小説B

□暗中のパラノイア
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十時にもならない頃、今度はアラーム無しで目が覚めた。
「……まだ、十時前か……」
こんなに一日が長いのに、これからどうしていけばいいんだろうか。
そう途方に暮れた時、すでに訴える空腹は限界に近かった。同時に思い出す、冷蔵庫の中には何もないことを。苗木はつい、大きく息を吐き出した。外の様子もろくに分からないのに、やすやすと外出していいのだろうか。かといってこのまま閉じ籠っている訳にもいかない。
どちらにせよ、可能性があるとするなら外しかない。行くか、行かないか。このまま家にいたってどうにもならないのだ、なら行くしかない。
そう自分を鼓舞して、苗木は頷く。眠気覚ましに顔を洗おうと洗面所に向かって、そこで鏡を見て少しぎょっとする。さすがに、部屋の中でいつもしているこの格好では出掛けられない。……もし誰もいなかったとしても。僅かに笑って蛇口をひねる。冷たい水が指先に触れた。両手のひらで水を掬って、何度か顔を洗った。タオルで拭きながら鏡を横目で見ると、さっきよりは少しさっぱりしたような気がした。次は、自分の部屋に向かう。こんなに戸惑う外出は初めてだと、少し笑みを浮かべてみた。階段を上ると、とんとんと小気味良い音がした。部屋のドアを開けっ放しにするなと、何度も妹に注意されたのを思い出す。そのくせノックもせずによく入ってきて、いいじゃんと笑っていた。
少し悩んで、やっぱり着なれたあの服にするのを決めた。最後に黒いジャケットの袖に腕を通すと、少し気が引き締まったような気がした。
いよいよだ。少しの恐れと怯えはあるものの、ここで立ち止まっている訳にはいかない。苗木はもう一度唱える。
前に進むんだ。
何度も心の中で反復しながら、玄関へと足を向ける。いつも学校に行くときとは全然違う、この張りつめた感じ。思わず苦笑する。
踏み慣れた玄関のタイルの上には、家族全員ぶんの靴が綺麗に並んでいた、この家には今誰もいないのに。自分のスニーカーを履いて玄関の前に立ってみると、恐れとも驚きともどちらとも付かない違和感で、胸がいっぱいになった。
ドアノブがない。それだけではない。扉の真ん中には、番号を入力するキーと、それを表示する液晶が設置されていた。


「……初めまして。私の事が分かるかしら?」
『ううん、初対面……だと、思うなあ』
「……そう。じゃあもう一つ質問するわね。……あなたは、自分がどんな存在か、分かっている?」
『……そういうふうに作られている、でしょ?データに叩き込まれているから』
「……。そう。こういう言い方は良くないと思うけれど……、あなたは、問題なさそうね」
『大丈夫だよ。……他の皆は?』
霧切は首を横に振る。もう二人は、何も言わなかった。



『……11037……』
どこからか声が聞こえた気がして、苗木は顔を上げる。聞き覚えがあるあの声は、もう聞こえない。
「この声……夢にも……」
11037。あの声が繰り返しささやくこの数字は。
「1……1……」
その通りに、キーを押してみる。かすかに指が震えているような気がした。
「0……3」
7。
ピー、ピー、とやかましく電子音が鳴り響く。少しずつドアが開いていって、機械の液晶に、白黒のクマの顔が写し出された。
『ピー、ピー。認証しました。苗木クン、さすがだね!もうワックワクのドッキドキが止まらないよ!さーて、張り切っていきましょう!』
扉が完全に開いて、苗木は唖然とした。
目の前は、南の島だった。

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