小説B

□ぽつり
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雨が降っていた。大粒の雨が降り注ぎ、時折思い出したように風が吹き付ける。風の向きに合わせて向きを変える雨粒を眺めるのが好きだった。
窓を打ち付ける雨音が強くなる。窓を打っては流れ落ちて行く雨。それを眺めているのが、好きだった。
廊下から、徐々に近付いてくる足音がした。誰もいない通路にわずかに反響しては消える。やかましくドアの開く音、C太の声。
「……A弥、帰らないの?」
んー、と生返事をすると、椅子をがらがらと引く音がして、隣の席にC太が腰かけた。頬杖をつき、僕と同じく窓の外を眺める。
「……面白い?」
「……ん」
そっか、と呟くとまた視線は外。言葉は交わされない。静寂と雨音が流れていた。透明なガラスに当たっては弾け、形を変えては落ちていく雨。軌跡を残しながら消えていく水滴を見るのは飽きなかった。水溜まりに立つ水紋も、葉に溜まっては流れていく水も。風が泣いているような、乾いた音も。
不意に名前を呼ばれた。
「……A弥。暗くなるよ」
頭の後ろで、C太が立ち上がる音を聞いた。横目でちらりと窺うと、鞄を持ち上げ足を教室の扉に向けている。後ろ髪を引かれながらも、僕も立ち上がった。椅子が動くけたたましい音は、この綺麗な景色には似つかわしくないと感じた。
廊下を歩いている最中も、左右の窓から雨音は絶えない。ビーズを手のひらからざらざらとこぼしたような音の残響が、一瞬だけ廊下を満たしては消えていく。それが心地よく、耳朶を打った。僕とC太は話さない。この雰囲気を壊したくないのもあった。この音が心地良いのもあった。

C太が下駄箱を開くと、中には折り畳み傘が一本入っていた。真っ赤の、柄のないシンプルな傘は、おそらくB子のものだろう。A弥が傘を忘れたのに気付いて、気をきかせていれておいたのだろうか。それにしてもまたなんて自分のところにと、半ば呆れながらC太は下駄箱を閉じた。別に、二人で一本の傘でいい。今は自分以外の存在を、A弥の意識に入れたくなかった。B子に悪いとは、少しだけ思う。だが良心は痛まない。くすりと笑って、先に昇降口を出てA弥を待った。
「……入るよね?」
傘を広げると、A弥は頷く。段差を降りると上の屋根がなくなって、傘を弾く雨の音が降りだした。この音が好きだ。それとぬかるんだ校庭を践む音も。水溜まりにできる水紋は、途切れる事がない。砂混じりの濁った水溜まりで、水滴が落ちる度に泥が沈殿する。トラックの細いロープは、ゆるくなった地面に所々が埋もれていた。ほつれた糸だけが、地面から生えている様に飛び出している。昔はこれを引っ張り出すのが好きだったな、と思っているうちに、校庭を抜けて校門まで到達していた。濡れたアスファルトはどことなく光っていて、ぼんやりと光を放っているようにも見える。道路の脇で流れる川で、流れたり、引っ掛かったりを繰り返している木の葉。長靴でせき止めたりもしたっけ、とふと懐かしく思った。
肌寒いと思ったら、傘を差している手が濡れていた。制服の袖までびっしょりになっている。そこに目線をやっていると、伸びてきた手が傘の柄を握った。
「……僕が持つよ」
「大丈夫だよ、A弥。……ありがたいけどね」
「……じゃあ、上から持つ」
さっきまで触れていなかった手を、今度はA弥が上から握りこんできた。いつもはA弥の手のほうが冷たいのに、今は、ぬるく感じる。
分かれ道を曲がると、すぐA弥の家が見えた。一歩歩く度に、段々とそれに近付いていく。腰の高さくらいの門を開いて、A弥はC太を振り返る。C太はそのA弥の頭上に、傘をかかげていた。
「……濡れるよ」
「かまわないよ」
A弥が濡れるほうが嫌かな、と笑うと、A弥もくすりと笑みをこぼした。前髪からぽつりと水滴が落ちた。なぜだかとても寂しくなって、A弥を見つめる。一歩二歩と近付いて、A弥にキスをした。
「……またね、A弥」
「……うん、またね」
C太がA弥に背を向ける。その背中が見えなくなるまで、A弥は濡れた門にもたれかかり、その背中を見つめていた。

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