イブの夜は更けて(R18)

□片思い
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 一馬は約束の時間の20分前には現地に着いていた。
 彼はこれまで2度、仕事の合間をぬってやってきて、2方を囲む生け垣の半分の剪定を済ませていた。呑み込まれかけていた門柱はすっきりと顔を出し、プライバシーを保った上、涼を運ぶ風を遮らない程度に刈り揃えてある。残り半分も今日で終わらせる予定だった。

 それに今日は辻丸不動産の定休日だ。捺希に合わせ、今日の仕事はここしか入れていない。つまり、1日のほとんどを捺希といられる。今夜は食事に誘ってみるつもりだった。

 門の外に立ち、ソワソワと彼女の到着を待った。

 しばらくすると、赤地に黒の2本のラインが入ったミニが、捺希を乗せてやって来た。女社長の車だ。

 正直、焦った。辻丸社長には1度、捺希の様子を窺っているところを見られている。

 一馬の3メートル手前にミニが止まり、ふたりが降りてきた。

 一馬は落ち着きを取り戻そうと、深く息を吸った。
 もしかしたら、女社長は俺のことを覚えていないかもしれない。辻丸不動産の前で10分以上立っていたことはないし、誰も捺希を見張っていたとは思わないだろう。見られても待ち合わせか、時間潰しぐらいにしか見えないはずだ。

 「おはようございます」社長の目を気にして、まずは捺希に丁寧な挨拶をした。

 彼女にいらぬ疑いをかけられたら、捺希との仲を徹底的に邪魔される。しかも、まだ始まってもいないのに、だ。
 辻丸燿子はそういう社長だ。社員がトラブルに捲き込まれそうになったら、守ろうとする。

 だが俺は、捺希をトラブルに捲き込みたいわけじゃない。捺希の傍で笑顔を見たいだけだ。自分の手で彼女を幸せにしたい。
 そう自覚すると、自信が湧いてきた。臆することなく辻丸社長に『はじめまして』の目を向けた。

 「こちらがお話しした、〈よろず屋〉の五十嵐さんです」捺希が女社長に言い、一馬を見上げた。
 「私が務める辻丸不動産の、辻丸社長です。今日は家を見にいらしたんですよ」

 便利屋を見に来たんじゃないのか?
 そう思いたくなるぐらい、辻丸燿子の目つきはうさん臭そうだ。

 「どうも、お世話になっています」営業用の愛想笑いで対応した。

 「私、あなたのこと知ってる」開口一番、辻丸が言った。

 いきなり切り込まれ、息を呑んだ。

 捺希も驚いている。社長と一馬を交互に見た。

 「一昨年のクリスマス・イブに、うちの前で荷物の受け渡しをしてたでしょう?」

 記憶をたどった。
 氏島が鍵を変えたと聞き、心配で捺希をつけた日だ。急遽サンタの役をアルバイトに代わってもらうため、辻丸不動産の前で待ち合わせた。捺希に気づかれまいと用心しながらアルバイトと話をしていたので、店から見られていたとは思わなかった。

 「あー、思い出しました。サンタの依頼があったので、衣装やら何やら、彼に届けたんですよ」
 隠す必要もないことなので、正直に答えた。というか、ストーカーと思われるよりずっとましだ。
 自分では捺希の保護のつもりだったのでストーカーとは思っていないが、傍から見るとそうは思わないだろう。

 辻丸は真偽を確かめるように、ジッと一馬を見上げている。

 「サンタの仕事もするんですか?」捺希が無邪気に訊いてきた。

 「犯罪以外で、俺にできることだったら何でも」
 捺希には本物の笑顔を向けた。

 それを見て、辻丸社長が目を光らせた。
 「うちの捺っちゃんに、特別に親切にしてくださってるそうね?」

 参った。まるで、子どもを守る雌ライオンだ。どうしたらいい?捺希はどの程度話しているのだろう?
 直感がなるべく事実にそって話した方がいい、と警告している。社長とはこれからも度々会うことになるだろう。捺希と付き合うなら、必然的にそうなる。なかには話せないこともあるが、なるべく嘘偽りのないようにし、いい関係を保ちたかった。

 朝とはいえ気温はジリジリと上がっていく。

 「訳を説明しますから、とりあえず日陰に入りましょう」
 一馬は門を入り、玄関のひさしの下にふたりを導いた。
 「彼女には借りがあるんです」

 女社長はまだ疑わし気だ。

 捺希はと見ると、困った様子だったが、止める気配はなかった。

 「だいぶ前になりますが、俺の忘れた携帯を届けてもらったことがあるんです」

 「なっ!じゃあ、あなたが!」辻丸が牙を剥いた。「あんたのせいで、捺っちゃんがどんな目に遭ったかわかってるの!」吠えた。
 一馬よりずっと小さいのに、飛びかからんばかりだ。

 思った通り女社長は例の写真のことを知っていた。そして俺は何も知らないことになっている。
 「いや……俺は……」戸惑うふりをした。
 我ながら危ない橋を渡っていると思う。そうまでしても彼女といたかった。

 「写真は関係なかったんです」いきなり捺希が割って入ってきた。一馬の前に立ちはだかり、殴りかかりそうな社長から守ろうとしている。

 これには演技するまでもなく驚いた。

 「だって、あの写真のせいで……」辻丸が戸惑っている。

 そうだ。どうして写真は関係なくなった?

