イブの夜は更けて(R18)

□報い
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 一馬が帰ってきた。

 真澄はピックアップトラックが店の前で切り返し、バックで駐車場に入ってくるのを立って見ていた。

 「えらく今日は早いな?」開口一番、一馬が言った。
 なにしろ、まだ13時だ。

 「昨日は休みだったから」

 「なるほど」
 一馬が足早に真澄の傍らを通り過ぎていく。ダウンジャケットを椅子に掛け、机の前に座った。すでに彼の意識は真澄にはなく、次の仕事に向いている。あるいは恋人に……。
 一馬と話をするために早めに来たとは思ってもいないようだ。未だ彼が立ちつくしていることにさえ気づかない。

 どれだけ思いを込めても報われない現実にやり場のない怒りが、虚しさが、失望が込み上げる。
 やけっぱちぎみに口火を切った。
 「昨日、榊原さんに会いましたよ」

 瞬時に一馬が顔を上げた。それこそ全身を耳にして彼の言葉を待っている。

 一馬の気を引くには捺希の名を言いさえすればいいわけだ。あまりの不公平さに憎しみすら覚える。

 「どこで?」
 彼がなかなかしゃべり出さないものだから、一馬がしびれを切らした。

 「辻丸不動産に近い駅前のコーヒーショップで」

 一馬はみるみる厳しい顔つきに変わった。
 「偶然か?」今や仕事は完全に忘れ去られている。

 「彼女に呼び出されたもんで」

 一馬が立ち上がった。固くこぶしを握っている。険悪に目をすぼめ、燃え立つ憤怒が見えるようだ。今にも掴みかかられそうな雰囲気だった。

 このまま彼に殴られ店を飛び出せば、ふたりの仲をぶち壊しにできるかもしれない。一馬には会えなくなるが、捺希も会えなくなる。
 心に一瞬よこしまな考えが浮かんだ。それを打ち消すように、捺希との約束が頭をよぎる。

 何の価値もない名刺を振りかざし、脅してでも僕を追い払おうと奮闘していた。下げたくもない相手に頭を下げ、一馬を守ろうと懸命だった。敵ながら見上げた根性だと思った。あれこそ愛だ。
 それに比べ僕のしていることは何だ?報われない愛だとわかっていたはずだ。それでも傍にいたかった。一馬の幸せを願い、行動してきたつもりだった。
 本当にそうだったのか?ただ彼の恋愛を邪魔してきただけじゃないのか?

 昨日の捺希の姿にそう思い知らされた。一瞬とはいえ、卑怯な考えが浮かんだこと自体いい証拠だ。

 「やだな、一馬さん。勘違いしないでくださいよ」

 それくらいで一馬の疑念は収まらなかった。
 「そうなのか?」

 「彼女は前に僕が渡した名刺のトリックに気づいたんですよ。源氏名ならクラブの名刺のはずだ、と指摘されました」

 厳しい顔は和らがなかったが、とりあえず一馬は腰を下ろした。どうやら危機は去ったようだ。

 「どうも僕が〈よろず屋〉を利用して何か企んでいると思ったみたいですよ」

 「何だって!?」呆気に取られている。

 真澄はチラッと笑った。
 「僕をあなたから引き離したかったようですね」
 脅迫されたとは言わなかった。どう考えるかは、一馬が判断することだ。

  一馬がグッと眉を寄せた。
 「いよいよタイムリミットが迫ってきたようだな」

 「マジで話すんですか?彼女、一馬さんを信じ切ってますよ」

 「だからこそ、だよ」重々しく言った。
 「彼女を見てみろ。何ひとつ悪いことをしていないのに酷い目に遭わされ、それでも自分の道を必死で切り開こうとしている。俺は捺希に見合う人間になりたい。それにはどうしても乗り越えなければならない試練なんだ」固い決意に満ちていた。

 「彼女が許してくれなかったらどうするんですか?」

 たちまち一馬は悲愴感にまみれた。表情が暗くなり打ちひしがれる。二の句が継げないほどだ。

 不謹慎ながら、希望が芽生えた。
 もしかしたら捺希が一馬を棄て、彼の恋は終わるかもしれない。

 「そのときはやけ酒、つき合いますよ」優しく慰めた。
 そのときこそ失恋で弱った彼の心に入り込むチャンスだ。

 「ありがとう」一馬が感謝して、薄く笑った。
 「それでもきっと諦め切れないだろうから、許してもらえるのを待つことにするよ」

 真澄の希望は瞬く間にしおれた。それでもまだ一馬の元を離れる気にはなれなかった。








 

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