでいった。怖いほど情熱的で、あまりにも哀れな一生だった。

 そんな風になりたくなかった。だから極力、男性を避け続けた。
 しかし、母と同じ血が自分にも流れている。知らず知らずのうちに恋心が芽生え、母と同じ立場になったらどうなるのだろう?いいや。母を見てきたからわかる。もし彼に恋心を抱いていたら、こんなものじゃ済まない。他の女性の影に怯え、もっと取り乱すはずだ。
 彼に抱いているのは、ただの友情。友達がいなくなるのがほんの少し、残念なだけだ。

 蒼依はそう結論づけると、気を取り直して歩き始めた。

 翌朝、蒼依は睡眠不足だった。いつもの悪夢を見たわけではない。あの夢はこのところなりをひそめ、晃聖の言っていた免疫が、意外な効果をもたらしたかと驚いていたところだ。
 睡眠不足の原因は、ほかならぬ彼のせいだった。晃聖との短い思い出が、彼女を落胆させ眠りを奪った。彼は知らず知らずのうちに蒼依の皮膚の内側に入り込み、心の中まで住みつき始めていた。

 この感情が深刻な事態になる前に、終わってよかった。そう自分を納得させようとした。部屋を出れば彼が待っているかもしれない、などと期待を抱かぬよう、手早く準備をする。
 しかし、ドアを開ける手は震えていた。

 晃聖はいた。車の横に立ち、あっけらかんとあいさつをした。

 蒼依はうれしさと、怒りに引き裂かれた。駆け寄り抱きつきたい衝動と、くどくどと文句を言いたい誘惑に。
 どちらも抱きたくない感情だ。だから、ぎこちなくあいさつを返した。

 「昨日はごめん」彼がドアを開け、待っている。

 だけど、素直に乗り込みたくない。
 「何かあったかと心配したわよ」頑固にその場に立ち尽くし、謝罪を拒絶した。まるで、責めているみたいだ。

 「迎えに行きたかったけど、客につかまってね。連絡のしようがないから、どうにもできなかった」困りきって、顔をしかめる。

 それを聞いて、ほんの少し腹の虫が収まり、車のシートに滑り込んだ。
 「大変ね」口先だけだった。ホストなんかやっているから、そんな目に遭うのだ。

 「これからも何があるかわからないから、メール交換しないか?」

 断るべきだ。わかっていた。用心深い本能が、危ない綱渡りだと警告している。
 だけどもう少し、もう少しだけ彼と友だちでいたかった。
 蒼依は携帯電話を引っ張り出した。

 メール交換が済むと、晃聖は満足してジャケットのポケットに手を入れた。小さな箱を取り出し、蒼依の膝に載せる。

 「何?」包みに見入った。

 「プレゼント」そう言いながら晃聖がエンジンをかける。

 これまで男性からのプレゼントは一度として受け取ったことはない。見返りを期待されると困るので、うまく断ってきた。
 だが、今回は迷っていた。晃聖のことでは迷ってばかりだ。

 「大した物じゃないよ。開けてみたら?」いつまでも彼女が手を出さないので、彼が促した。

 おずおずと包みを取り上げた。軽い。丁重に包まれた中身は、陶器の小さな家だった。

 「昨日、見つけたんだ」チラッと蒼依を見て、早口に説明する。「あの鉢植えに合うと思ってね。言ってただろ?」

 うれしかった。そんな小さなことを覚えていてくれたことに感激する。
 「ありがとう」お礼を言う声がかすれた。

 晃聖の横顔に、まるで彼女の喜びが伝染したように笑みが広がった。







 

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