イブの夜は更けて(R18)

□イブの夜は更けて
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 燿子は、光平が言ったくだらない冗談に――彼がオヤジギャグを言うとは思わなかった――みんなが笑ったとき、捺希の異変に気づいた。皆と同じように笑っているが、目が笑っていない。周りが笑ったから合わせた、という感じだった。

 燿子は捺希の様子を仔細にチェックした。
 化粧でうまくごまかしているが、目が腫れっぼたい。おそらく泣いたのだろう。全体的に覇気がなく、化粧を落としたらきっと隈が現れるに違いない。

 捺希が彼女の視線に気づき、笑みを深めた。

 燿子は笑い返し、光平を見やる。横目に見る彼女は空っぽの笑顔に戻っていた。

 やっぱり作り笑いだ。みんなに心配かけまいとする姿には見覚えがあった。

 昨日までは変わりなかったはずだ。それどころか、彼女自身が輝いていた。昨日から今朝にかけて何かがあったのだ。考えられるのはあの便利屋。
 あの男、いかにももてそうだから、浮気したのかもしれない。前の亭主で辛い思いをしたのを知っているくせに、泣かせるなんて言語道断だ。

 燿子はデスクに戻って、五十嵐から強引にもらった名刺を探した。電話番号を入力し、こっそりと休憩室兼ロッカールームに向かう。
腹立たしいことにコールは鳴り続け、伝言サービスに繋がった。

 「辻丸だけど、折り返し電話をちょうだい」挨拶なしの命令を残し、通話を終了した。

 イライラして落ち着かない。何でもないふりをして、みんなの前に戻る自信がなかった。
 恥ずかしい話だが、この年になっても感情のコントロールができない。捺ちゃんみたいに感情を押し殺して平気なふりをするなんて、夢のまた夢。生まれ変わたってできそうになかった。

 そうこうしているうちにスマホが鳴り出した。五十嵐一馬だった。

 『捺希に何かありましたか?』開口一番、彼が訊いてきた。

 「『何かありましたか?』じゃないわよ。あんたこそ、捺ちゃんに何したの?」とげとげしく訊き返した。

 燿子の勢いに呑まれたのか、相手が沈黙した。仕事中のようで、電話の向こうはザワザワしている。騒音が遠ざかり、ようやく暗い声が返ってきた。
 『例の写真のことで揉めました』

 例の写真?
 「離婚の原因になった、あの写真のこと?」

 『そうです』

 燿子はとまどい、返答するのも忘れた。
 彼女はあの写真のことは問題にしてなかったはずだ。それが今更どうして?
 頭の中は疑問でいっぱいだ。

 電話の向こうで便利屋を呼ぶ声がして、燿子は我に返った。

 『とにかく』五十嵐も仕事を思い出したようだ。『今夜仕事が終わったら、捺希を迎えにいきます。そのときにまた』
 よっぽど忙しいのだろう。彼女の返事も待たずに電話は切れた。

 何だか知らないが、複雑な理由があるようだ。とりあえず五十嵐の浮気ではなかったので、腹立ちを収め燿子も仕事に戻った。

 席に着くと、光平のもの問いたげな視線が待っていた。私の様子がおかしいのに気づいたのだろう。昔から彼は何も見逃さない。今ならそれこそが見守られてきた証拠だとわかる。

 『あとで』光平を安心させるために、唇の動きだけで伝えた。
 彼のことだから、同じように捺希を助けたいと思うはずだ。今夜、五十嵐が来たら、協力して吊るし上げてやる。
まずはその前に……。

 しかし、肝心の捺希はカップルの接客についていた。
 この仕事は物件の案内があるので、彼女が担当するのは女性客かカップルと決めている。不公平だとは思うが、空っぽの個室でふたりきりになり、男性客が豹変しないとも限らない。彼女も承知していることだ。

 結局、昼になっても捺希は案内から戻らず、帰ってきたときは燿子が家主の相談を受けていた。
 燿子は捺希とふたりだけで話せるチャンスをジリジリしながら待った。







 

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