イブの夜は更けて(R18)
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一馬は帳簿を投げ出し、かすむ目をこすった。
「えらく疲れてませんか?」長身をだらしなくソファに横たえて、真澄が訊いてきた。
なぜか真澄はいつも出勤前、〈よろず屋〉にやってくる。彼を信用して事務所の鍵を渡しているが、事務雇いでも電話番でもない。電話は携帯電話に転送するようになっているので、電話番は必要ないからだ。
それなのに真澄はやってきて、電話番をやっている。
「夕べ、クリスマスの片付けで大忙しだったからな」
きつい仕事はなるべくアルバイトを使わず、自分が行くことにしていた。補充人員として駆り出され、今朝の開店時間ギリギリまで働かされた。
まあ、それだけ実入りはいいのだから文句は言えない。
「その代わり、午前中休みを取って、他の奴を仕事に行かせたんでしょう?寝なかったんですか?」
痛いところを突いてきた。
「まぁ、そういうことだ」詮索されたくなくて、ぶっきらぼうに肯定する。
「ははぁ、女でしょう?」あらぬ想像をして、真澄がにやけた。「確か、千紘ちゃんとかいう――」
終いまで言わせなかった。
「千紘はクリスマスデートを断ってから、ふくれたままだ。電話もない」
真澄はそのせいで、一馬の機嫌が悪いと踏んだようだ。
「じゃあ、一馬さんから電話すりゃいいでしょう?すぐ機嫌を直して、飛んで来ますって」
「ああ……、そうだな」生返事を返した。
真澄の言う通りだ。謝罪の電話をして、熱い夜でも過ごせば千紘と仲直りできる。向こうも電話を待っているはずだ。
だが、そんな気になれなかった。それより捺希がどうしているのか知りたい。どうやったら不審がられずに彼女の居場所を聞き出せるかずっと考えている。そんな方法などないのだから、眠れなくなるのは当然だった。
「そろそろ出勤した方がいいじゃないのか?」それ以上詮索されたくなくて、促した。時間は17時を回っている。
真澄はだるそうに壁の汚れた時計を見上げた。
「もうクリスマス出勤は終わったから、まだですよ」
「そうなのか?」
がっかりしているのを気取られなかっただろうか?
一馬はソワソワと立ち上がった。
「俺はちょっと用があるから、出るときは鍵をかけていってくれ」
真澄が思案顔で見ていたが、無視して外に出た。すでに心は辻丸不動産に向いていた。
17時55分。
一馬は遠目に辻丸不動産の様子を窺った。電話で捺希の出勤を確認することもできたが、彼女を見たい誘惑にどうしても勝てなかった。
捺希はいた。昨日見たときよりずっと元気そうだ。
安堵が寒い日の湯船のように彼を満たした。寒風にさらされ、目が痛くなるまで彼女を見つめた。
生き生きとまではいかないが、本物の笑顔を浮かべている。もしかしたら踏ん切りがついたのかもしれない。
健気に前を見て歩こうとする姿にジンときた。あんな奴、別れて正解だ。
18時を回っても捺希は出てこなかった。
帰る場所がないから就業時間を伸ばしたのか?
心配が湧き水のように湧いてくる。このままずっと捺希を見ていたいが、それだと目立ちすぎる。
一馬は辺りを見回し、斜め向かいのパチンコ屋に入った。玉を買い、不動産屋の出入り口が見える位置に席を占める。携帯電話で辻丸不動産を検索し、営業時間や駐車場の位置を確認した。店の出入りを見張り、疑われないよう時々玉を打った。
何度も調査の仕事はやったので、辛抱強く見張るのは慣れている。
18時30分。
女社長の辻丸燿子が出てきた。名前は社のホームページに出ていた。色っぽい容姿に似合わずキビキビ歩き、社の駐車場方向に消えた。
一馬は仕事柄いろいろな人種と関わり合うが、その様子から彼女の化粧や服装は男の気を惹くためではなく、武装ではないかと思った。
営業終了時間30分前になっても捺希は出てこなかった。ということは最後まで残るのだろう。
一馬はパチンコを終わらせ、いつでも動き出せるように壁際の休息スペースに移った。
不動産屋の看板が消え、従業員がゾロゾロ出てきた。ひとりは駅方向に消え、捺希を含めた4人が駐車場に向かっている。昨日、一馬が話しかけた営業マンもいた。
一馬は一定の距離を置いて4人をつけた。話し声はするが、内容まではわからない距離だ。
四つ角までくると、彼は立ち止まり様子を窺った。
ふたりの営業マンは捺希たちに手を振って、車で走り去った。
残った年配の男が、捺希を白のシーマに促している。そして何の躊躇もなく彼女が奴の車に乗り込んだ。
いきなり腹に1発喰らった気分だった。
彼女も浮気していたのか!?自分が裏切られたわけでもないのに、無性に腹が立つ。
いや、待てよ。遅まきながら理性が働き出した。
彼女の身辺調査をしたときには何も出てこなかった。もし浮気していたら、家から締め出されたとき真っ先にあいつの元に行くんじゃないのか?
もしかしたらあのおっさん、捺希の苦境につけ込んで……。それで彼女はこんなに早く立ち直ったのか?
ムラムラと怒りが湧いた。
せっかくろくでもない亭主と別れられたのに、あんな男に騙されやがって。確かに見かけがいいのは認める。ハゲてもいないし、デブでもない。若い頃は相当もてただろう。
だが、あの年だ。家にはくたびれた女房と、反抗期のガキが待っているに決まっている。
一馬は客待ちしていたタクシーを拾い、あとをつけさせた。
女房と別れるから一緒においで、とでも言われたのか?面倒見てやる、とか言われて夕べは奴と寝たんじゃないだろうな?
イライラして、暴走する想像を止められない。前を走るシーマのリアウィンドウをジッと睨みつけた。
2台の車は住宅街を走っていく。やがてシーマがスピードを落とし、1軒の家の前に停まった。
一馬はバレないようにシーマを追い抜き、離れた所にタクシーを停めさせた。
息をひそめて後ろの様子を窺う。
シーマはまだ同じ場所に停まっていた。助手席から捺希が降りてきて、お決まりのお辞儀やらなんやらしている。そしてシーマは走り去り、捺希は家の中に消えた。
張りつめた緊張が一気に緩んだ。
何やってんだ、俺?
我に返って自分を笑った。無事な姿を確認するだけのつもりだったのに、ひとり空回りして腹を立て、あとをつけ回した。追いかけていってどうなるものでもないのに、そうしていた。責任を感じるにも程がある。
一馬はタクシーをUターンさせ、来た道を戻った。
捺希が入っていった家の表札は、辻丸だった。女社長の家だ。
とりあえず彼女の安全を確認できてホッとした。もう捺希は大丈夫だ。俺の役目は終わった。
そう自分に言い聞かせた。