イブの夜は更けて(R18)
□写真
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12月22日深夜0時40分。
夫はまだ帰ってこない。ひとりきりの部屋はやたら広く、秒針の刻む音が鳴り響くかのようだ。テーブルの食事はとっくに冷め、部屋は肌寒く、夫婦の間はもっと冷えきっている。
結婚して2年。子どもはいない。このままだと今後もできないだろう。夫と愛し合ったのは半年前。完全なセックスレス夫婦だった。
氏島勇司と初めて会ったのは捺希が勤める不動産会社だった。勇司が部屋探しのため辻丸不動産を訪れ、捺希が申し込み用紙を渡したのが最初だ。
そのとき彼は捺希を見て顔を赤らめた。爽やかなベビーフェイスで、22歳。彼女よりひとつ年下だった。
その翌日から彼のアプローチが始まった。昼前にやってきて、部屋探しそっちのけで捺希をランチに誘った。
勇司は断られてもめげなかった。部屋が決まったあとも足繁く通い、捺希は営業社員たちにからかわれた。
何度目かの食事の誘いを受け入れたのはしぶしぶだった。1度は彼の顔を立て、丁重に断りを入れるためだ。
その日、勇司は花束持参で現れた。彼は頭の回転が速く、ユーモアにあふれていた。身構える捺希に冗談を飛ばし、笑いで壁を取り払った。最後は彼のペースに巻き込まれ、笑い転げてしまったほどだ。
勇司のあまりの浮かれように断るタイミングを逸し、なしくずし的に次の約束をした。食事は2度3度と重なり、彼の楽しさと熱心さにほだされ次第に惹かれていった。
勇司は得意のユーモアと爽やかな魅力で捺希の両親をもたちまち虜にした。
ふたりは娘以上に勇司を気に入り、結婚話はとんとん拍子に進んだ。晴れて勇司と結婚したときは、幸せの絶頂だった。全てが輝いて見え、家族みんなが喜びに沸いていた。
それがたった2年でこんなに色褪せてしまうなんて……。今では勇司の心が全く見えない。このままでは離婚になるのではないかと不安だった。
玄関の鍵が開く音がし、勇司が帰ってきた。
「おかえり」捺希は立って夫を出迎えた。
勇司は喜ばなかった。返事すらなく、いやな顔をした。
1年前は久しぶりの再会を果たしたかのように彼女を抱きしめ唇を合わせたものだ。
それが最近では笑った顔さえ見ていない。
どうしてこんなに変わってしまったのだろう?私がいけなかったのだろうか?仕事を辞めず、専業主婦にならなかったのが気に入らなかった?
だが家事の手は抜いていないはずだ。
「ご飯、温めるね」会話の糸口を探すように声をかけた。
「食べてきた」
夫は遅くなったのを詫びる様子もなく、そっけない。まるで壁と話しているみたいだ。
勇司は途方に暮れる彼女に目もくれず、バスルームに消えた。
捺希はキッチンの椅子にしょんぼりと座った。徹底的に無視され、踏みつけにされた気分だ。
どうしてあんな態度を取るのだろう?何か私に腹を立てているの?
いつから彼が変わってしまったのか定かではないが、半年前には何かがおかしくなり始めていた。
浮気?
それを確かめるには携帯電話を調べるのが1番手っ取り早いが、あいにく勇司はいつも携帯を手放さない。今頃、脱衣所の着替えの上だ。
水の流れる音が止まり、彼がバスルームから出てきた。
私たちは話し合うべきだ。このままなすすべもなく結婚生活が壊れていくのを見ているわけにはいかない。
だがもう1度、あの壁に立ち向かう勇気が出てこなかった。
時刻は午前2時を回っている。
捺希は彼のたてる音で動きを追った。
勇司はキッチンを素通りし、自分の書斎兼ベッドルームに入りドアを閉めた。
そして部屋は静かになった。
捺希はノロノロと立ち上がった。
もう起きていたって何も始まらない。眠れるわけがないが、自分だって明日も仕事があるのだから体を休めないわけにはいかなかった。
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登場人物紹介
*氏島 捺希 不動産会社勤務
*氏島 勇司 捺希の夫
*辻丸 燿子 辻丸不動産会社社長
*真鍋 光平 辻丸不動産会社専務
*五十嵐 一馬 便利屋〈よろず屋〉の経営者
*原村 真澄 ホスト兼〈よろず屋〉のアルバイト店員
*千紘 五十嵐の恋人