小説B

□惨たらしい欠落に
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暗闇の中から、腕を引っ張り上げられるような感覚。これは誰の手だ、今自分を引き上げているこの手は。どこか懐かしく、なのになにも分からない。ひんやりと冷たいそれがひどく無機質なように思えて、微かな恐怖が水面下に沸き上がる。
終わりの見えない闇の先に、遠く光が見え
る。だんだんと眩いそれは迫ってきていた。暗闇の出口を突き抜けると急に視界は開けて、まるで世界そのものが開けたみたいで。意識も急に冴えていくようだった。
……11037。
一気に身体中の糸がぴんと張りつめるような感覚。まだどこかはっきりしない意識のなかで、苗木は体に力が入るのを感じる。
目を開けると、目の前は知らない部屋だっ
た。
「どこだ……?ここ……」
上半身を起こしたときに付いた手が沈みこんで、今自分はベッドに寝かされていたのだと気がついた。ますます膨らむ疑問。
まずは、記憶を手繰ってみることにした。覚えているところから、ひとつひとつ。
そうだ、扉を開いたら南の島で……。それ
で、とりあえずひたすら歩いて、それから……。
そこからは、朧気な記憶しか浮かんでこない。覚えているのは、あの砂浜の暑さと、空腹と、焼けつくような喉の渇き。ひりひりと痛む肌は、今は大分良くなったようだったが。
それにここがどこなのか、誰が運んできてくれたのかも分からない。そもそも、運んできてくれたのか、運ばれてしまったのか。
「でも……ボク以外にも人がいた……って事だよな……?」
少し希望の輪郭が見えてきた気がする。孤独ではなかったのだ。ならとりあえずその人に話を聞いてみようか……。
そう思ったとき、ドアをノックする音が聞こえた。
心臓が軽く跳ねる。開けるか開けまいか悩んで動けずにいると、ドアノブが回って、そして扉が……開いて、しまった。
思わず目を奪われる。
なによりその人の首元の鎖……首輪?
歩くたびに揺れるそれは明らかに異常で、思わず視線がそれを追ってしまう。
「あ、苗木クン!目が覚めたんだね!」
親しげに声を掛けてくる彼は、一体誰なのだろう。見覚えはない。会ったことがあるかすらも、分からない。
「よかった、もう少し遅かったら……もしかしたら、危なかったかもしれないよ……」
誰なのだろう。沸き上がる疑念は尽きることはなかった。以前に会ったことがあるのか?それとも、別の理由で自分を知っている?
なにしろここでは何があってもおかしくないのだ、誰もいない家が南の島に繋がっている程度には。
まだ味方とは言い切れない、苗木は唾と言葉を飲み込んだ。
「……あのさ、助けてくれて……ありがとう」
「いいんだよ!そんなの……ボクがキミの助けになれただけで身に余る光栄だよ!」
まくしたてるように返ってきた返事に、一瞬だけたじろぐ。
「えっとさ……ボクとキミって、前に会ったこと……」
「……え?」
彼の目は見開かれていた。形容するなら、そう……信じられない、そんな表情。
「……苗木クン?」
「……ゴ、ゴメン……!でも……覚えてないんだ……」
彼は口元に手を当てて、しばらく考え込むような素振りをした。だがそれも一瞬だけで、次の瞬間には彼は柔和そうな笑みを浮かべ、顔の横でひらりと手を振った。
「あ、勘違いさせちゃったね。ボクとキミは初対面だよ」
人が良さそうな笑顔。
本当に?
ならさっきの表情は。
悲痛で、痛々しいようなあの表情は?
「……本当……なの?」
「本当だよ。……あ、念のために言っておくとね、キミの名前を知ってたのは、倒れてるキミを見つけた時に聞いたからなんだ」
言い聞かせるみたいに、ゆっくりとした言葉。それを聞きながらも、苗木はまだ安心できないでいる。なにかが腑に落ちない。なにか釈然としない。
「じゃあ……本当にボクとキミは初めて会ったんだ……」
「……うん、そうだよ?」
相変わらずの笑顔。何も裏がなさそうな笑顔。でも、なぜか作り笑いみたいに見えて、少し苗木は、警戒心のようなものを覚える。
でも助けてくれたのは事実。
誰もいないこの島で、何も分からなかったこの島で。
唯一会えた人なのだ。
「えっとさ……キミの名前を、教えてくれないかな」
また彼は笑った。楽しそうにも、寂しそうにも見える。
「ああ、そうだったね。
……ボクの名前は狛枝凪斗。よろしくね、苗木クン。キミよりはこの島に詳しいと思うから、何でも聞いてくれて構わないよ」
「狛枝クン……。うん、よろしくね。……ところで、ここは?」
「ホテルだよ。……というより、コテージだけどね。16人分あるから、荷物からなにから置き放題だよ。ボクのコテージはここの隣の隣だけど、他に使いたかったら好きに使ってよ」
「……コテージ……!?でも、人は……」
「……いないね。ボクとキミ以外は」
「じゃあキミは今まで……」
「一人だったね。ま、幸い食料はレストランにあるし、こうして寝泊まりするところもあったから……。そんなに不自由はしなかったけど」
何の苦でもなかったとばかりに狛枝は語る。その顔には苦笑さえ浮かんでいた。
「……ずっと、一人だったって事だよね?そんなの……」
「……まあ確かに退屈だったけど……苗木クンが来てくれたのがせめてもの救いかな」
……来ないのが一番よかったんだけどさ。
「……え?」
「……なんでもないよ。何にせよ二人で頑張るしかないし……うん、頑張ろうね」
じゃらりと鉄が擦れ合う音。首元の鎖の音。
一抹の不安と期待と疑心を抱きながら、狛枝の笑顔を見つめて……苗木もまた笑顔を浮かべた。

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