 「あれはきっかけにすぎなかったんです」捺希が社長に言った。
 そして、一馬を振り返る。
 「五十嵐さんに会っていたところを写真に撮られて、それを元夫が離婚の理由に持ち出してきたんです」ひとり置いてきぼりになっている一馬を気づかって、彼が企んだことをわざわざ説明してくれた。

 罪悪感に胃がよじれる。当然の報いだ。

 「すいません」玄関のステップを下りて、頭を下げた。こんな言葉じゃとても足りない。「俺、ここの仕事、無償でやらせてもらいますから。すみませんでした!」
 自分の犯した罪の半分にもならないが、それでも謝るきっかけができてありがたいくらいだ。

 「五十嵐さん、頭を上げてください」捺希が慌てて言った。「私たち、あの写真がなくても離婚していたと思います」

 「どうして?」辻丸が訊いた。

 一馬も顔を上げた。

 「彼は別れる理由を探していたんだと思います。離婚できるなら理由は何でもよかったんです」捺希が悲し気に辻丸に言った。「離婚後、半年もしないうちに結婚してましたから」

 「あのクソ野郎!」女社長が吐き棄てた。

 同感だ。

 社長の毒舌に、捺希が吹き出した。

 こちらまでつられそうな笑顔と声に聞き惚れた。聞いてるだけで幸せな気分になれる。

 捺希はこうやって立ち直ってきたのだ。この雌ライオンが彼女に代わって腹を立て、その愛情に励まされてやってきた。
 俺ができなかったことを、女社長が代わりにやってくれていた。そう思ったら、一瞬で辻丸燿子という人間を好きになれた。

 「五十嵐さんに会った翌日、あの写真が浮気じゃないことを証明してくれる人を捜していたんです」捺希が笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を拭きながら、当時のことを告白した。
 「あのとき五十嵐さんに会えていたら氏島を大慌てさせられたのに、残念」そうして笑いをくすぶらせた。

 辻丸でさえ苦笑を浮かべている。

 一馬は……笑えなかった。もし会えていたとしても、助けられないとわかっているからだ。
 あのとき仕事は途中だった。完遂するのは離婚したとき。

 今更ながら罪の深さに震えた。写真が原因ではないと言われて、気が楽になるものではない。なぜなら、一馬のやったことは厳然としてそこにあるからだ。捺希の心に傷を残し、彼の記憶に刻みつけられている。

 いつか捺希に告白しなければならない。彼女に謝り、許しを請わなければならない。
 だが、今は無理だ。もっとふたりの関係が確かなものになったとき、ちょっとやそっとじゃ離れられなくなったそのとき、決行する。

 「いつまで落ち込んでるんですか?」捺希が朗らかに一馬を現実に引き戻した。
 「契約は生きてますよ。五十嵐さんの1分1秒にお金を払っているんです。しっかり働いてください」彼を罪悪感から解き放とうと懸命だ。

 「帰ったって暇だし、草取りでもするか」辻丸が辺りを見回し、元気よく言った。

 「社長!約束したじゃないですか!」
 何の約束か知らないが、捺希が慌てている。

 「約束なんかしてないわよ」辻丸が軽く一蹴した。「便利屋の働きぶりも見てみたいし、ただ見てるだけじゃつまらないでしょ?」
 一馬に対する警戒心が半減していた。彼を見上げる目は不信感よりも興味が勝っている。
 「悩んでないで、始めるわよ」完全に彼女がこの場を仕切っていた。

 「わかりました、社長」一馬は降参して、同意した。
 当面の問題を脇に置き、頭を仕事に切り替える。ピックアップの荷台から道具を下ろし、携帯型の殺虫用の線香をふた組準備した。夏の屋外作業には欠かせない代物だ。

 「これを使ってください」
 本当は捺希と自分用に用意した物だが、ふたりに差し出した。

 「あなたの分は?」辻丸が燻煙剤と一馬を見比べる。

 「俺は男だから、大丈夫です」
 自分でもよくわからない理屈だが、言いたいことはわかるはずだ。

 女社長が鼻で笑って、燻煙剤をひとつだけ受け取った。
 「私と捺っちゃんはふたりひと組みでやるから、ひとつで十分」

 「いや……」反論しようとしたが、完全に無視された。

 「そっちはそっちで、ちゃんとやってね。しっかり見張ってるんだから、さぼるんじゃないわよ」最後に睨みを利かせた。

 捺希はまだブツブツ言っていたが、彼女にかなうはずがなかった。
 まるでブルドーザーだ。しかも、その燃料になっているのが愛情だから憎めない。捺希が一心に彼女に尽くそうとする理由がよくわかった。

 一馬は社長に言われた通り、仕事に取りかかった。
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